『竜車帰還路』


 

――都市プリステラを出て、ナツキ・スバル一行は一路、東へ向かって進み続ける。

 

目的地は世界図の東端、そこに位置するアウグリア砂丘――あらゆる存在の踏破を拒み、何百年も前から魔獣の巣窟として在り続ける曰く付きの土地だ。

 

方向感覚を狂わせ、探索者の心を蝕む瘴気。

人の命を弄び貪る、邪悪の先兵である魔獣の群れ。

そして世界の平穏を望み、監視塔から近付くものへと片っ端から成敗を下す『賢者』シャウラ。

 

「わかってるだけで、自殺しにいくみたいなラインナップだな……」

 

待ち受ける障害を思い浮かべるだけで、げんなりしてくるには十分だ。

実際、事情を知るものたちの話によれば、そこへ向かうのは自殺志願者か魔女教徒か、いずれにせよ、正常な脳の機能を損なった連中しかいないらしい。

だが、自分たちはそのどちらでもないし、死ぬつもりも毛頭ない。むしろ逆だ。

 

道のなくなった人々に、生かす道を与える。

その希望の種を手に入れるために、旅立ったのだ。

 

「……それにしても、不思議なもんだ」

 

揺れない竜車の揺れを錯覚しながら、スバルは座席の正面に座る顔ぶれにぽつりと呟く。それを聞きつけ、客室の中の全員の視線がこちらを向いた。

視線の数は、全部で四つ――この場にいるのはスバルを含めて五人なので、全員がこちらを見た形だ。

 

「不思議って、何かあった?」

 

「いや、大したことじゃないよ、エミリアたん。ただまぁ、こうやって一つの竜車に仲良く乗り合わせる顔としちゃ、結構意外性があるなって思っただけ」

 

エミリアの疑問に肩をすくめて、スバルはそう応じる。

そのスバルの左右、両隣を固めるのがエミリアとベアトリス、つまりは身内だ。この二人とスバルが一緒にいるのは当たり前の話だが、問題は正面の二人である。

 

「まぁ、確かにそないに感じるんもおかしないかもしれんね。実際のとこ、うちもちょぉ意外に思うとるもん。ナツキくんが違和感あるんも当然やろね」

 

「……ああ、せやな」

 

コロコロと笑い、関西弁ならぬカララギ弁で言ったのはアナスタシアだ。力なくエセ関西弁で応じると、彼女は己の髪に触れながら、意味ありげな目を隣へ向ける。

 

「もっとも、居心地の悪さだけの話なら、ユリウスさんには負けるかもわからんけど?」

 

「これは手厳しい。ですが、ご安心ください。――私も騎士の身です。一晩あれば心の整理を付けるには十分。ましてや今回はすでに数日……決して、過日のような無様はさらさないとお約束しましょう」

 

「優雅やなぁ。なら、その言葉に期待しとこか」

 

揶揄するようなアナスタシアの物言いに、一礼して答えるユリウスの態度は以前の彼そのものだ。

当たり前といえば当たり前のこと。『暴食』の権能の被害にあった彼だが、その影響を受けたのは彼というよりは、彼以外の周りの人々に他ならない。

であれば、態度が変わるのは彼より、彼の周りだ。その反応を受けて、彼自身も動揺は隠せずにいたが、それに関しては発言通り、無事に受け止め切ったらしい。

 

「……ったく、とんでもねぇ」

 

大したものだ、と声には出さないが称賛する。

その心根の強さは、はっきり言って脱帽ものだ。自分の存在だけを取り残され、周りから自分の記憶だけが失われる感覚――スバルも、覚えがないわけではない。

 

『死に戻り』で時をさかのぼるナツキ・スバルには、この世界の誰も覚えていない世界の記憶が確かにある。

一度、関係を築いた人間に忘れられる経験といえば、スバルの中なら最初のロズワール邸――あの日々の繰り返しが、それに該当するだろうか。

 

異世界に召還され、王都でエミリアを助けるために奔走し、その結果としてロズワール邸に招かれ――四度の繰り返しを経て、スバルは五度目の世界を踏破した。

それまでの四つの世界の思い出は、もはやスバルの中にしか残っていない。

そんな日々の中、関係を築いた屋敷の人々に、見知らぬ人間扱いされた衝撃は今なお忘れ難い。

 

あの苦しみと悲しみは、決して薄れない。

 

「……なんなのかしら?スバル、なんで急にベティーの頭を撫で始めているのよ?」

 

「気にすんな。あんとき、お前のおかげでずいぶん救われてたよなーって感慨深いだけだ。感謝感謝」

 

「わけわかんないかしら。それに髪が乱れるからやめ……なくてもいいけど、もうちょっと気を遣って撫でるのよ」

 

お尻半個分だけ席を詰めて、ベアトリスが頭を預けてくる。仰せの通りに、とスバルはその頭を撫でてやり、事実として救われたときの心境を再確認させられた。

 

屋敷の繰り返しの日々、スバルへの態度が変わらなかったのはベアトリスだけだ。『死に戻り』の起点より前に出会い、その後も彼女だけは接し方が変わらなかった。

それに救われたことは、ずっと彼女にも秘密だろう。

 

「そのあとは、エミリアたんに救われたんだけどな」

 

「――?」

 

スバルの述懐に、エミリアが不思議そうな顔をする。

その彼女の優しさに、声に態度に、預けてくれた膝の温かさに救われて、スバルは今、ここにいる。

 

「――――」

 

だからこそ、それを一人でやり遂げたユリウスの凄さが実体験として理解できる。スバルがこれだけたくさんの手を借りて、四度もやり直すほどに時間をかけて、乗り越えたものを成し遂げているのだから。

 

それとも、彼にも手を貸す誰かがいたのだろうか。

アナスタシアに忘れられ、陣営の誰にも手を借りれず、契約する準精霊との繋がりも絶たれて、血縁である弟のことも思い出せない彼に、誰かが。

だとしたら、それはよかったなと、そう思った。

 

「先ほどから、じろじろと人の顔を見て……どうかしたのだろうか、スバル」

 

「どうもしてねぇよ。なんか、優雅とか言われて典雅な感じに笑うお前がいけ好かないって思っただけ」

 

「優雅に典雅、実に結構な響きだ。まさか君に称賛されるとは思わなかった。意外と嬉しい……いいや、それは言いすぎたな。まあ、普通だろうか?」

 

「褒めたつもりねぇけど、その言われ方は腹立つな!」

 

以前の調子で――否、むしろ前より舌の滑りがよくなった風に言い返され、スバルの方がやり込められる。

プリステラで、弟の病室で、その横顔に浮かべていた弱々しさが嘘のようだ。あのときは勢いで、その面構えに色々と文句を付けた覚えがあるが、完全に黒歴史。

 

「スバルとユリウスって、仲良しなのね。ええと、今みたいになる前からこんな風に?」

 

「エミリアたん、そりゃ誤解だよ。俺とこいつが仲いいとかあるわけないじゃん。俺の今の顔、見た?自分で言うのもなんだけど、過去最高に目つき悪かったよ?」

 

「そう?そんなことないと思うけど……あ、今のは目つきの話じゃなくて、二人の仲のことね。スバルの目つきは、いつもとおんなじですごーく悪いと思うわ」

 

「いつもとおんなじですごーく悪い!?」

 

「でも私、スバルの目つき好きよ。ホントのホント」

 

「あ、くそ、録音しといてあとで目つきの部分だけ削ってやりたかったなぁ、今の!」

 

悔しげにするスバルにエミリアが苦笑し、それから彼女は確かめるような目をユリウスに向ける。ユリウスはその視線に、ちらとスバルの方を見やり、

 

「私の方から、彼の言葉を否定する余地がありません。実際、私と彼が親しくしている……というのは語弊があります。私としてはこれでも、譲歩しているつもりなのですが」

 

「譲る歩み寄るって、字面がすでに恩着せがましいんだよ。もっとへりくだれ。……その方がムカつきそうだな」

 

「困った言い分だ。どうしろと言うのでしょうね、彼は」

 

エミリアに同意を求めるユリウスだが、そんな二人のやり取りに彼女は己の銀髪をかき上げて、

 

「やっぱり、すごーく仲いいような……?」

 

「だから見ての通りだってば」

 

「え?じゃあ、やっぱり仲いいんじゃ……」

 

エミリアと感受性の不一致があったが、スバルとユリウスはしれっとしたものだ。その様子にエミリアはますます困惑し、アナスタシアがくすくすと口を押さえて笑う。

そんなアナスタシアの反応に、ユリウスがふっと安堵するように唇を緩めた。――そんな仮初めの主従の関係が、その裏側を知るスバルにはどうにもキナ臭い。

 

ここにいるアナスタシアは、本当の意味でのアナスタシア・ホーシンとは異なり、ガワだけ同じ偽物だからだ。

 

現在、アナスタシアの中身は人工精霊であるエキドナ――通称、襟ドナに成り代わられている。襟ドナ当人に体を乗っ取る意思はないとのことだが、どこまで信用できるものかは怪しいところだ。事情を知るスバルは、何も知らないエミリアやユリウスに悟られないようにしながらも、警戒だけは欠かさないようにしていた。

 

「……スバル、いい加減にするのよ」

 

と、静かに考え込むスバルに、ベアトリスが声をかける。沈黙の間も、ずっとスバルに頭を撫で続けられていた少女の髪は乱れ、可愛い顔が仏頂面だ。

 

「おお!?悪い、ベア子!お前の可愛い格好が台無しになって……こんなブチャイクに」

 

「ベティーの可愛さは髪型一つで乱れたりしないかしら!そんなことより、怖い顔になってるのよ」

 

スバルからお尻半個分離れて、ベアトリスが乱れた髪を必死に手で直しながら言った。その言葉にスバルが「う」と詰まると、ベアトリスは仕方なさそうな顔で、

 

「そんな無性に心配な顔しても意味なんてないかしら。……ベティーが気にしておくのよ。何かあれば、スバルよりよっぽど早く気付くかしら」

 

「……おう」

 

スバルの内心の不安に、ベアトリスがそう言葉を重ねる。スバル以外に、襟ドナとアナスタシアの成り代わりを知っているのがベアトリスだ。

本来、スバルは無用な混乱を避けるのと、襟ドナがアナスタシアの体を奪うつもりはない、という二つの主張から事実を秘することを約束した。だが、何かあってからでは遅いと、ベアトリスにだけはそれを伝えてある。

同じ人工精霊であり、同じ『魔女』エキドナと関係がある二人だ。何か襟ドナが企むようであれば、ベアトリスがそれを察してくれることだろう。

 

もっとも、ベアトリスの心情を考えれば、あまりエキドナと関わらせるのは得策とは思えなかったが、

 

「余計な気を回すより、スバルはスバルらしく、いつも通りに誰かれ構わず助けを求めてた方がいいのよ。でも、最初にベティーに言うかしら。今回は褒めておくのよ」

 

と、返されてしまったので、それはそれだ。

 

「――見えてきたわ」

 

ふいに、竜車に沈黙が下りたかと思えば、エミリアがそう呟いた。

竜車の窓から先を眺めるエミリア、彼女の目には遠く、目的地が見えたのだろう。スバルにも、窓の外の景色が見慣れたものになりつつあることがわかった。

 

「懐かしの道だ。もうすぐ、ロズワール邸だな」

 

そうこぼし、まずは最初のチェックポイントを目前に気持ちを引き締める。

この一行の目的地は冒頭の通り、『賢者』シャウラとの話し合いを求めてアウグリア砂丘へ向かうことなのだが、その道行きの準備と、長旅の中継地点としての意味合いで、道中のロズワール邸へ立ち寄ることで話がまとまっていた。

 

都市プリステラでの出来事や、『賢者』との話し合いに際しても、屋敷にいるであろう陣営の仲間と相談したいことが山ほどある。

それに、それに――だ。

 

「寄り道ってだけの話じゃ、ないからな」

 

『賢者』へ会いにいく旅路の前に、ロズワール邸に寄ることには意味がある。

大きな目で見れば、小さな世界のささやかな意味が。だが、ナツキ・スバルという小さな人間の目で見れば、大きな可能性を持った意味が。

 

「――――」

 

遠く、まだ見えてこないロズワール邸を幻視するように目を細めるスバル。

そのスバルの姿に、竜車の中の彼以外の四者がそれぞれ目を向けている。視線の色は感情は、様々だが――そのいずれの視線にも、気付く余裕がスバルにはなかった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

ロズワール邸へ竜車が到着したのは、それから一時間後の正午過ぎだった。

都市プリステラを発ってから、十日ばかりの長い移動はいったん終わりだ。

 

「スバル!」

 

「おお、ペトラって、うおわ!?」

 

屋敷に地竜で乗り付け、御者の男性に礼を言って客車を降りる。と、屋敷の方からパタパタと駆けてきた小さなメイドが、そのままの勢いで飛びついてきた。

少女の勢いと威力を胸で受けて、スバルは後ずさりながらもなんとか受け止める。そして腕の中、飛び込んできた少女の頭を撫でた。

 

「いきなりだとびっくりするじゃねぇか、ペトラ。一ヶ月近く留守にしてたけど、元気にしてたか?」

 

「わたしは見た通り、元気にしてたよ?でも、スバル……様の方は大変だったんでしょ?一昨日に手紙が届いて、ずっと心配してたんだから。またいっぱいケガしたんでしょ?痛いの我慢してませんか?」

 

「こしょばいこしょばい」

 

赤みがかった茶髪を揺らして、ペトラがぺたぺたとスバルの体を触って確かめる。その手つきにスバルが苦笑していると、他の面々も竜車から降りてきた。

 

「ほれ、ペトラ。ちゃんとお屋敷のメイドとしての役割を果たせ。じゃないと、ラムやらフレデリカやらに怒られるぞ」

 

「……はい。あとでお話、聞かせてね」

 

戻って早々ではあるが、すっかりペトラの信用は損ねてしまったらしい。

結晶石を譲ってもらう、なんて話し合いに出ていった先で、都市全体を巻き込むような騒ぎに巻き込まれればペトラの心配も仕方ない。とはいえ、魔女教に関してはスバルが意図して引き起こした騒ぎではないのだが、その言い訳も無意味だろう。

魔女教の目的の大半が、エミリア陣営と関係があったのは事実なのだし。

 

「お客様、長旅お疲れさまでした。当家でメイドをしております、ペトラ・レイテと申します。これよりお屋敷へご案内させていただきます」

 

スバルの述懐は余所に、ペトラが堂に入った仕草で口上を口にしている。

ユリウスと、彼に手を借りて竜車を降りたアナスタシアも感心した顔だ。心なしかエミリアとベアトリスは、自慢げな顔つきにも見える。

 

「小さいのにしゃんとした子ぉやね。しっかり教育が行き届いてるわぁ」

 

「確かに、スバルに飛びついていた態度とは別人のようでしたね」

 

「――お恥ずかしいところを」

 

微笑むアナスタシアにユリウスが同意すると、その内容にペトラが頬を赤らめる。そんな少女を見下ろし、ユリウスはそれからスバルを見ると、

 

「なるほど……ますます、君が『幼女使い』ともてはやされる所以を痛感させられる」

 

「言っとくけど、ペトラは幼女ってほど小さくねぇし、百歩譲っても俺が使う幼女はベア子だけだから。勘違いすんな」

 

「ベティーも、使われるというほどスバルに都合よく働いてやってるつもりはないかしら。スバルも、そこは勘違いするんじゃないのよ」

 

ユリウスの軽口に辛口で応じると、さらに辛口でベアトリスにたしなめられた。

スバルが口をへの字にして黙ると、ため息をついたベアトリスがペトラの下へ。件のペトラと並んで、彼女のメイド服の裾をちょこんと摘まむと、

 

「それにほら、ベティーとペトラの間にそんなに差なんてないかし……待つかしら。ペトラ、ちょっと背が伸びてる気がするのよ。髪もちょっと伸びてるかしら……!」

 

「だって一ヶ月経ったし、わたしも今は成長期だもん。背も伸びるし、髪だって切らなかったら伸びるよ。ベアトリスちゃんは小さいままだね」

 

「な、なんてことなのよ……!」

 

愕然となるベアトリスを、笑ったペトラがぎゅーっと抱きしめる。むくれ顔のベアトリスを十分に抱擁して、それからペトラが「では、ご案内します」と歩き出した。

 

「んじゃ、ようやく屋敷に……んが」

 

その背中に続こうとして、スバルの後ろ襟が誰かの手に掴まれる。喉が詰まる声を上げて振り返ると、掴んだのはまさかのエミリアだ。

エミリアはスバルの後ろ襟を掴んだまま、背後の竜車に顎をしゃくり、

 

「スバル、パトラッシュが不満そう」

 

「む……わがままなやっちゃなぁ」

 

エミリアの指摘に地竜を見れば、竜車を引いて走った二頭の地竜の内、漆黒の美しい地竜がスバルをやけに刺々しい目で睨みつけている。

スバルの愛竜であるパトラッシュだ。地竜はスバルが視線を合わせようとすると、露骨に目を逸らし、不満げに小さく鳴く。

 

「ホントに、十日もあったのに仲直りできなかったわね」

 

「わかるけど、今回は真面目に俺のせいじゃねぇと思うんだよなぁ……」

 

頭を掻いて、スバルはへそを曲げているパトラッシュの対応に苦慮する。

パトラッシュがここまでスバルに塩対応なのは、振り返れば都市プリステラを出発したときから――否、その少し前までさかのぼる。というのも、魔女教防衛戦の終了後に、地竜の厩舎に迎えにいったらすでに機嫌が悪かったのだ。

 

オットーが負傷離脱でいなかったため、パトラッシュとは言葉を交わせていない。ただ、さすがにパトラッシュとの付き合いも長いのだ。そろそろこの愛竜が、スバルの何に対して怒っているのかもわかろうというもの。

 

「そりゃ、騒ぎの中でほったらかしにしといて、それで心細い思いをしてたってのはわかるんだけど……ごふぁ!?」

 

「スバル!?」

 

外れ、とでも言いたげに尾をスイングされ、直撃を受けたスバルが土塗れになる。相変わらず、パトラッシュの攻撃的な対応には優しさがない。スバルが意図と違う返答をすれば、何の躊躇いもなく一撃をぶち込んでくる。

 

「ま、まさか……レグルスの攻撃も避けきった俺が避けきれないとは……」

 

「大丈夫?パトラッシュ、また急に尾をブンブンし始めたけど、これって正解が言えなかったらまたおんなじことするつもりでいるんじゃない?」

 

膝をついて立ち上がると、手を貸してくれるエミリアの恐るべき発言。彼女の言葉にパトラッシュを見ると、確かに地竜は長い尾を振り回し、スバルを威嚇するかのようにその先端で風を切り刻んでいた。ワンミスごとに威力倍、とでも言いたげだ。

思わずゾーッとなり、迂闊な回答はできないとスバルの喉が引きつった。

 

「そんな風に悩まずとも、君の地竜は君への思いやりに溢れているよ」

 

だがそこに、案内の出鼻を挫かれたユリウスが、業を煮やして割り込んでくる。スバルは彼の物言いに、自分とパトラッシュを指差して、

 

「ホントに?俺、こんなに土に塗れてるけど?これ思いやり?」

 

「親愛の証は目を見ればわかるだろう?情の深い地竜だ。大方、あの騒ぎの最中に君の助けになれなかったこと、君に助けを求められなかったことを怒っているのだろう。それは君への怒りより、自憤の方が強いかもしれないな」

 

「なんなのそれ、どんだけヒロイン力上げてくるの、やめろよ」

 

ユリウスの指摘がどこまで正答かは知れないが、少なくともパトラッシュの尾の素振りがその言葉に止まったのは確かだ。スバルが改めてパトラッシュを見ると、変わらず地竜は顔を背けたが――、

 

「なんだか、そう聞いてから見ると、照れてるように見えるわね」

 

「エミリアたんも?俺も。胸がときめくから、たまににしてくれ、パトラッシュ」

 

声をかけ、おっかなびっくり手を伸ばすと、パトラッシュがようやく頭を下げ、その固い鱗に覆われた体に触らせてくれる。都合十日もあった冷戦は、どうにかこれで終わったと見てよさそうだった。

 

「もういい?もう大丈夫?」

 

いつまで経っても屋敷の前庭から動き出せず、ペトラがやきもきしている。

案内を申し付けられて出てきて、それなのにこれだけ時間を食ったのだ。

 

「早く戻らないと、ラム姉様にまた怒られて……」

 

「――その心配ができるなら、あともう少し努力が足りなかったわね」

 

「ぴゃ――!?」

 

パタパタと足踏みしていたペトラが、その声に悲鳴を上げて背筋を正す。振り返れば視線の先、屋敷の方からやってくるのは桃色の髪のメイドだ。

疑いようも見間違えようもなく、ラムである。彼女はペトラを睨みつけて石像のように変えたあと、ゆっくりと客人やスバルたちの方を眺めて、

 

「最近はペトラも仕事ぶりが上達したと思っていたのに、ようやっと認められると思ったところでこの体たらく……ラムは本当に残念だわ」

 

「ご、ごめんなさい、ラム姉様……その、お仕事、認めてくれそうだったの?」

 

「ええ。ラムより料理もおいしいし、ラムより掃除も気が利くし、ラムより洗濯も上手になったし、ラムより早寝早起きだし、認めそうになっていたわ」

 

「そこはお前が自分に疑問を持てよ!」

 

メイド歴一年ちょっとの少女に、ベテランメイドがどれだけ負けるのか。ペトラの呑み込みの良さを鑑みても、ハードルが低すぎて話にならない。

そのスバルの叫びに、ラムが「ハッ」とすっかり見慣れた様子で鼻を鳴らし、

 

「自分に疑問なんて持ってどうするの?ラムが自分に持つのは期待と自信だけよ」

 

「ラムのそういうとこだけは、本当に尊敬に値すると常々思う」

 

威風堂々たるラムの宣言に、スバルは呆れながらもそう答えた。

実際、ラムの前向きさというか、揺るがなさは見習うべき点がある。ただ当人にはもう少し、自分を省みてほしいとも思うが、

 

「それをしたら、ラムがラムじゃないって気分になるか」

 

「ゾッとする話ね。それに、いつまでもこんなところにお客様を放置しておくわけにもいかないでしょう。早く屋敷に入るわよ」

 

肩をすくめるラムの言葉に、スバルも同意する。

さすがに入口で時間を食い過ぎだ。これ以上ここに留まっていると、しまいにはフレデリカやロズワールまで顔を出しかねない。

王選候補者やら辺境伯やらが揃って、何をしているのかという話だ。

 

「ロズワールはちゃんと屋敷にいてくれてる?」

 

先導するように歩き出すラムが、ペトラの肩を叩いて硬直を解除する。その背中にエミリアが声をかけると、ラムは「はい」と振り返らずに応じた。

 

「幸い、手紙が届いた時点でお屋敷に御滞在でしたので、そのまま残っておいでです。プリステラのことの概要は手紙で……詳しくは積もる話もおありでしょう」

 

「そうね、ちょっと色々あったから……」

 

「出かけるときと、人員が様変わりしていますものね。――ガーフとオットーは死にましたか」

 

「死なすなよ!死んでねぇよ!負傷離脱で帰るの遅れてるだけだよ!」

 

何をちょっと溜めていい声で言い出すのかと、スバルの突っ込みが裏返る。それに対してラムは悪びれない態度で肩をすくめる。

 

「余裕のない男は底が知れるわよ。特にバルスの底には穴が開いていて中身がこぼれ出しているんだから気をつけなさい。底が知れて中身が空なんて、最悪だわ」

 

「ズバッと傷付くからやめてくれ!それに、そんなことより……」

 

スバルたちの出発に先駆けて、プリステラから屋敷へ送った手紙――その内容が共有されているのであれば、スバルたちの帰還がただの帰還でないこともわかっているはずだ。

 

故に、手紙の後半の内容を確認しようとスバルが言葉を選ぶと、ラムがそれに先んじて指を立てた。そして、

 

「言ったでしょう、安心なさい。ロズワール様は御在宅……それから、『眠り姫』も『座敷牢』も、どちらも準備は整っているわ。もっとも」

 

押し黙るスバルに、ラムはそこで言葉を切り、唇をそっと舌で舐める。

赤い舌先が桃色の唇をどこか嫣然とした仕草で湿らせ、彼女は言った。

 

「どっちの準備も、ラムじゃなくてフレデリカとペトラの仕事だったけれどね」

 

「なんでそこでお前が自慢顔すんの?」

 

ともあれ、一ヶ月ぶりの再会であっても、まぁ、彼女はそんなもんである。