『鬼も幸福も』


「ま、まさか……こんな、嘘だろ……!?」

 

往来で頭を抱えて、スバルは驚きに声を上げていた。

瞳に動揺を浮かべ、うろたえるスバル。その視線は商店――市場の左右に展開する露天商の内の一店舗に射止められており、褐色の肌の店員がスバルの大げさな反応に驚いて目を丸くしている様子だった。

 

だが、驚きに支配されるスバルは店員のそんな態度にも気付かない。

唇を震わせ、額にじっとりと浮かぶ汗を拭うことも忘れて、やけに苦い唾を飲み下す。と、そうして足を止めたスバルに、

 

「おい、急に立ち止まってどうしたんだよ。早く帰らねぇとどやされるじゃんか」

 

先を歩いていた連れが、唇を尖らせながら戻ってきた。

頭の後ろで手を組んで、鋭い目つきで不満を露わにしている。しかし、射殺しそうなほど鋭いその眼差しが、相手の機嫌の悪さと無関係に生来のものだとスバルは知っていた。

なにせスバル自身、目つき顔つきのことでは謂れのない中傷を味わってきた先達だ。

 

「強く生きろよ……」

 

「なに急に哀れんでんだよ!ああ、いい!聞きたくねぇ!聞いても滅入るだけになんのはわかってんだ!言うな!言うなっつんだよ!」

 

「そんな元気よく前振りされると俺の気持ちも前向きになっちゃうなぁ。ホント、お前は俺を乗せるのがうめぇ奴だよ。天賦の才だ。さては加護持ちだろ」

 

「マジでいらねぇ!お天道様も、そんな加護配ってる暇があんならもっと有意義な奴を寄越せよ!」

 

スバルの言葉に唾を飛ばして、三白眼の人物――短い青い髪の少年が嘆くように空を仰ぐ。スバルはそんな少年のオーバーリアクションに何度も頷き、それから改めてぼけーっと今のやり取りを見ていた露天商に向き直る。

そして、

 

「これ、いくらだ?」

 

「へ?」

 

呆気に取られた声が返ってきて、スバルはにんまりと笑う。その歯を剥き出す笑みの凶悪さに、露天商の喉が一瞬、「ひ」と引きつったのがわかって内心傷付くが、今のこの出会いの前では瑣末なことだ。

 

スバルは咳払いして、露天商の店先に並んだ『それ』を指差し、

 

「こいつが欲しい。くれ。とりあえず、袋で三つだ」

 

「へ、へえ!毎度、おおきに!」

 

「ちょ!ま、待てって!いきなり何を……余計なもん買って帰ったりしたら、どやされるどころか実力行使されるじゃねぇか!」

 

スバルの申し出を理解して、露天商が景気のいい返事をした途端、血相を変えて少年が縋りついてくる。背中側の裾を引っ張り、スバルに考え直すように言う少年。その手を取り、スバルは膝を折って視線の高さを合わせると、

 

「安心しろ。買い出し用の金に手ぇつけたりしねぇよ。買うのは俺のポケットマニー。コツコツ貯めてきた小遣いだ。小遣いの使い道のねぇ俺のこと、お前もよくわかってるだろ」

 

「あ、ああ、まぁ……酒も煙草も賭け事もやらねぇし、それ以外の金の使い道ったら……女に使ってばっかりだもんな」

 

「お前、わざと誤解を招きそうな言い方してんだろ?性格の悪さとひねくれ具合は誰に似たんだよ、それ知りたいわー」

 

「ほぼ間違いなく、遺伝だぜ。悲しいことに」

 

嘆くように首を振るスバルに、左の中指を立てて堂々と宣言する少年。スバルはその立てられた中指を掴み、「あ」と呟く少年の指の関節を極めて悲鳴を上げさせる。

そんなやり取りを交わす二人を前に、せっせと商品を袋に詰め込む作業をしていた店員が営業用の愛想笑いを浮かべて、

 

「仲良しでんなあ、旦那。そっちの坊とは、親子でっか?」

 

「おいおい、これだけ限られた条件の中でそれを見抜くたぁ……商売人の目力ってのも馬鹿にできないもんだな!どう思うよ、リゲル」

 

「オレの顔見てアンタと血が繋がってないって判断する方がよっぽど難しいだろうが!」

 

関節技でひっくり返されている少年――リゲルが負け惜しみのように叫ぶ。それを聞いてスバルは、「ま、それもそうか」とあっけらかんと応じた。

その間に、商品の袋詰めが終了。小袋三つを押し出す店員に、スバルは懐から小遣いの入った財布名義の袋を取り出し、

 

「んで、おいくら万円よ」

 

「マンエンってのが何やわからへんけど、お代は袋で銅貨十六枚や」

 

「んじゃ、銀貨三枚で足りるな。――兄ちゃん、釣りはいらねぇよ。とっときな」

 

「へえ!そいつぁ太っ腹やな!旦那、ありがたーくいただきまっせ」

 

差し出す銀貨を芝居がかった大仰な仕草で受け取る店員。その商売っ気と人懐っこさに思わず笑ってしまうと、すぐ下で手首を回すリゲルの恨めしげな視線。

関節技と、釣りがいらないという発言に不満を抱いているのがわかるが、

 

「いいんだよ。今日はずいぶん、懐かしいもんを見せてもらったんだ。この感動に見合うもんを支払ったって思えばいい。贅沢するとバチが当たるぜ」

 

「……感動とか懐かしいとか、何の話だよ」

 

立ち上がり、不服そうながらも話の続きを求めるリゲル。

スバルはそのリゲルの短い髪の毛を乱暴に撫でつけ、「んがー!」と吠えさせてから、

 

「ちょっと嫁にも関係のある、故郷の風習を思い出させてもらったんだよ」

 

と、悪い笑顔を浮かべて言ったのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「――それで、こんなに予定外の買い物をしてきてしまったんですか?」

 

出迎えに出てきた青い髪の女性が、スバルの説明を聞いて小さく吐息をこぼした。

スバルとリゲルが連れ立って家に帰り着いて、自宅に入ってすぐに出迎えてくれた人物だ。水仕事をしていたのか、白いエプロンには濡れた手を拭った名残がある。

エプロンにはスバルが手慰みに縫い付けたアップリケや刺繍が施されており、拭うにしてもその箇所だけは避けているのがひどくこそばゆかった。

 

「もう、何を笑ってるんですか。レムはまだ納得していませんよ」

 

思わず、口元を緩めてしまうスバルに女性――青い髪を長く伸ばしたレムはご立腹だ。彼女は罰が悪そうにスバルの隣に立つリゲルに視線を向け、

 

「リゲルもリゲルですよ。お父さんが突拍子もないことをするのはいつものことなんですから、あなたがちゃんとしていなくてどうするんですか」

 

「はい。すごく反省して……いや、おかしいだろ。落ち着いて考えてみてもおかしいよな!?なんで親父の奔放さで息子のオレが怒られてんの?立場逆じゃね?」

 

「待てって、リゲル。大きく息吸って、吐いて……そう、ゆっくりだ。それを五回繰り返してみろ、目ぇつむってな。一、二、三……そう、どうだ。落ち着いたか?落ち着いたな。それじゃ、改めてちゃんとお母さんに謝って……」

 

「ゆっくり深呼吸して冷静に立ち返って省みてもオレは欠片も悪くねぇよ!!」

 

落ち着きとは正反対に、顔を真っ赤にして怒鳴りつけてから家に上がり込むリゲル。レムの横を素早い身のこなしで抜けて、「リゲル!」と怒った様子で名前を呼ぶレムの声にも足を止めない。と思いきや、廊下を突き当たりまで走ったところで、

 

「……なんだよ」

 

と、足を止めて、母親の言葉を最後まで聞いてしまうあたりが根っこが甘い。レムはそうやってリゲルが立ち止まるのがわかっていたように、穏やかな表情で唇を緩め、

 

「部屋におやつが用意してありますから、手を洗ってから食べなさい。それと、スピカにただいまを言うのも忘れずにですよ」

 

「……わかってるよ。いただきます」

 

スバルとレムの教育の賜物で、物を食べる前の「いただきます」はナツキ家では鉄の掟だ。不貞腐れてようが反抗していようが、それに従ってしまうリゲルの善良さを二人して生温かい目で見送る夫婦。

せめてもの反抗に乱暴に扉を閉めて、リゲルが廊下から姿を消すと、改めてレムがスバルの方を振り返って、

 

「ちょっと、からかいすぎてしまったでしょうか」

 

「んにゃ、母子のコミュニケーションとしちゃ上等上等。リゲルもアレで本音の部分は絶対嫌がってねぇから。あいつ、ホントにびっくりするぐらい小さい頃の俺とそっくりだからそういうの筒抜けなんだよ」

 

しゅんとうなだれるレムを慰めながら、スバルは玄関で靴を脱いで家の中へ。

リゲルが放り出していった(といっても、ひっくり返らないように注意した上で壁にそっと立てかけていった)荷物を回収し、当たり前のように隣に並ぶレムと居間へ。

買い物袋をテーブルに置き、ついでに露天商で買ってきた三つの袋も見えるように置くと、レムがその袋の口から中を覗き込んで、

 

「本当に……何の変哲もない、ただの豆ですね」

 

「おお、そうだよ。なんだよ、いやらしい隠語だと思ったのか?俺の嫁は大人しげに見えてそういうとこ積極的だからな」

 

「愛情を行動で示したり、示されたりするのに躊躇しないだけです。それに、恥ずかしいことならスバルくんだって負けてないと思います」

 

「ええ、シャイでナイーブな深窓のナイスガイこと俺が破廉恥な真似なんかしたことあるかよ」

 

顎に手を当て、歯を光らせるスバルにレムが一瞬、見惚れたような呆けた表情。それから彼女は頬を赤らめたまま、ついとスバルから視線をそらして、

 

「け、結婚の記念日だって言ってすごい量の花束を買ってきたり、レムの誕生日には家中をリゲルと二人で飾りつけたり、スピカが生まれたときだって町中の人に頼んでダイミョーギョーレツしたり……スバルくんは、自分以外のことにお金を使いすぎです」

 

「俺が俺の嫁や家族を喜ばせるために俺の金を使う。これが俺のため以外のどんな意味が?俺のハッピーライフのために俺の小遣いが使われるのって当たり前じゃね?」

 

「――――ッ!」

 

首を傾げるスバルの返事に、レムが白い面を羞恥で真っ赤に染めた。感情のあまりに目尻に涙を浮かべて、キッと顔を上げたレムがふいにスバルの袖を引く。

突然の行いに「おわっ」と小さく悲鳴を上げて体勢を崩すスバル。そのスバルのすぐ正面で、待っていたようなレムがそっと背伸びし、

 

「――――」

 

「……急に、どうしたの?」

 

一瞬、互いの唇が重なり合い、甘く舌先を絡め合って離れる。

突然のレムの愛情表現に、スバルはドギマギしつつも表面上は平静を保つ。そのスバルの言葉に舌で唇を舐めて、どこか艶っぽい表情のレムが「いいえ」と言って、

 

「スバルくんが……悪いんです。あんなこと、急に言うから」

 

「あんなことって、なんか俺言ったかなぁ」

 

「スバルくんはもっと、自分の言葉や一挙一動がレムに甚大な影響を与えているという事実をしっかり認識して、普段から気をつけるべきだと思います。――家の中でならどれだけ骨抜きにされてもいいですけど、外であんなこと言われたら困るじゃないですか」

 

赤い顔でいじましいことを言うレムに、表面上は平静を保っていたスバルの方の理性が切れそうになる。もじもじと、自分の指を突き合わせてスバルを横目にする仕草。息遣いにかすかな熱がこもっているのは、スバルの欲目ではないだろう。

だが、そんな二人の間の色っぽい空気は――、

 

「――――ぁぁぁぁぁ!」

 

「ぎゃー!!スピカが泣いたー!誰か!誰かー!助けてー!!」

 

家の奥から届いた、愛息子と愛娘二人の声に即座に霧散してしまう。

スバルとレムは互いに顔を見合わせ、思わず噴き出す。それから二人、何を言うでもなく手を繋いで、騒いでいる子どもたちの方へ足を向けながら、

 

「そういえば結局、あの豆はなんで買ってきたんですか?スバルくんの故郷の風習って……」

 

「ああ、言ってなかったっけ」

 

腕を絡めて身を寄せてくるレムの体重を快く感じながら、スバルは何の気なしに妻に笑いかけて、

 

「――俺の故郷じゃ、悪い鬼に豆をぶつけて追い払うって風習があってさ」

 

――言った直後、スバルを見るレムの笑顔が凍りついたような気がした。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「違うんだって!ホントにもう全然!そういう意図があったのと違くて!」

 

「ひどいですねー、スピカ。お父さんったら、きっとお母さんが嫌いになったんです。そうでなくてどうして、鬼を追い払う風習のための豆を買ってきたり……きっと、遠回しに言ってるんです。レムのことなんか、レムのことなんかって」

 

「そんなわけねぇし!俺!レムとリゲル、どっちが大事かって聞かれたら迷わずにレムって答えるし!」

 

「てめぇ、クソ親父!!」

 

一つの部屋でぐるぐると回りながら、家族四人がぎゃーすか騒ぎ立てている。

円を描きながら歩き回る先頭、ぷりぷりと怒った様子のレムはまだぐずっているスピカをあやしており、それを平謝りしながらスバルが追い、その場を離れるほど薄情でもないリゲルが今はスバルに眉を立てて怒りながら最後尾。

 

「わかった、ちょっと待て!確かに今のは俺の言い方が悪かった。レムとリゲル、どっちが大事かって聞かれたら、ちゃんと悩んでからレムを選ぶから!」

 

「決断までにかけた時間の長さで怒ってんじゃねぇよ!オレを夫婦ゲンカに巻き込むな!」

 

「リゲル、お父さんになんて口の利き方するんですか。それにぷりぷり怒っていたらスピカが泣いてしまいます。静かにしてください」

 

「今、この部屋で誰よりもぷりぷりしてる母ちゃんには言われたくねぇよ!」

 

なおも怒声を張り上げて、スバルとレムの二人から同時に唇に指を当てられて、「しー」と言われるリゲルが円運動から脱落する。

残り二人、スバルとレムは互いの背中を追いかけ合うように、真ん中で体育座りしていじけているリゲルの周りを回りながら、

 

「鬼を追っ払うってのは比喩表現でだな。俺の地元ではこう……悪いもの全般というか、病気とか貧乏とか非モテとかそういうの総合して『鬼』ってくくってたんだよ。豆まきはそれを追い払う儀式で、本当に鬼を敵視してたわけじゃないんだって」

 

「ひどいです、ひどいです。スバルくん、鬼がかってるなんて言って、鬼大好きだーなんて言ってレムを口説いたくせに……もう、あのときの気持ちを忘れちゃったんです」

 

「そんなことねぇよ!」

 

言って立ち止まり、スバルは振り返る。円運動が中断すると思っていなかったレムが、速足で驚いた顔のままスバルの胸の中に飛び込む。

胸に顔を当て、息を詰めるレムをスバルは両手で逃がさないように抱きしめて、

 

「俺がお前への気持ちを忘れたりとか、そんなことするはずねぇだろ。俺の一番はお前だ。お前の方こそ、それを忘れたのか?」

 

「す、スバルくん……」

 

情熱を込めた目で見つめられて、すぐ間近でスバルを見つめるレムの瞳が潤む。

初めての出会いから九年が経ち、その間に母にもなったレムの姿はかつての幼い弱さを女性としての強さに昇華している。

それでもこうして、スバルの腕の中に抱かれたときだけ、かつての愛らしさと懸命さだけでスバルを求めていた頃のレムに戻ってしまう。

 

レムはそんな自分に恥ずかしげに目を伏せ、甘い感情に唇を震わせてながら、

 

「スバルくん……あ、リゲル。スピカを預かっていてください」

 

「え、あ、はい」

 

「――スバルくん」

 

スバルと自分の間で窮屈な思いをしていたスピカをリゲルに預けて、レムは空になった両手をスバルの胸に当てて頬をすり寄せ、

 

「スバルくんの中で、今でもレムは世界で一番でいられていますか?」

 

「当たり前だろ。俺の半分はレムへの愛、もう半分はレムへの恋でできてると言っても過言じゃねぇんだぜ」

 

「もう、バカなんですから……」

 

抱き合い、互いに想いを交換し合うスバルとレム。

そんな両親の仲直りの光景を見ながら、リゲルは腕の中のスピカの耳を器用に塞いで、

 

「――茶番だああああああ!!」

 

と、渾身の突っ込みを入れたのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「それにしてもセツブンですか……聞いたことのない風習ですね」

 

「ま、こっちじゃそうだろうな。実際のとこ、こっちの日にちの表現と元のところの日付合わせができねぇから、いつが二月三日なのかイマイチなんだが……」

 

正しく日合わせするなら二月三日が正しい節分の日取りだ。

が、こちらの世界は四季っぽいものや、一年がおおよそ三百六十日前後である点は共通しているものの、呼び方が違い過ぎて九年暮らしてもすり合わせできていない。

ぼんやりと、寒い季節である今が一月から三月のどれかだと当たりをつけているが。

 

「そんなわけで、節分をやろうかと思います!鬼を追い払うのが目的ではなく、鬼と称する総合的に悪いものを追っ払うことで、家族の幸せに繋げたい気持ちです!」

 

「と、家族四人の内の三人が鬼の家庭で言われてしまっても……」

 

苦笑するレムはひょっこりと、額から白い角を伸ばして鬼アピールを始める。

レムの言の通り、鬼と人のハーフであるリゲルとスピカにも鬼の血は受け継がれており、二人にも角がしっかりと生えている。リゲルは自分の意思で出すことができ、スピカも泣きじゃくっているときにたまにちょんと短いのが伸びていたりする。

 

部屋の中、車座に座って会議中の四人だが、やはり鬼勢は乗り気でない様子でスバルは不満顔。とりあえずの憂さ晴らしに、

 

「てい」

 

「あっ」

 

正座するレムの額に手を伸ばし、白い角を指先でこしょばる。

角は硬質な感触でありながら、その表面はうっすら温かく滑らかな手触りだ。そしてどうやら角自体にも感覚があるらしく、スバルが指を動かすたびに、

 

「あ、やっ……だ、ダメです、スバルくん……子どもたちが、見てるのに……っ」

 

「すり寄りながら言われても説得力がねぇなぁ……」

 

色っぽさより、小動物めいた愛らしさを発揮しながらレムが身を寄せてくる。まさしく腰砕けのレムを膝に乗せ、角を撫でながらスバルはリゲルを見やり、

 

「リゲルはどう思う?」

 

「リア充夫婦爆発しろって意見以外に?いや、知らねぇけど……親父はそれ、なんでやりてぇんだよ。いい顔されねぇのなんてわかりきってんじゃん」

 

スピカを抱いてあやしながら、リゲルは不機嫌な顔でスバルを睨む。その息子からの問いかけに、スバルは「うむ」と大仰に頷いて、

 

「単純な話、鬼関係のメジャーな風習がこれしか思いつかねぇからだな。それに、さっきは説明不足だったけど、この風習には続きがあってよ。悪さの象徴である鬼を追っ払うと同時に、代わりに幸福を家の中に招き入れる的な側面があるんだ。つまり、家から悪いものを出して、家内安全を祈る行事ってわけだな」

 

膝の上で丸くなるレムの背をゆっくり叩きながら、スバルは空いた指を一つ立てて、

 

「俺にとって家族より大事なもんはねぇしな。鬼関係ってのも、縁的に無視できるもんじゃねぇし……それに、鬼への扱いだって悪いもんばっかりじゃねぇ」

 

「……ってーと?」

 

「正式なやり方は、『鬼はー、そとー!福はー、うちー!』って言いながら豆をまくってもんなんだが、最近じゃ鬼も福もどっちも家に入れちまうやり方も流行ってる」

 

「本末転倒じゃねぇか!悪いもんと良いもんと、最初の切っ掛けはどうなったんだよ!」

 

「考え方が変わったんだろ。で、俺はそれを悪いこととは思ってねぇ」

 

リゲルの声に苦笑して、スバルは長いレムの髪を指で優しく梳く。かすかに背中を震わせるレムに、愛おしさがこみ上げるのを笑みへと昇華しながら、

 

「鬼だからってだけで追い出すなんて乱暴だ。ひょっとしたら、鬼とだって仲良くできるかもしれない。鬼とエロいことして、結婚して、家族になることだってできる」

 

「…………」

 

「そんな風に、思えるように世界が変わったんならいいことだと思うね。俺、もともと鬼好きだったし、今は嫁が鬼で最高に幸せだし。もしくは、良いことも悪いことも人生噛みしめて生きましょうよ的な教訓に意味が変わってるのかもな」

 

良くも悪くも世の中移り変わるもので、節分や鬼に対する向き合い方も変わる。

鬼が萌えキャラにアウトプットされるなど、序の口に過ぎないお国柄で、スバルも十分にその民族性を受け継いでいる。なので、抵抗などまったくない。嫁可愛い。

 

「鬼はー、うちー。福もー、うちー」

 

「なんだって?」

 

「鬼は内、福も内。どっちも取り込んでいこうぜ的な呼びかけよ。俺にとっちゃ、幸福も鬼も幸せの象徴だ。欲張りに両取り……って、どうよ」

 

肩をすくめるスバルを見て、リゲルは何か言おうと口をもごもごさせて、結局は何も言えずに諦めたように肩を落とした。

息子のそんな反応にスバルが笑うと、それまで膝の上でスバルになすがままにされていたレムが「ふふふ」と笑みをこぼし、

 

「スバルくんのそういう考え方、レムは大好きです。――やりましょうか、セツブン」

 

「お、乗り気になってくれたかよ。なら、気が変わらない内にやろうぜ。節分も、持ち込んだ遊び知識みたいに広めてみるかねぇ」

 

顔を上げるレムを抱き上げて、立ち上がるスバルにレムが視線だけで問いを発する。その視線にスバルは頷いて、

 

「ほら、氷鬼とか広めたときもそうだったけど、なんかカララギには馴染み安さを感じるっつーか、そういうのがあってよ。ちょくちょく、俺の地元と被るとこあんだよな」

 

「時々、言ってますよね。そんなに感じるんですか?」

 

「前に冗談でちらっと言ったことあんだけど、民意尊重して投票で総理大臣決める……に近いこととかやってんじゃん。エイプリルフールとかクリスマスとか、それに近い行事もあるしさ」

 

「色んな催しや祭日があった方が、商い関係で盛り上がる機会が作れるから……とか」

 

「それもあるだろうけど、それだけじゃねぇ気がして……ま、今はいいか」

 

住みよい国には間違いない。レムと二人、移住してきてから九年だ。

カララギの大らかで、人情味に溢れた国風がなくてはこうもうまくはやってこれなかっただろう。いまだに関西弁、ならぬカララギ弁には慣れが足りていないが。

 

「そら、豆持ってきたぜ。やるならとっととやっちまおう」

 

「お、気が利いてやがるな、我が息子。さては否定的なスタンスしつつも、内心じゃドキドキワクワクが隠し切れてなかったか。リゲル、こっどもー!」

 

「嫁に息子より素行を心配される父親よりはずいぶんマシだろうが!」

 

居間から豆の入った袋を持ってきたリゲルが、乱暴に一つずつスバルとレムに押し付け、自分でも一つ袋を持つ。

互いに向き合い、どうすればいいのかと目で問うてくる二人にスバルは頷いて、袋に手を突っ込むと豆を握った。

 

「簡単だ。さっきの呼びかけ通り、『鬼はー、そとー!福はー、うちー!』ってやればいい。いや、鬼も福も内側バージョンか。そっちでいこう」

 

「えっと、豆は……鬼にぶつけたらいいんですか?」

 

「そこでオレを見る母ちゃんの目つきが息子としてちょっと恐いんだけど!」

 

「まぁ、そうなんだけど本気ではやるなよ。あくまでポーズ、優しくな」

 

一通りの段取りを確認して、それから節分――開始だ。

互いに向かい合い、豆を手にしながら、

 

「そら!鬼はー、うちー!福もー、うちー!」

 

「えと……お、鬼はー、うちー!福もー、うちー!」

 

「鬼はー、あ、スピカ泣くな!泣くなって!あ、待った、豆待った!」

 

ぐるぐると、さっきのやり取りのように部屋の中を回りながら、豆まきが始まる。

スバルが元気に、最初は恥ずかしげにしていたレムも次第に照れを忘れて笑いながら、リゲルはなぜかスピカを抱くというハンデを自らに課しながら懸命に。

 

「それ!鬼はー!うち!福もー!うち!」

 

鬼を身内に、幸福も家の中に、これがナツキ家の節分のあり方だ。

鬼である妻をもらい、互いの間に鬼の血を引く子をもうけて、こうして節分の新しい形を楽しんでいる。――それはああ、何と幸せなことなのだろう。

 

豆が散らばって、部屋の、廊下の、家のあちこちに飛び散っている。

あとで掃除することを考えると、それだけで気が滅入ってしまうが――片付けのことを考えながら、今この瞬間を楽しめないなどそれこそどうかしている。

 

笑って、笑って、笑いながら、豆を投げよう。

愛しい鬼たちと一緒に、幸福感で胸をいっぱいにしながら、豆まきをしよう。

 

鬼も幸福も、内に取り込んで、盛大に笑おう。愛し合おう。

 

「スバルくん」

 

ふいに、レムの笑顔がスバルの隣にあった。

視線落とすスバルに身を寄せ、レムは上気した頬のまま笑顔を見せて、

 

「今日の日もこれからも、幸福と一緒にレムを抱きしめていてくれますか?」

 

そう言って、飛び込んでくるレムを抱き返しながら、

 

「――言ったろ。鬼と一緒に未来を作るの、俺のずっとずっと長いこと見てた夢だったんだよ」

 

今この瞬間の幸せを、これから先もずっと続く幸せを、確かにこの胸の中に受け止めているんだと、スバルは際限のない愛を込めて、囁いたのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「……ったく、気ぃ使うよなぁ」

 

「あだー」

 

「食いたいのか?でも、ダメだぞ。豆は年の数だけ食うって言ってたかんな。スピカはまだ零才なんだし、歯もねぇから食えないって。オレが代わりに食っとく」

 

「うだー」

 

「不満そうな顔すんなって……お前、その顔すると母ちゃんが親父に拗ねてみせてるときとそっくりだな。これ、スピカが歩き回れるようになってからの家庭内ピラミッドを考えると先が思いやられるっつーか」

 

「あう、ばー?」

 

「中?バカ言えって、今はまだ戻れねぇよ。節分とか豆まきとか、それにかこつけてまだ中でいちゃついてるに決まってんだから。鬼はそとー、ってか。マジで、それやってオレ追い出して母ちゃんといちゃいちゃしたかっただけなんじゃねぇか」

 

「あう!あー、あだー!」

 

「なんだよ、お前まで親父の肩持つのかよ!母ちゃんといいスピカといい、親父って鬼から好かれるフェロモンでも出てんの?マジありえねぇ」

 

「あー?あだ、あだうー。うー」

 

「は?なんで慰めるみたいにオレのほっぺた撫でるわけ?違ぇし、オレ別に親父のこと好きじゃねぇし。オレは鬼の中でも例外中の例外だし。世界中の鬼が親父にメロメロになったとしても、オレだけは断固として反親父派で居続けるし!」

 

「あーばー」

 

「あー、クソ!やってられっかよ!ほら、いくぞ、スピカ。ちょっとぐるーっと近所回ってくれば、さすがに二人もいちゃつき終わってるだろうよ。言っとくけど、気ぃ利かせて二人っきりにさせてやってるわけじゃ……言い訳じゃねぇよ!」

 

「あだ!あだ!」

 

「あー、クソ」

 

「――今日も、いい天気だな」