『思い出は埃に埋もれて』


 

――闇雲に探し回っても埒が明かない。

 

いなくなったリューズを探して集落の中を走り回り、呼吸するたびに肺が痛むほど心肺機能を酷使して、スバルはそう結論を出した。

 

「――はっ、はっ、はぁっ」

 

膝に手をつき、激しく肩を上下させて、痛む肺に酸素を送り込む。

ここ数日の精神的な疲労感もたたって、手足の先に鉛を詰めたような重さを感じる。呼吸することも楽ではない。

 

「ナツキさん、大丈夫ですか?いくらなんでも、へばるのが早すぎますよ」

 

「うる、せぇな……今、ふと思い出したけど……俺はまだ通院中の身だったし、こっちきて以来の色んな諸問題の影響で、疲れがまさにピーク……」

 

「はいはい、負け惜しみはわかりましたから、ちょっとそこらへんにでも座っててください。一度、体を休めて頭を働かせましょう。水、汲んできます」

 

疲労困憊のスバルを、軽く息を切らしただけのオットーがたしなめる。彼はスバルに木陰を指で示してから、水汲みと言い残して水場の方へと向かった。

その背を見送り、自分の情けなさに顔をしかめながら、スバルは木陰に腰を下ろして息を整えるのに集中する。

 

「――――」

 

ガーフィールと別れて、リューズθを探して『聖域』を駆け巡って小一時間。

オットーと二人で人海戦術中だが、結果は今のところ出ていない。あまり大っぴらに協力者を募れないのは、エミリア捜索と同じ理由だ。

『聖域』の代表者であるリューズが、その役目を放棄するような形で行方をくらましたなど、『聖域』の住人にも避難民たちにも知られるべきではない。ガーフィールも同じように考えているからこそ、単独での捜索に当たっているのだろう。

 

「エミリアは……」

 

本音を言えばスバルだって、リューズθよりエミリアの安否の方を心配したい。

早まった真似はしないと固く信じているが、今も一人でいるだろう彼女の心の頼りなさを思えば、すぐにでも駆け寄って支えになりたいと心底思う。

だが、現実の優先順位は非情だが、オットーに語った通りリューズの方が上だ。そこにスバルの私情を差し挟む余地はない。

 

せめて、スバルたちと別行動中のラムがエミリアを見つけてくれればと思うが。

 

「それはそれで、ロズワールに一歩譲ることになりかねねぇんだよな」

 

ラムのスタンスとしては、かなり明確なロズワール派。エミリア捜索に加わる理由は、この世界におけるロズワールの今後を心配してのことであり、スバルたちに肩入れしている結果ではない。ロズワールに味方するための行いが、結果的に今、スバルたちのフォローをするという形に落ち着いているだけだ。

 

最善の形としては、スバルたちがリューズを確保し、その後に流れるようにエミリアをも確保。双方との話し合いを、スバル主導で行えることがベストだ。

しかし、理想は理想。机上の空論。とらぬ狸のなんとやら、だ。

 

「このざまじゃ、一個も拾えねぇまま時間がきちまう。それは最悪だ、絶対にダメだ。……どうにかしねぇと、いけねぇんだが……」

 

気持ちばかりが焦っても、求める結果が返ってくるはずもない。

こうして足を止めて考え込むより、ひたすらに『聖域』中を虱潰しに探した方が確率は高いのではないのか。

そうも思うが、

 

「それで見つかるなら、ガーフィールの奴が先に見つけてるはずだ。小一時間、もう経ってる。俺とオットーの倍速以上の速さで動き回れるあいつが、まだ見つけられてないってことは……」

 

――リューズは、ガーフィールからも見つからずに逃げ続けていることになる。

 

「――――」

 

そこまで考えて、スバルは頭の中に引っかかるものを覚えて息を詰める。

今、何か違和感があった。リューズは、ガーフィールからも逃げている。そこまではいい。いや、よくない。なぜ、リューズはガーフィールからも逃げているのか。

リューズθが逃げている理由は、スバルと接触したくないからではなかったのか。スバルと接触し、『試練』に挑戦したときのことを聞き出されたくないから、行方をくらまして時間切れを狙っているものとスバルはこれまで考えていた。

 

しかし、それではおかしいのだ。

θが本気でその話し合いを拒み、スバルを遠ざけようと目論むのであれば、他でもないガーフィールにそのことを伝えるだけで事足りる。

ガーフィールははっきりとした理由を得れば、スバルの排除を躊躇うまい。そしてガーフィールが本気で襲い掛かってくれば、スバルに抗う術などないのだ。

 

θが本気で自分の過去を隠し通すつもりでいるのなら、ガーフィールをけしかける。

それをしなかった、それをせずにいる理由、それは何なのか――。

 

「逃げるのは、追いかけてほしいから……か?」

 

「いや、逃げるのは捕まりたくないからでしょう。何を言ってるんですか」

 

顎に触れて、それとなく呟くスバルに水を差す声。顔を上げれば、呆れた顔のオットーが水差し片手に、飲み水を差し入れながら、

 

「色々と考えることがあって頭がわやくちゃになるのもわかりますけどね。僕も不眠不休で四日間、商談に行商に走り回ったときの最終日は頭おかしくなってましたし」

 

「そういう苦労話は茶飲みのときのためにストックしておいてもらうとして、別に頭がおかしくなったわけじゃねぇよ。……じゃねぇと、思う」

 

「自信なくなりましたねえ」

 

差し出される水を受け取り、ジョウロのような形の注ぎ口から水をあおる。喉を冷たい感覚が滑り落ちるのを味わいながら、詰まった言葉を整理して、

 

「リューズさんが姿をくらました理由、お前はどう見る?」

 

「……そりゃ、聞かれたら都合の悪い話をしたくないからじゃないんですか?今日、ナツキさんと顔を合わせたら否が応にもその話をしなくちゃいけないから……まあ、外に出られない経緯を考えると、その場しのぎって感じが否めませんが」

 

「そうだな、その場しのぎだ。でも、本気で根本から問題をどうにかしちまおうって思うんなら、簡単な方法がリューズさんにはあるよな?」

 

「――ガーフィール、ですか」

 

スバルが考えた末に辿り着いた結論に、ヒントを与えただけであっさり到達するオットー。彼は眉を寄せて、考え込むように腕を組むと、

 

「確かに、その線は……となると、リューズさんはナツキさんと揉めてることをガーフィールに知られたくないんですかね」

 

「つっても、ガーフィールは俺ら関係って勘付いてるけどな。ぶっちゃけ、今の『聖域』で普段と違うイベントが起きるなら、そのフラグは俺たちが立ててるってあいつの説には開いた口が塞がらなかったぜ」

 

本質をズバリ、と突いた考えだった。

ともあれ、リューズが姿をくらました遠因はガーフィールにはばれている。自分のアクションでガーフィールがどう考えるか、それに思い至らないほどリューズ自身も考えの及ばない人物ではないはずだ。

 

「そうなると、考えられる可能性は二つ」

 

「ナツキさんにもガーフィールにも会うべきじゃないと考えて、本気で逃げ隠れしている可能性。それと」

 

「こうして探されるのがわかってて、見つけ出されるのを待つ場合……かな」

 

前者であった場合、スバルたちにはお手上げの可能性が高い。小柄なリューズが本気で逃げ隠れしようとすれば、半日の時間を稼ぐぐらいのことは十分にできる。見つけ出せる可能性があるのは鼻が利き、行動力のあるガーフィールだけだろう。

 

逆に後者であるのならば、スバルたちとガーフィールの勝算は五分。

そうなるよう、リューズの方が調整していなくては成り立たない。

 

――闇雲に、虱潰しに探す方法以外で彼女を見つけ出せるとしたら。

 

「どこか、リューズさんに所縁がある場所を探すべきだ」

 

「といっても、家にはいませんでしたし……実家の方は、エミリア様も行方をくらましていてさらに困ったことになってますが」

 

「そう、なんだよな。まさかロズワールのところに行ってるとも思えねぇし、実験場……は多分真っ先にガーフィールが探しにいったはずだ。そうなると……」

 

スバルとガーフィールに等しくチャンスがあって、ガーフィールが真っ先に探しにいくような場所ではなくて、θがその場所を選ぶような、そんな場所は。

――そんなところが、あるとしたら。

 

「……オットー、わかったかもしんない」

 

「ほ、本当ですか?今のほんのちょこっとのやり取りで?勘違いなんじゃ?」

 

「なんで否定から入られたのかわからねぇけど、かなりの高確率。っつか、もしここにいなかったら、ほぼお手上げだわ」

 

唖然とした様子のオットーに頷きかけ、スバルは水差しに残った水を一息に飲み干す。口元を拭い、立ち上がって顔を向けるのは、『心当たり』の方角だ。

そこにθがいるのだとすれば、彼女は逃げたわけではない。ただ、話をするのに相応しい場所で待っているだけだ。

 

スバルを、あるいはガーフィールを。

 

「気付いててくれるなよ、ガーフィール。――先に保護者面談、済ませてやるからな」

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「大事なお話があるから、ここでちょっとの間、待っていてね」

 

「はい、フォルトナ母様」

 

お姫様部屋にエミリアを連れていき、待っているよう言いつけるフォルトナにエミリアは素直な返事をする。

微笑みを浮かべて、自分を見送るエミリアの様子にフォルトナは少しだけ目を見開く。それからエミリアの長い銀髪を撫でて、物憂げな吐息をこぼすのだった。

 

これまでエミリアは、お姫様部屋に置いていかれるときはそれはそれは不満そうな顔を露わにしたものだ。当人は隠せているつもりだったが、赤くした頬を膨らませてそっぽを向いていれば、誰でも幼い少女が不服を溜め込んでいるのがわかろうというもの。

そんなわかりやすいエミリアの態度がしばらくは見られないものだから、フォルトナが訝しく思うのも当然のことだった。

 

「……エミリア」

 

「なあに?」

 

「――ううん、なんでもないわ」

 

娘の髪に手を差し込みながら、何か問いかけを発しかけたフォルトナは首を横に振り、無垢な瞳を向けてくるエミリアにそっと微笑を残す。

腑に落ちないものはあったが、手のかからない現状は歓迎すべき状況だ。相手を待たせていることもあり、フォルトナはこの場はそう納得した様子だった。

 

手を振り、フォルトナを見送ると、閉じた扉の向こうで閂の落ちる音がする。扉がしっかりと施錠されて、これでお姫様部屋の中はエミリアたった一人だ。

――否、最近はそうでもない。

 

「もう、出てきても大丈夫だよ」

 

一分ほど待って、フォルトナが戻ってこないのを確認してから、部屋の中を振り返ったエミリアがひそめた声で誰かに呼びかける。

当然、人影は部屋の中に彼女のものしかなく、それに応じる存在などいようはずもないが――ふいに、青白い燐光がうっすら明るい室内を横切った。

 

ぼんやりと、淡い輝きを発するそれを見て、エミリアの紫紺の瞳が歓喜に揺れる。

お姫様部屋での時間を過ごすうち、いつの間にか意識的に接することができるようになった不思議な存在――妖精さん、とエミリアは呼んでいたが、微精霊である彼らをそう呼ぶのは近い存在とはいえいささかニュアンスが違っている。

ともあれ、微精霊は幼いエミリアのそんな無礼を咎めるようなことはせず、

 

「妖精さん、妖精さん、今日もありがとう」

 

そう言って、自分を一人にしないでくれたことに感謝する少女の言葉に、その場で燐光を散らしながら舞い踊って意思を示すのだった。

 

「――――」

 

踊る微精霊の姿を眺めながら、エミリアはこの光の存在が自分にとって、良い味方であるのだという認識を特に強めていた。

一人きりで寂しいと思った場所に駆けつけてくれる上、彼らはエミリアの望みを力の及ぶ限りで手助けしてくれる。エミリアの警戒が足りず、外を歩き回っているときに誰かに見つかりそうになったときなど、それとなくそれを教えてくれるのだ。

 

――お姫様部屋からの脱走は、あれから何度も繰り返し続けられている。

 

洞の奥にある、外に通じる木の根の隙間は誰にも見つかっていないらしく、エミリアはいつでもそこから外へ逃げ出すことができた。最初は無理矢理に這い出したことで服や体を傷付けてしまうことがあったが、コツを覚えた今ではそんな心配もない。

二度も三度も立て続けに服を汚した言い訳を使ったものだから、いい加減にフォルトナにもばれてしまいかねないところだ。危ないところだった。

 

「きっと、すごーくうたがわれてたもんね。でも、もう大丈夫。えへん」

 

胸を張って自分の進歩を誇るエミリア、彼女の頭の周りを青い輝きが褒め称えるように乱舞。すぐに目がちかちかしてしまい、くらくらする。

 

とはいえ、脱走常連になったエミリアではあったが、外に出た彼女の大冒険といえば可愛いもので、最初のときと同じように大人たちの話し合いをのぞき見したり盗み聞きにいったりするか、あるいはこっそり木に成っている果実を許可なく食べたり、誰かの家の中の物の位置を変える悪戯をしたりと、その程度のものだった。

ただし、こういった悪戯心というものは徐々に過激さを増すもので、それはエミリアという純朴な少女であっても例外ではない。

 

「よし。それじゃ、そろそろ今日もおでかけしよっか」

 

「――――」

 

揺れる光はエミリアに賛同しているようで、心強い援軍を得たエミリアはいっそ堂々とお姫様部屋から脱走する。

何度も潜り抜けたことでだいぶ緩み出している枝の隙間を広げて、小さい体を潜り込ませて木の洞から体を引っ張り出す。穴から抜けた瞬間に転がるエミリアを、落ち葉を積んで作ったクッションが柔らかに受け止めた。

何度もこうして転がり落ちるうち、学習したエミリアが準備しておいた脱出装置だ。

 

「今日は、どうしよっかな」

 

髪の毛に絡んだ落ち葉を外しながら、エミリアは傍らの光に問いかける。返事がないのはわかっているが、光の強弱で反応してくれる様子に一人でないことを実感。

外へ出てきたはいいが、毎度のことながらそろそろすることがない。悪戯も、何度もしているうちにエミリアの仕業とばれて、こうしてお姫様部屋から脱走していることまでばれてしまうかもしれない。穴が塞がれては困る。

 

「ほとぼりが冷めるまでは、おあずけだもんね」

 

狡猾な知能犯気取りで呟いて、エミリアは目的もなくとりあえず集落を歩き出す。おそらくは森の真ん中の広場で、今日もいつものように黒衣の集団との話し合いが始まっているはずだ。黒衣の人たちが贈り物をしてくれるのを、森の大人たちが受け取る。

その間、フォルトナ母様と話をしているのは長身の男で、何度も顔を見るうちにエミリアは彼が『ロマネコンティ』だったり、『ジュース』だったりと呼ばれていることに気付いて、勝手に心の中で『ジュース』とそう呼んでいた。

 

とはいえ、最初は興味津々だった大人たちの話し合いも、幾度も盗み聞きしているうちに新鮮味を失い、エミリアは徐々に飽きつつあった。

フォルトナとジュースの会話は、まだ幼いエミリアにはわからないことが多い。それでも足しげく聞き耳を立てにいくのは、最初のときのようにエミリアのお父さんとお母さんの名前が出て、どこでどうしているのかを知れないものかと企んでいるからだ。

残念ながら、エミリアのその目論見が果たされた例は、今のところないわけだが。

 

「いっそ……」

 

ジュースたちが率いてくる、あの荷車に忍び込んでしまおうか?

 

あの幌付きの荷車、荷物の陰にエミリアの小さな体を滑り込ませれば、そのまま森の外へ連れ出してもらうことも簡単にできるだろう。これまで見てきたところ、森を出るときにジュースたちが荷車を点検している様子はなかった。

妖精の力を借りれば、隙を見て忍び込むぐらいわけないはず。

 

「……むぅ」

 

そんな風に考えて、でもできるわけがないとすぐに諦める。

何せ、森の外へ出ようというのは、フォルトナ母様との一番大事な約束に反する。

――決して、森の外に出てはいけない。エミリアにとって、外には怖いものがたくさんあって、大人になるまでは危ないからダメと、固く言いつけられているのだ。

 

すでに決まり事を一つ、破っている真っ最中だというのに、今さら一緒だと他の約束事まで破り捨てるほど身勝手になれないのが、このエミリアという少女の美徳だった。

故に、荷車に隠れて脱走計画は立案の時点で計画書を破棄。お父さんとお母さんの近況については、他の手段で知る方法がないものか考えることに。

 

「――よいしょ、よいしょ」

 

考え事をしている間に、今日も大人たちとジュースたち集団の話し合いの場に到着。エミリアは手近な木に身軽によじ登り、枝の上で腹這いになると耳を澄ませる。

相変わらず、荷物の受け渡しが行われる傍らでフォルトナとジュースは歓談中。ただ、今日は特にフォルトナの表情が柔らかな様子で、

 

「最近はエミリアも明るくなってきて、すごーく元気。泥だらけになって、すぐ服を汚してきちゃうのが困りものなんだけど」

 

「それはそれは……健康であられることはよいことです。服の替えも、よろしければご用意いたしますよ。森の外はそろそろ冬ごもりの時期になりますから、衣替えで処分される衣類もたくさんありましょう」

 

「甘えてばかりな上に、催促したみたいでごめんなさい。……大人の服も、あるかしら」

 

「ええ、もちろん。フォルトナ様にもよくお似合いでしょう」

 

柔和な表情でジュースがそう言うと、フォルトナは顔に複雑な色を浮かべる。それから彼女は照れ臭げに頬を指で掻きながら、

 

「……どこで、そういう言葉を覚えてくるのかしら。長い付き合いだけど、いつの間にそんなジョークが言えるようになったの?」

 

「ただの本音ですが?おかしなことを、言ったでしょうか」

 

「性質上、嘘ついてないってのがわかるから始末に負えないわね……」

 

呆れた様子で額に手を当てているフォルトナ。しかし、その口元が微笑を刻んでいるのは、決して今のやり取りが不快ではなかった証拠だ。

いや、それどころか、フォルトナはむしろ、今のやり取りを楽しんでいる節がある。

 

「……むぅ」

 

なんとなく、母親のそんな様子を見て面白くない気分になってしまうエミリア。

ああやって、普通の顔が厳しいものに思われがちなフォルトナが、傍目にもわかるぐらい柔らかな表情を見せるのは、同胞たちに少しとエミリアにたくさん。

何だか、母の大事なものを取られてしまったようで、虫が悪い。

 

「ふんだ、ジュースのバカ」

 

一方的な面識しかない相手に、八つ当たりのような言葉を投げかける。頬を膨らませるエミリアは、このままジュースが自分の興味を引けるような話をしなかった場合、今日はジュースの荷車に何か悪戯を仕掛けてやろうと心に決めた。

 

車輪に布でも噛ませてしまうか、荷車の荷台の上で油をこぼしてやろうか。

そんなささやかな復讐を志すエミリアだったが、その復讐劇が上映されることはなかった。

 

「――それで、封印の方は大丈夫ですか?」

 

声の調子を落とし、恒例の質問をフォルトナに投げかけるジュース。フォルトナはそれに顎を引き、それこそいつもと同じように、

 

「変わりなく、よ。毎回毎回、律儀なものね」

 

「そのためのお役目です故。それに、時期が時期です。周期的な問題もありますが、今年は特に月の隠れる夜が多く、マナの循環が不十分です。森の奥の封印にも悪影響があるのでは……と、どうしても不安になってしまいまして」

 

「月が……どおりで、納得いったわ。ここしばらく、森の微精霊たちの様子が芳しくなかったのはそれが理由ね。……わかった。封印が緩んでないとも限らないから、それは後で私がこの目で確認しておくわ」

 

「よろしくお願いいたします」

 

腰を折るジュースに、フォルトナは真剣な眼差しで顎を引いた。

その二人のやり取りを盗み聞きながら、エミリアは「森の奥……」と口の中だけで呟く。

 

一通り、エルフの集落の中を探検し尽くしたエミリアである。当然、森に関してもフォルトナの許可があるところまでは制覇しており、口に出してはいないがこの森は自分の庭だぐらいに思っていたほどだ。

そんなエミリアをして、フォルトナたちが話題にした『森の奥』という場所がどこのことなのかは見当がつかない。おそらく、侵入禁止と言い渡されている森の深部なのだと思うが――また、隠し事をされていると思うと、不満は募る一方だ。

 

とかく、このときのエミリアは不満が溜まりに溜まっていた。

相変わらず、両親の知りたい情報はさっぱり入ってこないし、新鮮味のあったお姫様部屋の外の大冒険もマンネリ化している。おまけに、エミリアにはいけないこととあれほど口を酸っぱくして言っているくせに、大人たちの方こそ嘘も隠し事もたくさんしているのだという証拠が、短い間にこれだけわんさか出てきているのだ。

 

――少しだけ、みんなを困らせてやろう。

 

そう、エミリアが思ったことを、いったい誰が責められるだろうか。

このとき、ふと芽生えたエミリアの悪戯心は、誰にも責められることも咎められることもないまま肥大化し、『そのとき』がくるのを早める結果を招いた。

 

故に後年、このときのことを誰が責めることになるかといえば、それはエミリア自身だった。彼女自身がこのときの自分の愚かしさを、この上ないほどに責めたて、それでもなお足りないほどに罪を重ねることとなった。

 

――だが、その後々の後悔は、このときの幼いエミリアには届くことはない。

 

エミリアが見当違いなやる気に袖をまくった頃、ちょうどフォルトナたちの話し合いも終わる。今回も大きな問題なく物資のやり取りは終了し、ジュースたちが一礼して引き上げるのを大人たちが敬礼して見送っていた。

 

それを見届けて、エミリアは枝から軽やかに飛び降りると、大急ぎでお姫様部屋へと舞い戻る。木の根の隙間を飛び込むように抜けて、洞の中に戻ったエミリアは大急ぎでアリバイ工作。

短時間でお絵描きを仕上げ、人形を着替えさせ、お菓子を食べ散らかしておく。

一仕事終えて額の汗を拭ったあたりで、外からフォルトナの声が聞こえた。

 

「エミリア、お待たせ。今日もちゃんといい子にしてた?」

 

「う……い、いい子にしてたよ?してました。うん、はい、してました」

 

「――――」

 

会心の演技で騙しきった、と満足げな顔をするエミリア。そのエミリアを、フォルトナは静かに目を細めてじーっと見つめている。

その視線の鋭さに居心地の悪さを感じながらも、エミリアはここで変な素振りをしては疑いを深めるばかりだと考えて、

 

「な、なあに、フォルトナ母様。そんな風に見たって、わたし、何もしてないよ。お菓子食べて、お絵描きして、お人形遊びしてたもん。お外なんかいってないもん。ホントだもん」

 

「――そう、それならいいんだけど」

 

エミリアの演技に騙されて、フォルトナはすっかり信じ込んでしまったらしい。母親を騙すことに罪悪感を覚えながらも、エミリアはこれぐらいで気にしていてはいけない、と自分を戒めて無慈悲な復讐劇のシナリオを練る。

 

フォルトナたちは森の奥に、『封印』がどうとかいう話をしていた。封印、となると何かを隠しておく場所、みたいな意味だったとエミリアは記憶している。

つまり、そこに外に出たら困る何かが隠れているのだ。

 

――エミリアの中で、フォルトナたちへの復讐の内容が決まった。

 

その『封印』という隠し事をしている場所、森の奥のその場所を見つけ出して、何かフォルトナたちから怒られたときに、反論する取引材料にするのだ。

お姫様部屋からの脱走がばれたときの切り札に、森の奥の封印の場所を使おう。

 

脱走のお咎めから逃れるために、やってはいけないと言われているもっと悪いことに手を染める矛盾した事実に、自分の名案に目を輝かせるエミリアは気付かない。

 

母に手を引かれてお姫様部屋から出る。そしてこの後、エミリアを家に戻してから少し用事があると言ったフォルトナ。さっきのジュースとの話からすると、フォルトナはこれからその『封印』を確認しにいくはずだ。

だから、

 

「――おねがい、ね」

 

青白い燐光に母の後を追いかけるようおねだりして、エミリアは小さく片目をつむった。

手足が伸びきった頃には、微笑むだけで相手を魅了するほどの美貌の片鱗が、このときの幼い少女の姿にはすでに芽生え始めていた。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

この場所をスバルが訪れるのは二度目であり、この周回では初めてのことだった。

 

ぽつんと、小高い丘に孤立している建物だ。特別、みすぼらしいというほど貧相な建物ではないが、目立った特徴のない平凡な民家といった風情だろう。

内装は寝室と居間の二部屋で、生活空間である居間には簡単な調理場がある、元の世界でいうところのアパートのような部屋割り。一人で暮らすには不自由する広さではないが、大人一人と子ども二人が一緒に暮らすには手狭な場所ではないだろうか。

 

今さらになって、その建物の意味を悟ったスバルはそんな感慨を抱く。

ドアの前に立ち、扉を外からノックする。しばしの沈黙の後、中から「どうぞ」と応じる声が聞こえて、スバルは自分の考えが正しかったことに安堵。

 

それからすぐ、その安堵の気持ちを引き締めて、ドアノブに手をかけて扉を開いた。

少しばかり、古い家の木材の香りが鼻孔をかすめる。生温い空気を肌に感じながら、部屋の中に足を踏み入れると、

 

「思ったより、時間がかかったようじゃな」

 

部屋の奥、簡素なベッドの上に腰掛ける人影。その人物はちょうどお茶のお代わりでもしようとしていたらしく、沸かしたお湯をカップに傾けているところだった。

部屋から漂った生温い風は、それが原因だったのだろう。スバルはテーブルの上にカップが三つ――ただし、満たされているのは一つだけであるのを確認して、

 

「招待客は、俺が一番乗りってことかな?」

 

「そうじゃな。スー坊が一番乗りじゃ。茶は、濃い目に淹れておるが構わんかえ」

 

「どっちでもいいよ。濃かろうが薄かろうが、葉っぱの味は葉っぱの味だ」

 

「淹れ甲斐のない言い草じゃのう。ラムがぼやいておったのもわかる話じゃ」

 

口さがないスバルの答えに苦笑して、リューズ――θが空のカップを引き寄せる。手元に寄せたカップにお湯を注ぎ、茶葉を浸してスバルの方へ押し出すと、

 

「ほれ、喉が渇いとるじゃろうて。まず、駆けつけ一杯」

 

「駆けつけ一杯にぐいーっと飲み干したら俺の残HP的にそのまま教会行きくさい。それはそれとして、いただきます」

 

軽口でθの眉に困惑を刻みながら、スバルは渡されたカップに息を吹きかけて冷まし、それから口元に運んだ。舌の上を通り、喉を行き過ぎる濃厚な草の味。

何度、どんな種類を、誰の手ずから淹れてもらっても、葉っぱは葉っぱ。

 

「レムの茶ですら慣れなかったもんな……もはや体が受け付けねぇんだろうよ、これ」

 

「聞くまでもなく感想がわかってけっこうなことじゃ。もう二度と淹れてやらんからな」

 

顔をしかめて舌を出すスバルを睨みつけて、θは自分の分のお茶を一気に飲み干す。それから長い自分の髪の毛を撫でつけ、裾を引きずりながらベッドの上にちょこんと座り直すと、改めてスバルを正面に置いて、

 

「話し合いを始める前に気を休めるはずが、思わぬ不和が生まれたもんじゃな」

 

「外伝の内容を本編に持ち込むと、たまたま見逃した読者が後で困惑する羽目になるからそういうのはなしでいこうぜ。切り替えて切り替えて、お話ししよう」

 

「言う側は気楽なもんじゃな……」

 

呆れた顔でため息をこぼして、θはそれから小さな己の掌をじっと見る。それから彼女の視線はスバルを通り越し、扉から外を見透かすように、

 

「それにしても……やはり、スー坊の方じゃったか。そうじゃろうな、とは思っておった。ガー坊がここへくる可能性よりは、スー坊が一人でくるか、あるいは両方ともに思い当たらずに時間切れになるか」

 

「……そら、ずいぶんとガーフィールに不利な条件にしたもんだな。あいつが聞いたら、そりゃ嘆きそうなもんだ」

 

「嘆く、喚く、そうなればよいがな……儂はもっと、深刻な反応を想像しとるよ。ここにガー坊がきておれば、そんな不安も払拭できたんじゃが」

 

寂しげな微笑を刻み、θは居間の壁を見やる。

スバルもつられてそちらを見れば、壁にかかっているのは銀色に輝く金属製の盾――二つのそれが交差するように、壁に飾られた以前にも見た形だ。

 

幼い頃、ガーフィールとフレデリカの姉弟が、盾を打ち合わせて遊んでいたという、思い入れの残った盾――つまりここは、ガーフィールとフレデリカの生家だ。

 

この場所を、最後の話し合いの場に選んだθの真意はスバルにはわからない。

ただ、以前のループでここで話したときのことを思い出して、リューズたちにとってもガーフィールにとっても、ここが特別な意味を持つ場所だと記憶に残っていただけだ。

その記憶を頼りに足を運んでみれば、θはその通りここでスバルたちを待っていた。

 

「スー坊、一人できてくれたのはよかった。あまり、人に聞かせたい話でもないからの」

 

「ああ、オットーは置いてきた。あいつはこの先の話にはついてこれそうもない」

 

意図せず、力の及ばない戦士を置き去りにするときのような発言になったが、そんな意図はなかった。ただ、リューズの過去はどうしても、『魔女』に触れずには語れない内容だと思ったから。その内容に踏み込むのは、スバルだけでいい。

故にオットーには今、それとは別の役割を任せてある。

 

「θさんは、墓所の中に入ったリューズさんの中の一人、でいいんだよな?」

 

「しーた?」

 

「あ、悪い。勝手に便宜上、そう呼んでた。昨日のがΣさんで、残り二人がαとβ。気に入らないだろうから、控えるけど……」

 

「……いいや、構わん。なるほど、言っておったのはそういう意味じゃったか。ああ、なるほど、なるほどじゃな……存外、悪くない」

 

口の中で何度か、「しーた、しーた」と呟いてから、θは面映ゆそうに頬をゆるめる。それから静かに瞑目し、数秒後に目を開いた彼女は、

 

「今から話すのは、儂が見た限りの『聖域』の成り立ちと……リューズ・メイエルがああして結晶の中に封じられるまでの出来事の、一部じゃ」

 

「――うん」

 

「それを聞いて、スー坊がどんな風に思って、儂に対して何を聞かせてくれるのか……『聖域』の代表であるリューズ四人の一人として、それで命運を委ねるとするわい」

 

責任重大なことを言って、θは息を呑むスバルに笑いかけ、

 

「心して、挑んでほしいものじゃな?」