『捕虜交渉と再会』
――時はスバルがフードを外し、魔女教徒たちの前で素姓を明らかにした場面に戻る。
高々と上げた右手の先で指を鳴らし、スバルが意気揚々と口上を放つと、それまで状況を見守るばかりだった魔女教徒たちが一斉に動き出す。
対話鏡を手にしたひとりと、スバルを挟むように立っていた二人が同時に懐に手を差し込み、そこから十字架を模した短剣を――、
「――判断が遅い」
一言、魔女教徒の判断ミスを端的に指摘し、木々の隙間から剣鬼が舞い降りる。
銀閃が走り、短剣を握る信徒の腕が二の腕半ばで切断されて宙を舞った。血飛沫が散り、暗がりを迸る刃の煌めきが残酷な美しさを軌跡で描く。
腕が地に落ちる音と、溢れ出す血が落ちた枯葉を叩く音が連鎖。が、腕を失う激痛に身を焼かれながらも、魔女教徒はその喉から呻きひとつ漏らさずに撤退を即断。膝をたわめ、その場から切り返して三者別方向へ逃れようとする。しかし、
「申し訳ないが、すでに足下はこちらの手の内にある」
踏み込もうとした足先が地に沈み、三者がそれぞれ体勢を崩して膝をついた。そのまま、体を起こそうとする男たちの首に一本ずつ刃が宛がわれる。
先制したヴィルヘルム、追撃で地面をぬかるませたユリウス。そして、
「いいとこどりのフェリちゃんでしたー」
ピースサインのようなもので表情を飾り、珍しく短剣を抜いたフェリスがスバルの方へ愛嬌を振りまいていた。
その不真面目な態度はともあれ、概ね想定通りに状況を進められたことにスバルは安堵の吐息をこぼす。
この場に参じたのはスバルを除けば、実力と信頼の高いこの三者のみだ。あとの面子は騎士勢は村に残り避難の誘導を。そして、傭兵団に関しては別の仕事に回ってもらっている。こちらが失敗に終わった場合、その保険が生きてくるはずだったが、
「うまくいってホッとしたぜ。あんだけかっこつけてミスったらダサいなんてもんじゃねぇし。フェリス、止血とか頼む。聞くこと聞く前に死なれると困る」
「顔、青くして言うことじゃにゃいと思うけどぉ?」
固い声に渇いた唇。暗がりな上に額に手を当て、表情を隠していたつもりが見透かされる。フェリスの指摘にスバルは苦い顔をして、一度だけ目をつむった。
眼前で繰り広げられた凄惨なやり取り。
魔獣騒ぎや白鯨との戦いとはまた別で、やはり人の形をしている同士の斬り合いというものにはまだ慣れない。人の死も死体も、別世界のような印象が消えない。
落ちた腕の現実感のなさに酔いそうな感覚を覚えながら、スバルは軽く頭を振って弱気を追い払う。そうしてこちらが折り合いをつける間に、フェリスは失血しないよう魔女教徒に止血を施し、順次ユリウスとヴィルヘルムが彼らを縛り上げた。
「それにしても、行商人に内通者がいるにゃんてよく目をつけてたネ」
「白紙の親書、って時点ですり替えられてんのは明白だろ。ラムの話じゃ、持ってきたクルシュさんとこの使者は、それ聞いてすぐに取って返し王都に戻ったって話だし……今回に限っちゃ、時間がなかったのもあって足代わりの協力者の選別が雑だ。世の中ってのは最悪の想定より、もうちょい悪いようにできてんだよ」
フェリスの賞賛に淡々と経験からの答えを返し、スバルは捕虜を見て深く息をつく。
痩せた男に老齢の男性。そしてなにより、対話鏡を手にしてこちらの情報をペテルギウスへ渡そうとしていた男――その人物の顔に、見覚えがあったのだ。
「思い出した。確かあんた、ケティって人だよな」
「――なぜ」
「さて、なんでだろうな。存分に、俺ぐらい悩んでくれていいぜ?」
名前を呼ばれて男――ケティという商人が一言だけ問いを発する。それにとぼけた返事をして、スバルは見知った人間が敵だった事実に軽いショックと、同時にこれまでの展開上のある種の納得も得ていたのだった。
ケティという人物は、スバルにとってこの王都を発端とするループの最初の回で遭遇した人物に当たる。
リーファウス街道が霧に覆われたあと、街道を迂回する道中でレムに置き去りにされたスバルが、足を確保するために村を駆けずり回っている途中で出会ったのが彼だった。その彼伝いにオットーを紹介され、初回はメイザース領へ戻ることが叶ったのである。もっとも、その時点ですでにあらゆる事が手遅れ――最悪の記憶だ。
そして二度目の世界――はどうしようもなかったとして、三度目の世界。
復讐心に駆られて街道を突っ切り、中途で行商人の集団と遭遇。そこを取り仕切る形でいたのがやはり、彼とオットーの二人だった。そしてスバルは村人の足確保として今回と同じ発想でオットーらを雇い、『王都に向かう』と居残った彼に別れを告げ、その後に白鯨と遭遇、行商人の集団は壊滅状態に陥った。
今にして思えば彼は、こちらの行動の分け目に居合わせていたにも関わらず、狙ったかのように難だけは避け続けてきた。それはつまり、
「事情に通じてたから、ってわけだ。このまま放置してりゃ、せっかく行き先不明の聖域の場所も、二手に分かれての避難行動も筒抜けになるとこだ」
「だが、幸いにも出がかりを潰すことはできたようだ。付け加えれば、これで森に潜んでいるはずの魔女教に対しても機先を制することができるだろう」
スバルが考えをまとめると、ユリウスがそれを引き継いで小さく顎を引く。スバルもそれに同意し、期待しての行動ではあったが、
「でも、こいつらってなんかすげぇ口堅そうじゃね?下手に無理やり喋らせようとすると、『魔女教に栄光あれ!』とか言って自殺しそうな気配があるんだけど」
「事実、魔女教徒にはそうした死を恐れない慣習が根付いております。四百年にもわたり、彼奴らの底が知れないのはそのあたりの影響もありますな。捕縛した集団がほぼ一斉に自害、真相は闇の中……珍しいことではありませぬ」
薄暗いスバルの想像をヴィルヘルムが肯定。
そのテンプレばりな狂信者思考にスバルは「うへー」と舌を出し、あわやこの場でケティたちが自爆しやしないかと気が気でない。
が、そんなスバルの懸念を打ち払うように、フェリスは大きく手を叩くと、
「はいはい、暗い話しにゃいの。そんなことににゃらにゃいために、こーしてフェリちゃんが前線に出張ってきてるんじゃにゃい」
「いや、内通者の心当たりがあるって話したらお前が意気揚々とついてきたんじゃん。戦闘力ないのにどうしてきたのって正直思ってたよ、俺」
「まあ、にゃんて失礼にゃ。そのスバルきゅんのあまりにもあんまりな考えを、フェリちゃんが払拭したげようじゃにゃいの」
フェリスは可憐にウィンクしてスバルをげんなりさせたあと、ゆっくりと男たちに歩み寄る。それからその大きな猫の瞳をくりくりと動かし、じっくり三人を観察。そして男たちの中から、老齢の男性に照準を定めると、右の掌で男性の額に触れる。
がっしりと、華奢な指が男の額を容赦なく掴み、小さく吐息。そして、
「掻き混ざれ――」
「――ッ!!」
フェリスの掌が淡く光り、青白い輝きが男の額を中心に全身を包み込む。それは彼が治療を施すときの光景と同一のもので、スバルも体の中のゲートの異常を修復するために幾度も受けた治癒そのものであったが――効果が劇的に違う。
「あっ……がぅっ……うぶっ」
青白い光に全身が包まれたかと思いきや、男が唐突に手足を痙攣させ始め、目を見開いて舌をだらりと苦しげに伸ばし出したのだ。
目は一瞬で血走り、苦鳴を上げる男の口の端から涎が伝う。ぽたぽたと地を汚しながら、なおも男は終わらない責め苦に魚のように喘ぐばかりだった。
「おい!いったいなにを……」
「ちょっと体の中のお水に干渉して、苦しい思いをしてもらってるだけだヨ。心配しにゃくても、廃人にしたりしにゃいから大丈夫。――お人形さんにはするけどネ」
突然の捕虜虐待行為――それも、傍目からはなにをしているのかわからない形でのそれにスバルが声を荒げるが、当のフェリスは涼しげな顔で鼻歌まじりに続行。その姿にスバルはゾッと寒気を感じるが、その肩を後ろからヴィルヘルムが叩き、
「少々乱暴に見えますが、魔女教と相対する上では必要な処置です。どうか、スバル殿にも堪えていただきたい」
「別に敵が痛めつけられてるの見て心が痛む、とか言い出すほどお人好しじゃねぇけどさ……こんだけ苦しめられてるとこ見ると、説明欲しかったりするぜ、さすがに」
横目に状況を見守りつつ、変わらない男への拷問じみた振舞いにスバルは口を曲げて不服を表明。すると、そうして不満げに立つスバルに「簡単に説明すると」とユリウスが指をひとつ立て、
「治療の名目で、フェリスは彼らに水の系統魔法を施しただろう?彼はその内側に通したマナに干渉し、ある程度の影響力を奪い取ることができるらしい」
「……それ、つまるとこ、どういう意味?」
「フェリちゃんが触った相手は、ちょこっと抵抗力が低いとフェリちゃんに対して従順な小猫ちゃんににゃっちゃうってお話」
眉根を寄せて問いかけるスバルに、満足げに膝を払うフェリスが気楽に応じる。彼はスバルの疑惑の眼差しにも手振りで軽々しく応えると、「さ、いいよん」と先ほどまで触れていた魔女教徒を示し、
「制限時間付きだけど、今ならそれにゃりにお話が通じると思うヨ?一度、効果が切れると次またやるのは時間を置かなきゃにゃんだけど」
言いながら、フェリスはゆっくりと首を巡らせ、残る二人の魔女教徒を見ると嫣然と微笑みを深くして、
「まだ、二人もいるから全然大丈夫だよネ」
「時々、お前のSっ気が垣間見える気がしてドン引きだよ、俺は。……本気、じゃないよな?」
「うまく聞き出せたら、本気にしにゃくて済むってお話かにゃぁ」
唇に指を当てて体を揺すり、フェリスはスバルの憂慮を笑い飛ばす。
その態度にスバルはヴィルヘルムとユリウスに意見を求めるように目を向けたが、二人は揃って首を横に振ると、
「人道的に褒められた手段ではないが、大事の前の小事と割り切るよりないだろう。残りの二名に関しても、できるならこのまま王都へ連行したいところだ」
「貴重な情報源ですからな。長きにわたって暗躍し続けてきた魔女教です。その尾を掴むためにも、有益に使わなければなりますまい」
二人の意見はフェリスに同意の姿勢であり、スバルも手段を選り好みしていられる状況ではないと、いくらか内心の不満に関して目をつぶる。
それから咳払いし、いつの間にかレイプ目に陥った魔女教徒と向かい合い、
「とりあえず、聞きたいこと聞いていこう。今回、この襲撃に参加してる魔女教徒は何人だ?何組に分かれて、森に潜伏してる?」
「――――」
「おい、素直に答えるって話なのにだんまり決め込まれたぞ」
問いかけに無言の応答があり、不信感を込めてフェリスを見ると、彼はその華奢な肩を左右に揺すって舌を出し、
「いくらにゃんでも、本人の知らにゃいことまでは答えられにゃいよ。無言が答えってことは知らにゃいんでしょ。切り替えて、次、次っ」
「釈然としねぇ。じゃあ、お前らを率いてるペテ……大罪司教の話だ。名前と風体、なにができるのかを話せ」
「司教様の……お名前、はペテルギウス……。痩せた体つきの、緑の髪の……骨の浮いた顔つきの男性で……」
ぼそぼそと、スバルの質問に素直に答える男。その答えを聞きながら、「あ、やっぱり信者にも病人っぽい痩せ方してると思われてんだ」と変な納得を得ながら、スバルはさらに質問を続ける。だが、
「使える能力は?」
「――――」
「森に仕込んでる指先の数」
「――――」
「誕生日と血液型と好きな女の子の体の部位」
「――――」
「もうお手上げじゃねぇか!」
無言の返答の多さに嫌気が差し、早くもスバルのゲージが振り切れる。
知らないことは喋れない、と前置きされていたものの、これだけ未公開情報が身内に多い相手を尋問するのも骨が折れる話だ。いっそ、スバルの方が持っている情報が彼らより多い可能性すらある。
頭を掻き毟り、どうすべきかとスバルが思い悩んでいると、それを見かねたように下がったはずのフェリスがこちらの肩を叩き、
「もう、仕方ないにゃぁ、スバルきゅんは」
「そんなこと言ってもフェリえもん、こいつら無知すぎるよ……」
「えもんてなにさ、どこからきたの」
「ネコミミからの類似点が……あ、あいつネコミミなくしてたわ!」
応答にスバルのそれを戯言と判断し、吐息をこぼすフェリスがスバルと尋問の役割をチェンジ。役者不足を言外に指摘され、落ち込むスバルは場を明け渡しつつ、
「ん……と、これは」
と、足下に落ちていた物体――未使用でケティの手から落ちていた、対話鏡を拾い上げる。草と土を払い、マジマジと見てみればそれはスバルの知る折り畳み式の手鏡にかなり酷似していた。コンパクト、がイメージ的にもっとも近いだろうか。
「魔法の呪文を呟いたら、変身とかできちゃったりする不思議アイテム……いや、実際不思議アイテムではあるのか。アブラカタブラアーメンソーメン」
適当に呟きながら、スバルはコンパクトの手の中で開け閉め開け閉め。中の鏡には久しぶりに見る自分の仏頂面が映り込んでおり、よく見れば土と汗と血が混じり合ってひどい顔色になっているのがわかった。エミリアには見せられない。
と、そんな判断で今回の展開の慰めを行っていたところ、ふいに手鏡に変化が生じた。急に縁が光を放ち、熱を持ち始めたのだ。
「う、お……お?あれ、ひょっとしてなんか変なとこ触った?」
慌てて、手の中の対話鏡をいじくり回してみるが、光は徐々に強くなり、弱まる気配がない。いよいよ壊した疑いが強くなり、同時に『魔法器は非常に高値で取引されている』というかつての禿げた爺さんとの会話が思い出されて冷や汗が噴き出す。
そうしてひとり相撲で財政危機を迎えるスバルの様子にユリウスが気付き、
「スバル、いったいなにを……」
「な、なにもしてねぇよ!?ちょっとテクマクマヤコってただけで、特別なことはなにもしてないんだって!なのにこれ、ちょっと変な感じになって……」
「まさか、起動術式を解いたというのかい?」
しどろもどろのスバルの言い訳に、ユリウスはかすかに驚いたあとで駆け寄る。それからスバルの掌の上の対話鏡に目をやり、信じられないものを見た顔で、
「対話鏡は魔法器の中でも出回る数が多い代物だが、対の対話鏡と繋ぐには相応の手順を踏む必要がある。とりわけ、起動術式は繋いだものの自由にできる部分だけに、知っているものから聞き出す以外に引き出す方法は限られているのだが……」
「え、なに、つまりどゆこと?」
「今、フェリスが聞き出そうとしてくれていた事を、君がほとんどやり遂げてしまったということだよ。対話鏡の起動術式を解除して、繋がる対話鏡を割り出せれば」
戸惑うスバルの手から対話鏡を受け取り、ユリウスは指先にマナを集めながらなにいやら手鏡を操作し始める。パッと見、スマートフォンかPDAを操作するような場面に見えなくもない姿に、ガラケー止まりのスバルは大人しく待つしかない。
が、その複雑そうに見える操作もほんの十数秒で終わり、
「――お手柄だ、スバル。今、これと繋がる他の対話鏡の場所を見つけ出した」
「すげぇ……つまり、GPS機能ってことだな?それってここからわかんの?」
「ジーピーエスがなにかはわからないが、対話鏡の場所はわかったとも。対話鏡が通じるのは二ヶ所……一ヶ所は森の中だが、もう一ヶ所は少し離れているな」
対話鏡から顔を上げて、森の向こうへ視線を送るユリウスにならう。木々の緑に遮られて見えないが、スバルの方向感覚が誤っていなければ、ユリウスが視線を向けているのは山々が連なる方角であり、行ったことのある場所だ。
村の西側――ジャガーノートの群れがいた森、その場所に他ならない。
ロズワールの魔獣掃討後、危険な生物の存在はおそらく減少しているはずだ。切り立った崖など、スバルも一度『身投げ』した土地だけに因縁は浅くない。
「そこに、魔女教がいるってのか。……そいつは知らない奴だ」
ペテルギウスの指先――その呼び名から、おそらくは十ヶ所に潜む狂人の手先であるのだとスバルは予測している。その指先の潜伏場所は、すでに二度のループの経験で大まかに八ヶ所は割れている状況だ。
そして、今回の行商人に潜んでいた三名を不明だった一ヶ所だと判断すれば、たった今判明した場所こそが、最後の一ヶ所ということになる。
「対話鏡でわかるのは二ヶ所。他の場所には対話鏡はないと考えていいのか?」
「いくら市場に出回ることが多いといっても、対話鏡も希少な魔法器であることに代わりはない。精製法はわかっているが、かかる資金と時間――労力を考えると、あまりわりに合うものとは言いづらいからね」
肩をすくめるユリウスの仕草に顎を引きながら、スバルは彼らと違う意見を持つ。
スバルはこれといって、元の世界で軍事関係であったりとか戦争関連の情報に興味を持っていたわけではない。わけではないが、それでも情報伝達の速度と正確性の重要さぐらいは知っている。
『わりに合わない』と軽視しているこの技術が、どれほどの発展性を秘めているのか彼らには想像がつかないのだろうか。
「まぁ、携帯電話普及への思いは先延ばしにするとして、それが確実ならいい。綿密な情報伝達が対話鏡頼みで、それの持ち主が二ヶ所だってんなら……」
――一ヶ所は、おそらくはペテルギウスのところだろうと判断する。
集団の頭、指揮系統の終着地である首脳部が対話鏡を持つのは自然なことだ。そして敵対集団に潜伏するスパイにひとつ、そしてもう一ヶ所があるのならばそれは、
「後詰めか、隠し札……どっちにせよ掴んだぞ、尻尾」
拳を握り固めて、スバルは今度こそと状況の変化に唇を噛みしめる。
そして、今もなお尋問中のフェリスと、見張りを続けるヴィルヘルムにも情報を共有しようと足を向けて、
「二人とも、ラッキーなことに対話鏡が動いてくれた。これで残りの……」
「――ッ!」
無防備に手を掲げて歩み寄るスバル。そのスバルの手に、光を漏らす対話鏡があるのを目にした途端、それまで大人しくしていた捕虜の様子が豹変する。
フェリスが術をかけた以外の二人がその顔を凶相へと変えて、縛られたまま跳ねるようにしてこちらへ身を飛ばしたのだ。
「――お」
とっさのことに固まるスバル、その喉笛目掛けて、縛られたままだったケティが牙を剥き出しに噛み千切りにかかる。が、それは届く直前で、
「御免――」
斬撃が走り、長身の胴が上下真っ二つに分かたれて落ちた。
内臓と血を大量にばら撒きながら、ケティはまるで獣のような咆哮を上げて、下半身を失ったまま地面を痙攣――そのまま、凶悪な面貌で絶命する。
そして、ヴィルヘルムの斬撃を浴びたケティと異なり、もうひとりの側は、
「ぶぶぶぶあああばふぁあばばばば――」
こちらへ飛びかかる姿勢のまま、前のめりに地面に崩れ落ちて手足を震わせ、喉が嗄れているかのように舌を伸ばして目を血走らせていた。
その肌が暗がりでもわかるほどに赤く染まり、内側からの圧迫に堪えかねて血管が膨張し、びっしりと全身に緑の紋様が浮かんでいる。
「……おいおい」
呟き、いつの間にかスバルは自分がその場にへたり込んでいたことに気付く。そんなスバルに肩を貸して、後ろからきたユリウスが立たせてくれる。もっとも、膝下がなかなかいうことを聞かず、立ち上がるのにかなりの時間が要ったのだが。
「戦意の強さのあまり、加減が利きませんでした。申し訳ありません」
血糊をふき取った宝剣を鞘に納めて、ヴィルヘルムがケティを斬ったことを詫びる。そして、それからしゃがみ込んで、痙攣するもうひとりの体を調べると、
「こちらも、もはや息はありませぬ。――フェリス、惨いことをしたな」
「だって、いきにゃりだったから仕方ないじゃにゃい。スバルきゅんの首がかじられて、クルシュ様に怒られるのやーだもん。……どったの?」
死体を確認したヴィルヘルムに舌を出すフェリス。その彼らのやり取りに目を向けず、スバルは全身水ぶくれのような状態になって死んだ男の体を凝視している。
苦悶に満ちた表情で、もはや一目で元の人相がわからないような状態。それは人の死に様としてあまりに無体なもので、なにより――、
「触ってもいなかったけど……これ、お前がやったのか?」
「そだよ。水の魔法のちょっとした応用。――傷を癒す優しいマナも、過ぎた量を注げば毒ににゃる。体の中のお水が元気になり過ぎるのも、問題だよネ?」
悪びれず、頭部のネコミミをぴくぴく揺らすフェリスにスバルは戦慄を隠せない。
男の死に様――それは今しがたひとりを斬り捨てたばかりのヴィルヘルムすら、その表情に苦々しいものを浮かべるものだ。それをやってのけて、一切の呵責を抱いていない態度にスバルは不気味なものを覚えずにはいられなかった。
なにより、今の言に従えば、
「お前は……」
「んー?」
「……いや、なんでもない。もうひとりは、大丈夫なんだよな?」
小さく首を振り、スバルはそれ以上の追及を藪蛇だと諦める。
呑み込んだ問いかけはこうだ。
――お前は、俺も同じように殺せるんじゃないのか?
フェリスの語った体内の水を暴走させる魔法。それが治療――フェリスの手から癒しのマナを受け取ったことがあるものに限定するのであれば、その条件にはスバルもしっかり当てはまっている。
そして思い出すのは、前回の襲撃の中でスバルを襲った圧倒的な苦痛の死。
全身の血が沸騰し、脳すら煮えたぎるような暴力的な熱。
あれをやったのがフェリスだとすれば、その死に方はまさしく目の前の男と同じものであり――、
「生き残った奴は王都に連行して尋問……の予定なんだろ?」
「こちらはまだフェリスの暗示が効いておりますので、問題はないでしょう。それでスバル殿、対話鏡が使えたとの話ですが」
顔色を悪くし、フェリスから視線をそらすスバルにヴィルヘルムが応対。彼はさりげなくこちらの視界から死体とフェリスを隠すように立つと、
「位置が割れたのであれば、奇襲をかけましょう。いずれ、定刻に連絡がないことを不審に思われればこちらの優位が失われます。そうなる前に」
「……それは、そうだな、うん。それはそうする。そうするけど」
ヴィルヘルムの提案に頷きながら、スバルは頭の中を整理する。
ペテルギウス。すでに経験で位置がわかっている八ヶ所の潜伏先。新たに判明した最後の一ヶ所。対話鏡。逃走するエミリアたち。戦い。憑依。精霊術。
「――フェリス」
「にゃーに?」
「その人を操れるって言うなら、対話鏡を使わせて喋らせるってのもできるな?」
思考を加速させていたスバルが目を開き、フェリスにそう問いを発する。と、彼はその質問を受けて一度まばたきし、それから嬉しげに唇をゆるめると、
「できるヨ?対話鏡で、繋がってる相手に意図的に誤情報を流すにゃんておちゃのこさいさい。――しちゃう?」
「ああ、しちゃおう。ただ、大したことは言わせなくていい。ボロが出て怪しまれても困るからよ。せいぜい、状況に変化なし。待機続行とかそんなでいい」
こちらの異変さえ伝わらなければ、奴らが少なくとも夜半までは静観を続けることは経験上確かな情報だ。
竜車で逃走する事実さえ露見しなければ、エミリアや村人を危機から遠ざけることは難しいことではない。
「定時連絡の方法を聞き出して、今の情報を繋がってる二ヶ所に伝えさせてくれ」
「符丁とかあるかもだから、そのあたりも気をつけておいてあげる。ふふーん、スバルきゅんも一皮むけたかもだネ、フェリちゃん嬉しい」
スバルの指示に頷いて、フェリスはなにが嬉しいのか対話鏡を受け取ると上機嫌に男に向き直る。それから鼻歌まじりに尋問と諜報を行う背中を見ながら、スバルはヴィルヘルムとユリウスの二人を呼び、
「二人に頼み、というか最終局面に入る上で役割を受け入れてもらいたいんだけど、いいかな?」
人事を尽くして天命を待つ――勝利を得るために、できる手は全て打たなくてはならない。
天命がなにもしないでスバルに微笑んでくれることなど、一度たりともあったことはないのだから。
※※※※※※※※※※※※※
――行商人に潜んでいた魔女教を一掃し、内患を排除して当面の憂いは消えた。
「ご武運を――」
エミリアがそう告げて竜車に乗り込み、村に居残るスバルたちへ感謝と憂慮の同居した眼差しを向けてきていたのがひどく心に残っている。
認識阻害のローブを羽織り、彼女に素姓を明かさなかったスバルの心痛は言葉にし難い。本音であれば今すぐに事情を打ち明け、彼女と手を取り合えたらと思う。
「ま、思うばかりで今は堪える。手、握って怒られなかった思い出は胸にあるから、泣いたりなんてしないもん」
適当な軽口で自分を誤魔化し、走り出す竜車を騎士たちと共に見送る。
数名の護衛の騎士が地竜にまたがり、竜車を警護しながらの避難だ。できる限り目立たないよう、さらに中途で二手に分かれる念の入れよう。
聖域に向かうラムの組と、王都へ向かうエミリアの組に分けてある。聖域側ではロズワールが、王都側ではクルシュが彼女らを出迎えてくれるはずだ。入念に保険もかけてあるため、彼女らの安全はある意味でスバルよりはるかに上である。
エミリアとの同乗を頼み込んだ子どもたちも、しっかりと彼女の手を握って竜車へ乗り込んでくれた。その反応に心から嬉しげにしていたエミリアが思い出されて、スバルの心にも温かなものが満たされる。
若干、竜車に乗り込む中、エミリアと隣り合っていたペトラの目――それがなにやら、対抗心みたいな感情に燃えていたのが気にかかったが、おそらくは大勢に影響はあるまいと判断しておいた。特にペトラはスバルの言葉をよく聞いてくれる子であったのだし。
「嬉しい感情で押し流して、状況に乗せてエミリアたんを逃がす。……ずいぶんと俺も人心を弄ぶクソ野郎になったもんだ。人の心も空気も読めないとご近所で噂になってた頃とは大違いだぜ」
さらに子どもたちには、竜車の中で『スバルの名前を出さないこと』と『エミリアを外へ出さないこと』を守るようお願いしてある。
前回、彼女が戦場へ戻ってきてしまったことには、前者ももちろんだが後者も原因であったとスバルは判断していたからだ。
あのとき、もしもエミリアの竜車に誰かが同乗していて、彼女の行いを引き止めるものがいてくれたなら――あんなことにはならなかったのではないだろうか。
心から彼女を思って引き止めてくれる誰かがいれば、きっと優しい彼女はそれを無碍にすることはできない。
それをスバルは意図的に、今回は子どもたちに役割を持たせることと、スバルの存在をエミリアに知らせないことで状況を作り上げた。
あとで彼女がこの全貌を知れば、ひどく軽蔑されるかもしれない行いだ。
死に戻りで未来を知っているとはいえ、それを理由に誰かの心を欺いて、ましてや自分の都合のよいように操るなど許されることではない。だから、
「もう絶対に一生、このことは秘密にしておこう……」
ばれなきゃセーフ、とまで言い切るほど良い性格はしていないが、少なくとも好んで自分からばらすようなマゾ体質でもない。お墓まで持ってこうと心に決める。
と、そのスバルに、
「村の人間と半魔の嬢ちゃんはもう行ったみたいやな」
乱暴な口調で、巨体を揺らす獣人――リカードが大ナタを担ぐ姿勢で近づいてくる。わずかに返り血を浴びた彼の姿に顔をしかめ、スバルは小さく吐息をこぼし、
「俺の可愛いエミリアたんを半魔とか呼ぶな、半犬」
「おお、半犬とか呼ばれると思った以上に屈辱やな!これは勉強させてもらったわ!傑作、傑作!」
皮肉を盛大に笑い飛ばされて、スバルとしても苦笑するしかない。それからふいに表情を消し、視線を上げて森の方へ目をやり、
「それでどうだった?奇襲は」
「向こうの場所がわかってて、こっちの警戒はまるでしとらん。それでしくじるやなんて金もろてる傭兵のやることとちゃうわ。うまーくやってきたわ」
獣の口を豪快に開き、リカードは牙を見せつけながら好戦的に笑う。
その彼の言葉を証明するように、森からは続々とライガーにまたがる傭兵団が飛び出してきて、その健在ぶりを証明するように無人となった村を駆け回る。
「ひゃっはー、みなごろしだー!」
「ちゃんと捕虜は捕りましたです。人聞きの悪いこと言わないでくださいですよ、お姉ちゃん」
率先して走り回る姉弟が微笑ましくもおっかない会話をしているところを見るに、結果は上々だったらしい。
勝算が高いとわかってはいても、送り出した側としては不安が多かった場面だ。
彼らの無事な姿にスバルはホッと胸を撫で下ろす。
「あー、それとなんやけど、ちょっと問題があってな」
が、そのスバルに声をひそめて、リカードが高い背を折り曲げて身を寄せてくる。その態度に不穏なものを感じ、スバルは眉をひそめる。
「な、なんだよ。嫌な予感がするから、できるだけ盛り上がった感じで頼む」
「そか?ほんなら、遠慮なく言わせてもらうんやけど!!」
恐いものを誤魔化すつもりのスバルに、真に受けたリカードが馬鹿でかい声で応じる。鼓膜を破られそうな音量に耳鳴りが頭蓋に響き、顔をしかめるスバル。その周囲をライガーに乗るミミが「ひゃっはー!まつりだー!」と駆け回る。
「うるせぇよ!そういう意味じゃねぇよ!せっかく静かにみんなを避難させたのにこっちの動向がばれたらどうすんだよ!!」
「兄ちゃん!兄ちゃん!もう兄ちゃんの声も十分でかいで!」
怒鳴り返すスバルにリカードが大笑い。
さっきまでの態度との違いに釈然としないまま、スバルは「もういい」と首を横に振り、
「いいから話せ。なんか問題が発生したんなら、作戦実行の前に聞いておかなきゃ修正が利かねぇ。今はひとつでも不確定要素を省かなきゃで……」
「いや、作戦に問題とかは起こらんで、たぶん。ただ、魔女教徒を捕まえたんはえーんやけど……それとは別口の問題があってな」
「別口……?」
リカードの言っている意味がわからず、スバルは首を傾げて疑念を表明。そのスバルの態度にリカードは頷き、言うより見せた方が早いとばかりに腕を上げ、
「ちょっと、さっきの奴、連れてきてんか」
命じられた部下が頷いて駆けていき、一頭のライガーを連れてくる。
その背には縄で縛られた人間が乗せられており、次第に近づいてくるそれを見て、スバルは疑念、不安、確信の表情変化を経て、
「魔女教徒のねぐらを奇襲したら、奥におったんや。どうもこの兄ちゃん、運が悪くて連中にとっ捕まっとったみたいでやなぁ」
言いながら頭を掻くリカードの前で、猿轡をはめられた人物がうなりを上げる。不当な扱いに文句を言っているようでもあり、命乞いをしているようでもあり、なかなか残念なその姿に、スバルは最初の衝撃を乗り越えると、
「ぶっ」
堪え切れず、噴き出して笑う。
指を差して、縛り上げられて身動きの取れない人物に爆笑して、
「お前、いないと思ったら捕まってたのかよ、オットー!」
と、運が悪くてこれまで場面に顔を出せなかった、最後の登場人物の名前を叫んだのだった。