『胡蝶之夢』


胡蝶之夢、というのがどういう意味か君は知っているかな?

 

ある日、男は自分がひらひらと宙を飛ぶ蝶になった夢を見た。そのこと自体に深い意味はないが、その夢から目覚めたとき男はこう思ったわけだ。

 

「はて、自分は今、蝶になる夢を見て目覚めたのだろうか。それとも、蝶の自分が見ている夢こそが、今ここにいる自分なのではないだろうか」

 

面白い考え方だとは思わないかい?

これは蝶に限った話じゃない。重要なのは、『今ここにある自分』というものを確かに定義付けすることができる、根拠とは何なのかということさ。

 

誰かにとっての『夢』のような光景を見たとき、そこにある自分は果たして本当に自分ではないのか、こちらこそ理想の世界――そんな場所を見たときに、そこを夢だと諦めきれるものかな?

 

あるいはそういう考え方で、夢の方に針が振り切れてしまうことを、夢と現の境を見失った……なんて言い方をするのかもしれない。

いやいや、話が遠回しになるのはボクの悪い癖だね。言いたいことは、もっとはっきりと手短に今回はまとめることにしようか。

 

つまるところ、ほんのささやかな短い時間ではあったけど、確かにここにあったはずの夢の光景があった。

それは本来の時間の流れとは違った世界で、実際にそうなったかどうかはわからないけれど……でも、蝶になった君がひらひらと舞い踊った世界か、あるいは舞い踊る君が『夢であった』と思い込みたい現実なのか、そのことを判断するのは、結局のところ周囲ではなく自身の認識ということなんだろうね。

 

――彼の見る世界は、何度も何度も彼に違った側面を見せる。

そうした中から一つの世界を選び取り、自分にとっての現実を歩んでいくのが彼に課せられた使命だ。

では、掴み取られなかった世界は、どうしてどうなるのか。

 

答えの出ない問いかけに頭を悩ませることも、ボクにとっての幸いだ。

いずれ、彼が自分の見た夢を、肯定するのか否定するのか、はたまた自分の歩く世界は夢か現か、どう判断するのか。

 

それと隣で見届けられないのが、ひどく残念なことだね。

まったく、らしくない失敗をしたものだよ。