『フォーチュン・セツブンホロゥ』


 

前置きなしに本題へ入ろう。――今年も、節分の季節がやってきた。

 

節分、それは即ち『節分の王』と呼ばれるナツキ・リゲルの、一年で最も恐れる日だ。

カララギ都市国家の第二都市『バナン』において、数年前から始まったその行事は、今やすっかり定着してしまった奇祭と呼ぶべき文化であった。

 

――鬼に会うては豆をまき、恵方を向いては巻きを食う。柊鰯の理ここにあり。

 

と、誰が言ったかは知れないが、それがカララギにおける新文化、節分の概要だ。

 

「今年は、何やらされんのかなぁ……」

 

学び舎である『テラコヤ』からの帰り道、リゲルは頭の後ろで手を組みながら、近々に自分に襲い掛かるであろう不幸な行事にため息をつく。

 

鬼のパンツを始めとした装いを身に纏い、豆をぶつけようと追い縋ってくるハンターたちから街中を逃げ回る。――リゲルの主な役目はそんなところだが、これはあくまで当初の『豆まき』を想定したスタンダードな展開の場合だ。

毎年、リゲルの父親であるナツキ・スバルの提案によって、節分の文化は進化の一途を辿り続けており、すでに被害は『豆まき』の範疇には留まらなくなっている。

 

恵方巻と呼ばれる、幸運の方角を見ながら無言で太巻きを食べる行事。

柊鰯と呼ばれる、魚の頭を木の枝に差し、家の玄関に飾っておく行事。

イベントプランナーとして、『カララギ文化振興会』の代表を務めるスバルの発言力は強く、節分は年を経るごとにその魔改造ぶりを増していた。

 

なお、この手の出展が曖昧な情報のお約束として、人々の間で伝言ゲーム的に話が伝わった結果、その内容が本来のものからかけ離れていくことがままある。

結果、節分はリゲルにとって、街中を鬼の格好で逃げ回りながら、豆や太巻き、それに魚の頭を投げつけられる行事へと変貌を遂げていた。

 

「どいつもこいつも、節分の本当の理念ってもんをわかってねぇよ。それに、食べ物を粗末にしやがって。豆ならともかく、他のもんは地面に落ちたら食えねぇだろ……!」

 

節分の思い出を振り返りながら、リゲルは奥歯を噛みしめて怒りを露わにする。

 

前もって言っておくが、リゲルは決して節分というイベントが好きではない。

毎度毎度、被害を一身に受けていながら、それでも好きだと言える被虐体質のつもりもない。

ただ、どんなにひどいイベントであったとしても、これはリゲルの父親が始めたことだ。それが当初の理念とは違った形に変わっていくことは、どうにもリゲルの癇に障る。

大体、好き勝手に野放図にやって楽しい、というのはイベントの味わい方として下策中の下策ではないか。人心にも伝統にも、配慮してこそのイベントだろうに。

 

――心底嫌がっていながら、なんだかんだで節分の成否に真剣に拘るあたり、ナツキ・リゲルの苦労人体質は生まれ持った才能であった。

 

余談だが、節分を間近に控えた季節になると、バナンの街では各家庭が豆のストックを始める。結果、節分の趣旨を勘違いした子どもたちが、家から豆を持ち出し、フライングでリゲルに豆をぶつけようとする事態が多発する。

このテラコヤからの帰り道にも、リゲルを見かけた子どもが躍起になって、発見したリゲルへ豆を投げつけてくる一幕などがあった。

だが――、

 

「――よ、と、ほ」

 

投げつけられる豆、その質量と数、軌道を肌で感じ取り、リゲルは必要最小限の動きだけで全ての豆を回避する。

投げつけられる豆が一粒や二粒であれば、それは驚くには値しないかもしれない。

しかし、このとき、リゲルへと投げつけられる豆の量は五人の子どもがそれぞれ一握り――子どもの手でも、一回の投擲で二十から三十は固い。

つまり、都合百粒を超える豆の嵐を、リゲルは目を向けることもなく躱し切ったのだ。

 

「嘘……」「ちらっと見もせずに……」「せ、背中に目ぇがついとるんか……?」

 

驚愕する声、それに対して、リゲルはやれやれと肩をすくめて振り返る。

 

「甘いぜ、ガキンチョ共、出直してきな。オレがいったい、毎年どれだけの死線を潜ってきたと思ってる?」

 

そう言って、リゲルは頬を歪めた笑みを子どもたちへと向けた。

途端に子どもたちは震え上がり、『節分の王』に安易に挑んだ自分たちを呪うような悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。

 

「ひぃっ!殺される!」「なんて目つきや!」「『節分の王』は血も涙もない悪魔やー!」

 

「目つきのことはほっとけ!あと、節分のルールはちゃんと親に聞いて、用法容量を守って正しく参加しろ!次は豆拾って投げ返すからな!」

 

半泣きで逃げていく子どもたちを恫喝し、リゲルは足下の豆を見て嘆息する。

節分が近付くと、こうした勘違いした輩が増えるのは困りものだ。どこへ出かけても、一事が万事、この調子になるのもいただけない。テラコヤはもちろん、ちょっと買い物に出かけたり、散歩をするだけでも常に身の危険を感じる。

 

なお、これも余談だが、節分が近付くと街中で豆がばらまかれる事態が頻発するため、この時期だけ、短期的に『豆拾い』と呼ばれる掃除の仕事が発生するらしい。

知り合いの『口利き屋』である、クレインという人物にリゲルが聞いた話だ。わりと儲かるらしく、感謝していると言われてもにょった記憶。

 

ともあれ、おかげでこの時期、リゲルの感覚は完璧に研ぎ澄まされている。

そうでなくては、おちおち可愛いスピカと出かけることもままならないのだ。言ってしまえばそれは、生命の危機に瀕したことによる進化の一つだ。

スピカと一緒にいるときであれば、『豆』という概念は光の速度でも食らうまい。

 

「もはや、豆と名前のつくものじゃオレに触れることすらできない、か」

 

「――なんや、遠い目ぇしてけったいなこと言いよるやん。スーさんそっくりやぞ」

 

「お」

 

一粒の豆を拾い、アンニュイに呟いていたリゲルは、その声に眉を上げた。

聞き覚えのある声だ。低く、どこか軽妙な印象を与えるカララギ弁――その声の主に思い当たった瞬間、振り返るリゲルの表情が破顔した。

 

「ハリベルおじさん!」

 

「おー、元気そうで何よりやんか、リゲル。さっきの動きも見とったよ。僕がおらん間、ずいぶんと腕上げたみたいやねえ」

 

そう言って、駆け寄るリゲルの頭を大きな掌でわしゃわしゃと撫でてくる男、それは長身にキモノを纏った、犬顔――ならぬ、狼顔の亜人だ。

非常に珍しい狼人とされる種族であるその男は、鋭い牙の並ぶ大口に金色のキセルをくわえて、糸のように細い目でリゲルを見つめて笑っている。

父と母の古い友人であり、リゲルにとっても親戚のような関係のハリベルだった。

 

「リゲルぐらいの年頃やと、ちょっと目ぇ離してる間にガンガン成長しよるねえ。レムちゃんが許してくれるんやったら、僕の跡目を継いでもらいたいぐらいやねんけど」

 

「だから、前にも言ったじゃん。オレは安定した仕事について、母ちゃんとスピカを養わなきゃいけないんだって。おじさんみたいにフラフラと出歩くのはNGってやつ」

 

「なんや、ホンマに手厳しいなぁ。僕がこんだけ言ってなびかんやなんて、リゲルの大物ぶりには困らされるわ」

 

と、その大口を開けて豪快に笑うハリベルに、リゲルも歳相応の笑顔で甘える。

リゲルも、色々と世の中のしがらみに振り回されることの多い立場だ。子どもらしい顔と在り方で、世間の荒波を渡り歩いていけないこともある。

だからたまにはこうして、ただ甘えるだけの時間も必要ではないか。

 

「それが、親の期待を一身に背負わされた子どもの、せめてもの安らぎかな……」

 

「めっちゃ遠い目してるやん。子どもが言っていいカッコよさやないぞ」

 

「そんなことはいいんだよ!それより、おじさんこそ、しばらくどこいってたんだ?オレに稽古つけてくれる約束なのに、ずっといないから野垂れ死にしたかと思ったじゃん」

 

「はは、言いよる。僕が死ぬようなことがあったら、それはこの国の一大事いうヤツやからね。滅ぶ寸前の一族の命運もかかっとるし、責任重大な立場やねん」

 

「へいへい。それと、オレの師匠でもあるしね」

 

「せやね。ますます、これは責任重大やわぁ」

 

うまいことを言われたと、小気味よく笑ってくれるハリベルにリゲルも頬が緩む。

付き合いがいい上に、こうして親しくしてくれるハリベルがリゲルは好きだった。

こんな態度と、『永遠の遊び人』を自称するあたり不真面目な性格に思われがちだが、仕事はきっちり有能にこなしているらしく、たまに一緒に街中を歩いていると、多くの人が彼を慕っているのがわかり、勝手に嬉しくなるぐらいだ。

その仕事というのがイマイチ、リゲルには何なのかわかっていないのだが。

 

「シノビとして、国を守るために危ない奴らと日夜戦ってるとか言われてもさぁ。おまけに滅亡寸前の狼人族でもあるっていうんでしょ?盛りすぎだよ」

 

「うーん、リゲルの場合、日々を生きるために子どもらしい純粋さは捨てるしかなかったんやろねえ。ちょっと残念やけど、それも世の無常やなぁ」

 

キセルから煙を空に吹かし、ハリベルは苦笑いする。

 

「そや、教えた変わり身とか練習しとる?飽きてても別に文句言わんけども」

 

「当たり前じゃん、飽きるかよ。やってみせてもいいぜ?今、変わり身するものって、途中で投げられた柊鰯ぐらいしかないけど」

 

「その魚の頭、なんやちょくちょく見かけるんやけど、やっぱスーさん絡みやったかぁ」

 

今日、あまりにも立派なイワシの頭を投げられたので、家で妹に見せようと記念に持ち帰ってきていたものだ。

肩掛けの鞄からそれを取り出すと、ハリベルが納得したように何度も頷く。

この狼人、スバルと付き合いが長いだけあって察するのが早い。

 

「バナン文化振興会やったっけ?わりと、別の街でも名前は聞いたよ。なんや、だいぶ有名になったみたいで僕も誇らしいわ」

 

「へへっ、まぁ、あんな父ちゃんだけど、親の仕事だし?褒められて悪い気はしねぇかな。あ、でも、父ちゃんに直接言うのは図に乗るからやめてくれよ!」

 

「子ども心に複雑なんやねえ」

 

キモノの合わせから手を入れて、腹を掻くハリベルは苦笑気味だ。

そんなわかってくれている態度に救われながら、リゲルは「そうだ」と前に歩き出し、

 

「こうやってきてくれたってことは、しばらく街にいられるんだよね?」

 

「ん、それは間違いないよ。ちょっと顔見知りに挨拶回りにいって、また夜にはそっちの家に顔出すわ。スーさんとレムちゃんによろしくゆっといて」

 

「おじさん」

 

「うん?」

 

「スピカには?何もないのか?」

 

微笑み、首を傾げてリゲルは真っ直ぐに尋ねた。

その言葉に、何故かハリベルは気圧されたように頬を硬くして、

 

「お、おう、せやったね。スピカちゃんにも、可愛く待っといてって」

 

「ああ、わかった、ちゃんと伝えておくよ!あー、でもどうかなー。スピカ、別に何もしてなくても天使みたいに可愛いからなー。意識的に可愛く待ってるなんてことすると、それはもうちょっと、人知を超えたラブリーさかもしんないなー」

 

「そゆとこ、リゲルもレムちゃんの子どもやなぁ……」

 

顔を赤くして、家で待っているはずの可愛い妹の回想をするリゲルが悶える。その光景を目の前に、ハリベルは呆れ顔で頬を指で掻いていた。

 

「はっ!こんなことしちゃいられねぇ!そうとなったら一刻も早くスピカのところに帰らねぇと!おじさん!また夜に!スピカにお土産忘れないでくれよ!」

 

「あー、うん、わかったわ。なんか見繕って持ってくから……」

 

小さく手を振り、リゲルはやるべきことは果たしたとばかりに身を翻すと、そのまま飛ぶような足取りで街を走り始めた。

土煙を立てて遠のいていく背中、それを見ながらハリベルはキセルの煙を吹かし、

 

「妹が生まれる前からシスコンやったけど、生まれたあとも深刻やなぁ、リゲル」

 

と、苦笑しながら呟いていた。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

そんなハリベルの呟きを余所に――仮に聞こえていたとしても、リゲルの行動は変わらなかっただろうが、リゲルは猛然と街を駆け抜け、家路を突っ走っていた。

 

「スピカ、スピカ、可愛いスピカ」

 

弾むように口ずさみながら、リゲルの速度は風を追い越すように速い。

可愛い妹を脳裏に描くだけで、この体の内側からは無限のエネルギーが溢れてくる。これを、永久スピカエンジンと名付けてはどうか。

もっと、世界はスピカの無限大の可能性に気付くべきだ。

世界中の全ての人間がスピカを見れば、争いとか色々終わるのではなかろうか。

 

そんな遠大な妄想に憑りつかれながら、リゲルは自分に投げられる豆を弾き落とし、恵方巻の予行演習に太巻きをくわえる隣人に手を上げ、猫に魚の頭だけ取られた柊に持っていた魚の頭を突き刺すと、我が家へと帰り着いた。

一秒が惜しい、そんな勢いで玄関を開け放ち、リゲルは一気に中へ踊り込む。

 

「よっしゃ、ただいまー!スピカ、にーにが帰ったぞ!今すぐ、手ぇ洗ってうがいしてくるから、可愛く待っててくれ!」

 

満面の笑顔になり、リゲルは今すぐスピカを抱き上げたい気持ちをぐっと堪えながら帰宅の挨拶をする。

手洗いうがいは、それこそ赤ん坊の頃から躾けられた義務だ。

何でも、病気にならないためには必要だとかなんとか。実際、それのおかげかどうか知らないが、リゲルはこれまで一度も風邪を引いたことがない。

単純に、丈夫な母の血が強いだけな気もするが、とにかく、手洗いうがいだ。それを済ませなくては、スピカと触れ合うことも――、

 

「――アンタって、家の中と外だとずいぶん態度が違ってんのね?」

 

「へ?」

 

しかし、そのまま洗面所へ駆け込もうとしたリゲルを出迎えたのは、リゲルの母でも妹でもない、家の中に該当者のいない女の声だった。

 

「――――」

 

ごくりと息を呑み、リゲルは洗面所に向きかけた体を元に戻した。それから警戒心を高めて居間へ向かい、両開きの障子にゆっくりと手をかけ、開く。

そこには――、

 

「ぁー、にーに」

 

「おかえんなさい、遅かったわね」

 

障子の向こう、居間に広がる光景にリゲルは瞠目した。

畳敷きの一室、部屋の真ん中にはコタツが置かれ、寒い時期には欠かせないナツキ家の必需品になっている。

そのコタツに足を入れて、微笑む天使を胸に抱いてあやしている女がいるのだ。

女はその毛先が不揃いの乳白色の髪を揺らし、リゲルの方にそっと切れ長な瞳で流し目を送ってくる。その薄桃色の唇を緩めて、ひどく挑発的な笑みを作った。

 

「アタシが可愛いからって、見惚れてもらっちゃ困るんですけど?」

 

「――。いや、どんな美人が目の前に立っても、オレには妹がいるから」

 

「アンタ、妹好きなのはいいけど、あんましそればっかりだと馬鹿に見えるわよ。気を付けなさい」

 

一瞬、呆けかけた意識が、女の言葉に正気に戻される。途端に蘇ってくるのは、その白いキモノ姿の女に対する、得も言われぬ複雑な感情だった。

 

恐ろしく、整った外見をした女だ。

この場合、整ったというのが正確かはわからないが、美しいという意味では適切。彼女のそれは人形師が美を追求した結果として生じたそれではなく、野生動物たちが本能に従って集めたものが、奇跡的に生み出した自然美の結果という方が近い。

野性味がある美貌、端的に言えばそれだけのことだが、それがどれだけの奇跡の上に成り立つものなのか、まだ女性への興味に乏しいリゲルですら、心胆が震える。

 

もっとも、それも初見であればの話だ。

リゲルにとって、この女と言葉を交わすのはこれが初めてではない。

 

「ティア!なんだってこんなとこに!」

 

「はぁ?なんだも何もないでしょーが。アタシはアタシのいたいときに、いたいところにいるし。それを誰に指図される筋合いもないし。あー、よしよし、アンタは素直で可愛いわねー、スピカ。――ホント、殺したい」

 

「情操教育に悪いからやめろよ!」

 

スピカに可憐に微笑みかけながら、女――ティアはものすごい殺伐とした言葉を発する。

脈絡もなく飛び出した発言がかえって本気なようにも思えて、リゲルは大慌てでスピカを彼女から奪い取ると、その黒髪を優しく撫でて無事を確かめた。

 

「大丈夫か、スピカ?変なことされてないか?お兄ちゃんが帰ってくるのが遅かったばっかりにごめんな。……母ちゃんは何してたんだよ!」

 

「レムなら、アタシにスピカ預けて買い物にいったわよ。アタシもついてこうと思ったんだけど、これ、コタツだっけ?これがなんか、出られなくて。アタシをこんだけ虜にするとか、ニンゲンもたまには粋なことするわよねー」

 

スピカを奪われたことに唇を尖らせ、しかしすぐにティアはコタツで丸くなる。テーブル部分に上半身を載せ、「うぁー」と呻いて目を細める彼女は幸せそうだ。

年齢的には二十歳前後に見えるのだが、どうにも言動と見た目が一致しないタイプ。一見、刺々しく思える美貌のわりには人懐っこいところもあり、リゲルの苦手なタイプだ。

――別に、嫌いというわけじゃないが。

 

「それに、こんだけふやけたところ見せられて、毒気抜かれちまうしな……」

 

「にーに、ねーね」

 

「おー、そうだなー、スピカ。ティアがねーねってのはちょっとどうかと思うけど、ケンカはダメだよな。にーに、反省したぞー」

 

小さな掌をにぎにぎして、スピカがリゲルの頬をぐいぐいと押してくる。そこに妹からの切実な訴えを感じて、リゲルはひとまず抜いた矛を収めることとした。

そのやり取りを眺めながら、ティアは「そーだそーだ」と便乗し、

 

「反省しなさい、反省を。アタシ、傷付いたから甘いもの食べたいんですけど」

 

「調子に乗んなよ。それに、オヤツなら世話好きの母ちゃんが用意してかないわけないじゃんか。どこやったんだよ」

 

「どこって言われたら、アタシの腹の中ね」

 

「じゃあ、夕飯まで我慢しろよ」

 

余所様の家で傍若無人、そんな表現が似合うティアの暴君ぶりにリゲルは言葉もない。

このティアもまた、父や母とは古い友人であり、リゲルも数年前から知る顔だ。もっとも、当人たちの言い分では、友人よりも家族といった間柄の方が近いらしい。

正直、そんなことを言われてもリゲルは首を傾げざるを得ない。

何故なら――、

 

「家族なら、一緒に暮らしてるもんだろ。たまにしかこうやって顔出さないってんなら、それはやっぱり親戚とか、友達ってとこなんじゃねぇの?」

 

「なに?アンタ、アタシがあんまり会いにこないから拗ねてんの?顔はスーそっくりだけど、可愛いとこあんじゃない。殺したい」

 

「物騒なこと言うなよ!」

 

まるでつけなければならないお約束でもあるのか、やたらと『殺す』だの『殺したい』だのと連呼するところもいただけない。

言動と、振る舞い、それらが色んなものを台無しにしてしまっている。

それがなければ、彼女の外見はそれはそれは――、

 

「――?アンタ、ちょっと見ない間に背ぇ伸びたんじゃない?」

 

「んがっ」

 

さっとコタツから抜け出して、一息に間を詰めたティアがリゲルの前に立つ。ふわりといい香りがして、彼女は何気なく手を伸ばし、リゲルの短い青い髪に触れた。

さらさらと細い指に撫でられて、リゲルは身動きを封じられる。その間、ティアはたっぷりとリゲルの成長を堪能した様子で、

 

「子どもの成長ってのは早いもんねー。ちょっと前まで、アンタって鼻たれてたチビだったと思ったのに、今じゃそこそこのチビぐらいになってるもの」

 

「……また、その話かよ。オレが生まれたとき、ティアもハリベルおじさんもいたとか、しょっちゅう聞かされるけど」

 

「それはホントの話。アタシもいたし、ハーもいたわよ。……アタシは、肝心の場面にはいなかったかもしんないけど」

 

「――――」

 

そこで目を細めて、ティアがどこか遠いものを見るような眼差しをする。

その、遠くを見る瞳が、目の前ではなく過去のものを見ているように思えて、それがリゲルにはなんだか悔しかった。

そこは、リゲルの手の届く場所ではない。そんなところに思いを馳せられるのが、リゲルにはどうにも、気に入らなくて。

 

「大体、そのあたりの話って与太話っぽさがすごすぎんだよ。オレが生まれるとか生まれないとかで、バナンの街が滅びそうになったとか、誰が信じるかっての」

 

「あ、それもホントだから。危うく地図が書き換わるとこよ。あんときも、そういえばアタシ、アンタのこと殺したくてたまんなかったわー」

 

「まるで自分が街を滅ぼしそうになったみたいに聞こえるぞ」

 

言葉の使い方が適当なのか、ティアの話にリゲルはやれやれと肩をすくめる。それを見たティアは一瞬、虚を突かれたように目を丸くしたあと、

 

「アンタのそういうとこ、アタシの嗜虐心をくすぐってたまんないのよね。ああ、アンタの困る顔が見続けられたら、アタシ、どんだけ満足かしら。殺したい」

 

「オレは、ティアのそういうとこ嫌いだ」

 

「――。でも、嫌いなアタシからの贈り物、ずっと持っててくれてんのよね」

 

言って、ティアが唇を綻ばせながら、リゲルの左手首に目を向ける。その彼女の指摘に喉を詰まらせ、リゲルはわずかに頬を赤くして、視線を逸らした。

 

リゲルの手首には、白い獣の体毛で編まれた腕輪の装飾品が付けられている。

これは数年前の初対面のとき、ティアに渡されたものだった。これを渡したとき、彼女は言っていたものだ。

 

「覚えてる?アタシがアンタに、それを渡してなんて言ったか」

 

「ばっ!そ、それは、その……お、オレにはスピカがいるので」

 

「またそれ?アンタってホント、そういうとこスーとそっくりね」

 

からかうように言われて、リゲルは強く奥歯を噛んだ。胸の中ではスピカが、にーにとねーねが睨み合っているのを無邪気に眺めている。

ここで引いては男が廃る。スピカの前で、情けない姿は見せられない。

一念発起し、リゲルはティアを鋭い眼差しで射抜いた。

そして――、

 

「オレを愛して……」

「その白結いを持ってたら、危ないときはアタシが駆け付ける……って」

 

同時に口を開いて、飛び出した言葉の内容が違いすぎた。

そのことにリゲルが気付いた言葉を止めたときにはすでに遅い。

 

驚いたようにティアが目を丸くし、それから徐々に、その表情が悪戯っぽい、鼠をいたぶる肉食獣のような獰猛なそれに変化して。

 

「ねえ、今、なんて言ったの?リゲルってば、今、なんて言った?」

 

「うるさい!違う!何でもねぇ!気の迷いだ!父ちゃんの陰謀だ!」

 

「あはは、大丈夫だってば。アタシ、アンタを愛してるもの。殺したいけどー」

 

「チクショウ!」

 

スピカを抱いたまま、顔の赤いリゲルは身を回してティアの正面から逃れようとする。だが、ティアはそれを高速で動くことで妨害し、確実にリゲルの正面に回り込むと、その赤くなった頬を指でつつくのをやめなかった。

 

「あーぅ、にーに。ねーね」

 

そんな二人のやり取りを、スピカだけが上機嫌に見つめて笑っている。

そして、そんな三人の一幕は、買い物を終えたレムが帰ってくるまで続くのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

「それでは改めて、ハーさんとティアの帰還を祝して、乾杯!」

 

「――乾杯!」

 

と、夜になったナツキ家の居間で、コタツを囲んだ面々が声を揃えて乾杯した。

とはいえ、乾杯に掲げたカップに入っているのは酒ではなく、お茶と果汁の類だ。諸事情あって、この席で酒を飲んでいるものはいない。

それは、銭湯にまで酒を持ち込むハリベルも例外ではなかった。

 

「いやー、それにしても偶然ってのはあるもんだな。まさか、ハーさんが戻ってくるのと、ティアの調子がいいタイミングが重なるなんて」

 

「はい、そうですね。おかげで、こうやってみんなで食卓を囲むことができました。あんまり嬉しかったので、レムは普段通りの腕を振るえたかどうか心配なぐらいです」

 

「あ、腕によりをかけたとかじゃなくて、不安な方なんだ?」

 

「レムはいつだって、スバルくんたち家族のために全力で食事を作っていますから」

 

薄く微笑み、うっとりとした目をするレムに、スバルは顔を赤くして頭を掻く。

正直、両親のこんな姿は目に毒なのだが、リゲルにとってはそれこそ生まれたときから当たり前にあった光景なので、今さら何がどうということもない。

 

「おじさん、皿ちょうだい。オレが取ってやるよ」

 

「おー、さすが、気が利くやんか。そしたら、ちょっと肉多くしたってくれる?あと、野菜はあんまし入れんでほしいんやけど」

 

「あいあい。でも、ちゃんと野菜も食わないと体に悪いよ」

 

ハリベルの注文を受け付けながら、リゲルは長い箸を器用に使い、鍋の具材を器に取り分けていった。

今夜のナツキ家の食卓のメインは鍋、そしてサブには張り切ったレムが腕を振るって作った多数の副菜が並べられている。

 

「大勢がいて、おまけにコタツなんだ。ここは鍋だろ!」

「はい、さすがスバルくんです!感服しました!」

 

とは、鍋を実行する前の両親の会話だ。特に異論はないので、そのまま捨て置いた。

それに、鍋はリゲルも好きだ。あまり得意ではない野菜がたくさん取れるのがいい。

 

「ちょっと、リゲル。アンタ、アタシの器に野菜入れすぎじゃない?アタシ、ハーとおんなじで肉がいっぱい食べたいんだけど。あと、野菜も入れるなって言ったんですけど」

 

「何言ってんだよ、野菜食えよ。肉ばっかり食ってるとぶくぶく太って大変だぞ。肉、野菜、野菜、野菜、肉、野菜、野菜、肉のリズムを守れ」

 

「アタシ、肉ほとんど食べられないじゃない!」

 

こんもりと野菜を盛られた器を渡されて、ティアが不満げに悲鳴を上げる。それでも、器の中身を鍋に戻したりしないあたり、躾が適切に行き届いていて何よりだ。

その内容に満足しつつ、リゲルは次の器に、次の器にと盛り付けを続ける。

 

「いやー、奉行がいてくれて助かるわ。俺たちは見てるだけでハッピー、奉行はスムーズに鍋が進行してハッピー、ウィンウィンの関係だもんな」

 

「馬鹿言えよ。ちゃんとオレも鍋は食いたいっての。オレにばっかりやらせないで……」

 

「はい、それは可哀想ですから……ほら、リゲル、あーんして」

 

鍋の取り分け作業に集中するあまり、自分の胃袋を疎かにするリゲルにレムが箸を向けてくれる。

少し恥ずかしいが、この場にいるのは身内だけだ。恥をかいても構わぬの覚悟で、リゲルはレムが食べさせてくれるのを甘んじて受け入れる。

 

「おいおい、俺のレムになんて野郎だ。よし、俺も食べさせてやろう」

 

「お、なんや、リゲル、さっきから全然食べてないやん。僕も食べさせたるよ」

 

「あ、じゃあ、アタシもアタシも。ほら、これ食べなさい。これ、ほら、食べて!」

 

「もがもがー!そんな食えるかー!」

 

レムを受け入れたのを皮切りに、大人たちがこぞってリゲルの口に食べ物を詰め込みにくる。スバルやハリベルは悪ふざけしながらもちゃんと選んでくれているのでまだマシだが、ティアに至っては自分の器から嫌いな野菜を押し付けてくるだけだ。

 

「ふざけんな!全員、大人なんだからちゃんとしろよ!鍋の最中にふざけやがって、もっと鍋を崇めろ!鍋の力に恐れおののけ!」

 

「おおう、なんて堂に入った鍋奉行ぶり。お前のそのハマりやすい性格、父親として誇りに思うぜ」

 

「うるせぇな!父ちゃん絶対褒めてねぇだろ!」

 

壮絶に吠えて、リゲルはスバルを始めとした大人たちにガツンとぶちかます。が、大人たちはそれを笑って聞き流すので、何ともリゲルとしては腹立たしい。

やはり、リゲルの味方はスピカしかいないのだ。

 

「なのに、そのスピカはティアに取られてるし!」

 

「あー、はいはい、拗ねない拗ねない。あれよ、ちゃんとスピカが好きなのはお兄ちゃんのアンタだって。アタシとはほら、会うの二回目だし」

 

「そうですよ、リゲル。普段はしつこいぐらいスピカを独り占めしているんですから、今日ぐらいはティア様に譲ってあげてください。代わりに、ハリベル様を撫でていたらいいじゃないですか」

 

「レムちゃんの中で、僕っていまだにどんな立ち位置なん?」

 

わりと対人関係の強弱を露骨に表すレムから見ると、ティアとハリベルの二人はティアの方に肩入れする軍配が上がるようだ。

人当たりが良く、近所でも美人で有名な自慢の母だが、そんなレムがこんなにも親しげにする相手は珍しく、ティアにあっかんべーされてもリゲルは何も言えない。

 

「まぁ、そうしょげるなよ、リゲル。お前だって、可愛いスピカに会えなきゃ死活問題だろうが。そんなスピカにしばらく会えてねぇんだ。ティアのことも気遣ってやれ」

 

「……そんなの、家族って言えるのかよ」

 

「うん?」

 

「一緒に暮らすから、家族っていうんじゃねぇの?なのに、たまにしかこないくせに、たまにきたからって家族扱いとか、なんか、変だ」

 

夕刻、ティア相手にも直接言ったことを、リゲルはぼそりとスバルに告げる。

途端、なんだか告げ口をしているような気分になって、リゲルは自分で自分に嫌気が差した。

 

しかし、スバルはそんなリゲルの頭をわしわしと撫でる。

 

「お前の言い分ごもっとも、って言いたいとこだけど、そうでもねぇよ。別に、一緒にいなくても家族にはなれる。ティアにはティアの事情があるんだ。だから、こうやってたまにしか顔は出せない。けど、出せるようになったら絶対きてくれる」

 

「――――」

 

「まぁ、今はやけに好感度の高い美人のお姉さんが、なんかちょくちょくきてからかってくれるっていう幸運に甘えておけ。お前、すげぇ恵まれてるぞ」

 

「何の話だよ!?」

 

口調の雰囲気が変わり、明らかに軽口の範疇に入ったところでリゲルは怒鳴る。それから頭の上の父親の手を払いのけ、そのままスバルに指を突き付けた。

 

「大体、恵まれてるってマジで言ってんのかよ。オレ、明日には節分でえらい目に遭うことが確定してんだぞ。すでに憂鬱で憂鬱で……スピカなしじゃ寝られねぇよ!」

 

「何を最後に自分の要求通そうとしてんだ。スピカの添い寝権はローテーションで、今夜は俺って決まってんだろうが。それも、ティアに譲ってやるつもりだし、まかり間違ってもお前のところに添い寝権はいかないぞ」

 

「チクショウ!」

 

どさくさに紛れて同情を買おうとしたが、そこはスバルもリゲルとの付き合いは長い。それこそ生まれたときからの付き合いだけに、底の浅い作戦はすぐに見破られた。

と、そんな風に親子がいつもの如くぎゃいぎゃい騒いでいると、

 

「ん?なに?明日とか、リゲルになんかあんの?」

 

その騒ぎを聞きつけて、スピカに指をかじらせていたティアが首を傾げる。その反応にリゲルは返答を迷ったが、代わりにレムが「はい」と微笑んで頷く。

 

「実は、明日は節分といって、スバルくんが提案したお祭りの日なんです。そこで、リゲルは鬼族を代表して、鬼の格好をしながら街中を豆を投げられながら逃げ回るんですよ」

 

「すげぇ語弊がある紹介!」

 

「やだ、何それ、すごい楽しそう……」

 

「お前も乗り気になるなよ!」

 

レムの雑な紹介を受け、ティアがきらきらと目を輝かせる。

物騒な発言が目立つことからもお分かりかもしれないが、ティアは明らかに『豆まき』の内容が好きだ。彼女はリゲルを困らせるのが好きな節があり、自分でもいうように嗜虐心とやらが強い。つまるところ、節分とは――、

 

「――アタシのためにあるみたいな祭りね」

 

「だから聞かせたくなかったんだよ!誰だ、不用意に節分の話題出した奴!オレか!オレだよ!すいませんでしたー!」

 

「お前は一人で色々と忙しい奴だな……」

 

頭を抱えて崩れ落ちるリゲルを、ティアが夢見る乙女のような目で見つめている。そんなリゲルの自爆に頭を掻いて、スバルは「よし」と一つ頷いた。

 

「おい、聞け、息子よ。お前の気持ちはよーくわかった。確かに、節分ってイベントがお前にもたらすダメージはでかかろう辛かろうだ。それは親としても見ててしのびない」

 

「ガブリ、この味は嘘をついている味だぜ!」

 

「そこは舐めろよ。がっつり噛むなよ!」

 

手に息子の歯型を付けて、スバルが不信感丸出しなリゲルに困り果てる。

 

「いったい、何がお前をここまでのモンスターにしちまったんだ……」

 

「親の仕打ちだな!あと、街の仕打ちだ!」

 

「言っとくけど、ちゃんと豆まきのときは俺もお前と一緒に鬼の格好してるし、外歩いてて子どもに豆ぶつけられるのもお前だけじゃないからな?」

 

「何それ、スーにも豆ぶつけていいの?アタシ、自分で自分が抑え切れないかも……」

 

「ティア様、ティア様、お肉がおいしく煮えましたよ。はい、あーん」

 

「あーん」

 

途中、嗜虐心を堪え切れないティアの茶々が入りかけたが、それを華麗に良妻がセーブし、スバルはコホンと咳払いして続ける。

 

「ともかく、話の腰を折るな。大事なのはこっから先だ。つまり、毎年の節分でお前があんまり苦しい目に遭うのは辛い。だから、今回の節分は違う趣向を凝らした!」

 

「また節分に余計な奇祭要素が加わるのか……」

 

「お前、父親への信頼が全くねぇな!でも、お前は驚いて納得するだろうぜ!」

 

そう言って、スバルはコタツを抜け出すと、居間の端っこに置いてあった自分の仕事用の鞄を漁る。そして、その中から丸めた布を引っ張り出してきた。

 

「ハーさん、そっち持ってくれ!ぴゃーって広げる!」

 

「お、なんやこれ、横断幕?何が書いてあるんかな?」

 

スバルの申し出を受け入れ、ハリベルがさっと立ち上がって布の端っこを持つ。そして大人二人がそれを一気に広げると、筆で描かれた文字がリゲルの視界に飛び込んできた。

そこに記されていたのは――、

 

「せつぶんおばけ……?」

 

「子どもでも読めるように、イ文字だけにしてあるけどな。本当は『節分お化け』って書く。これも、俺のプロデュースする節分企画第四弾だ。ワクワクするだろ?」

 

「ゾクゾクするけど」

 

大体、お化けという表現がすでにいい印象を与えようがない。あまり慣れ親しんだ響きではないが、確かスバルに以前聞いた話だと――、

 

「お化けって、ホロゥのことだろ?いいイメージなんか全く湧かねぇよ」

 

「まぁ、それはわかる。わかるけども、このお化けってのはまた観念的な話でな。そのあたりは節分の鬼の役目と被るところもあるんだが……」

 

元々、節分における『鬼』とは実際の鬼族のことを意味するのではなく、鬼=災厄・不運といったイメージで紐づけ、鬼を追い払う行事で不運を遠ざける的な狙いがある。

正直、鬼族の血を引く身としては鬼が災厄の象徴みたいな扱いはいただけない印象が強いのだが、これだけ街中で根付いてしまった今、主張しても市民権がない。

 

「そういう悪いものを追い払うって部分はオミットされて、鬼といえば節分の主役!みたいな雰囲気になってんだから、そこはよしとしておこうぜ」

 

「それをよしとした結果、節分が近付くたんびに生きづらくなってんだけど」

 

「そんな生きづらい世の中をそれでも生きてかなきゃならないお前に朗報だ。節分お化けってイベントは、そんなお前を救ってくれるんだぜ」

 

「へー」

 

半信半疑な目で、リゲルはスバルを見る。

その様子に、これでは話が進まないと見たのか、ハリベルがキセルに火を入れて、

 

「まあまあ、最後まで聞こうやないの。僕も節分っていうたら又聞きの又聞きぐらいの知識しかないんやけど、そのホロゥたらいうんは何が違うん?」

 

「それはだな……今回は、鬼に変装が許されるんだよ!」

 

「なんだって!?」

 

ご披露、とばかりに声を高くしたスバルに、リゲルは目を見開いた。

変装、とは驚きの主張だ。何故なら、これまでの節分でリゲルに許されてきたのは、黄色い布に黒い縦縞の入った鬼のパンツと、赤いちゃんちゃんこ。それに、明るい緑色の自己主張がやたらと激しいカツラだけだったのだから。

 

「節分お化けってのはだな、普段と違った服装をすることで、節分の一日を鬼に見つからないようにやり過ごすって考えからきてるんだ」

 

「またそうやって鬼を悪者に!」

 

「だーかーら、今回はそれを逆にしてみた。つまり、節分に仮装大会の要素を入れたんだ。街中にそれとなく周知しておいたから、明日は男も女も老いも若いも、みんながみんな、仮装して節分に繰り出すって寸法だ。その中にお前が紛れて、『鬼はどこだろうゲーム』的な感じでやる。どうだ、スリリングだろ?」

 

「なんか、ますます馬鹿っぽい祭りになった感があるけど……」

 

すごくない?的などや顔をするスバルはイラっとするが、リゲルは考え込む。

これで存外、スバルの意見は悪くない気がした。むしろ、いいのではないか。目立つ格好でいるからこそ、リゲルを鬼と定めて狙いつけてくる輩が多い。

しかし、普段の鬼とかけ離れた姿を――それどころか、ナツキ・リゲルとは思えない姿形になってしまえば、スピカと平穏無事に出かけることも可能ではないか。

 

「おいおい、どうしちまったんだよ、父ちゃん。ついに父性愛に目覚めたのかよ」

 

「俺が今まで父性愛に目覚めてなかったみたいなこと言うな。俺の父性愛は、二年前から完璧に開花してるぜ」

 

「二年前って、それスピカが生まれてからじゃねぇか!」

 

親指を立てて歯を光らせるスバルに、リゲルの突っ込みが冴え渡る。

ともあれ、珍しく、本当に珍しく――否、節分においては初めて、リゲルは父親の意見に賛同した。

 

「変装だな!よし、それで明日、何とか乗り切ってやるぜ!」

 

「その意気だ!と言いたいところだが、甘いぜ、リゲル。明日に備えて、街中にお前の普段の姿を『ミーティア』で撮影して配布しておいた。つまり、生半可な変装じゃ、街中のリゲリストたちにあっさり看破されて、お前・イズ・デッド」

 

「余計な真似すんなよ!?」

 

見直した途端に見直したことを後悔する采配。

ただ、そんなリゲルにスバルは「ちっちっち」と指を左右に振って、

 

「馬鹿なこと言うなよ。ワンサイドゲームにしたらそれこそ、節分のために今日まで手首を鍛え上げてきたマメマキストたちに申し訳が立たないだろうが。あっちも全力、こっちも全力、それができて初めて、スポーツマンシップに則れるんだ。リアリィ?」

 

「うるせぇ!じゃあ、どうすんだよ!結局、普段の節分と変わらないじゃんか!」

 

むしろ、リゲルの姿形が街中にしっかりと知れ渡った分、昨年よりひどいまである。

そんな絶望感に支配され、明日の自分が豆殺されることを予感するリゲル。

しかし、そんなリゲルに――、

 

「――いいえ、リゲル。そんなことにはなりません。ここは、お母さんに任せてください」

 

颯爽と立ち上がり、リゲルに救いの手を差し伸べたのは誰であろうレムであった。

彼女は薄い青のキモノ、その袂をたすき掛けすると、気合いの入った顔で拳を固める。

 

「スバルくんは言いました。あちらが全力ならば、こちらも全力だと。その通りです。ならば、全力でお相手すればいいだけのことですよ」

 

「で、でも、どうすんだよ、母ちゃん。オレ、これまで仮装はともかく、変装なんかしたことねぇし、すぐに見破られてオレ・イズ・デッドだよ……」

 

「馬鹿ですね、リゲル。何も一人で立ち向かう必要なんてありませんよ」

 

「え?」

 

微笑み、レムが混乱しているリゲルに頷きかける。そっと手を伸ばし、母の手がリゲルの頬に触れた。そして、自分と同じ薄青の瞳と視線が交錯する。

 

「いいですか、リゲル。ここはレムに任せてください。スバルくんが……お父さんがリゲルのために懸命に考えたことです。それなら、レムがそれに応えるのは妻として当然のことですから」

 

「母ちゃん……」

 

その言葉に、リゲルの胸を温かいものが満たしていく。

そして、リゲルは少しの間だけ考えて――、

 

「――わかった。オレ、母ちゃんを信じるよ」

 

※※※※※※※※※※※※※

 

――レムを信じたリゲルが、母の手に一時間ほど身を委ねたあとのことだ。

 

「どうですか、リゲル。これが、お母さんにできる精一杯です」

 

そう言って、レムは額の汗を拭うような仕草で、力強く頷いた。

それを受け、リゲルは自分の目の前にある姿見をしっかりと見つめる。体の全体を映してくれる縦長の鏡、そこには生まれ変わったリゲルが映し出されていた。

 

「これが、あたし……?」

 

鏡に映っていたのは、リゲルと同年代の可愛らしい少女だった。

濃い藍色を基調としたキモノに、柔らかい赤色が特徴的なカンザシ。明るい青の髪は綺麗に結い上げられ、どこぞのお嬢さんといった仕上がりになっている。

やや、目つきの鋭いところはあるが、長い睫毛とほんのりと色づく頬紅、それに少しだけ恥ずかしげな表情も相まって、なかなか男を惑わす魅力を醸し出していた。

 

振り返る。レムが頷く。

 

振り返る。ハリベルが感心した息をつく。

 

振り返る。そんな少女を見て、スバルはにっこりと笑って、

 

「その姿のお前を、ナツミ・リンメルと名付けよう!」

 

「うるせぇな!!母ちゃん信じたオレが馬鹿だったよ!!」

 

笑いを堪えたスバルの表情が憎らしくて、リゲルは思い切りに地団太を踏んだ。

無論、その鏡に映った可愛らしい少女は、レムの手で華麗な転身を遂げたリゲルである。正直、レムの手腕を恐ろしく感じるぐらい、完璧な仕上がりであった。

 

「レムの目に狂いはありませんでした。リゲルには、スバルくんと同じぐらいの可能性があると……力作です」

 

「ああ、だいぶ可愛いな。俺にそっくりの目つきで生まれてきたときは色々と将来を不安に思ったけど、最悪、これで将来何とかする目も……」

 

「あるかぁ!これで開ける未来ってなんだ!?大体、母ちゃんが言ってた、父ちゃんと同じぐらいの可能性ってなに!?父ちゃんも女装すんの!?」

 

「ナツミ・シュバルツ……明日を楽しみにしてろ」

 

どことなく自信ありげなスバルの答えに、リゲルは膝から屈するしかなかった。

そんなリゲルの肩を、ぽんとハリベルが叩く。糸目の狼人はその大きな口から長い息を吐き出すと、

 

「あー、あんまし嬉しないかもしらんけど、見事なもんやよ?ほれ、将来的に僕の跡継ぎになるんやったら、そういう格好で潜入とか役立つかもしれんし」

 

「おかしな慰めはよしてくれよ。……いや、やめてよ、おじさん。あたし、こんなんじゃやってけないよ」

 

「かなりなり切りが進んでるやん……」

 

自嘲なのか凝り性なのか、あるいは慣れかもしれない。

リゲルの現実を現実として受け入れる切り替えの早さに苦笑しつつ、ハリベルは少し考えるように頭を掻いて、

 

「あれやったら、明日のために分身の術とか教えたろか?付け焼刃やとうまくいくかわからんけど、リゲルは筋いいし、ひょっとしたら一人ぐらい増やせるかも」

 

「分身って、あのハリベルおじさんが四人に増える奴?」

 

「そうそう。手数が四倍に増えるからめっちゃ強なるよ。注意点は、分身の数だけ手数が増えるけど、傷は一緒になるから喰らったら四倍食らうことやけど」

 

「それ、あたしが豆を二倍当てられる未来しか見えてこないじゃないっ」

 

「おお、声まで裏声に……」

 

こうなればいっそ割り切って、完璧に女子を演じ切ってやった方が生き残れる可能性は高いかもしれない。

要は相手が豆をぶつけることを躊躇うぐらい、女の子女の子して、ナツキ・リゲルであることから離れればいいのだ。

 

「これが、鬼を遠ざける節分お化け……っ」

 

「そんな、自分の中の血と戦うみたいな話やないんやないかなぁ」

 

「おじさん、あたし、負けないっ」

 

「うんうん、そうかそうか。頑張ったらええ。何でも一生懸命なとこ、好きやぞー」

 

熱心なリゲルに考えを放棄して、ハリベルは頭を撫でようとして、髪が崩れることを懸念したのか肩を叩く。

その、髪型を気にしてくれる配慮に胸がきゅんとなる。

 

「マズい。すでにオレの中で、あたしであることへの疑問が薄れつつある……」

 

「お前のその影響されやすいところ、長所だけど短所でもあるな」

 

それが誰の影響なのか、まではリゲルは触れず、ただ舌を出しておくにとどめた。

ともあれ、ナツキ・リゲル改めナツミ・リンメル作戦は、リゲル自身の羞恥心のことを除けば、確かに効果的だろう。

あと、問題があるとすれば――、

 

「――ひ、ひぃ、ひぃ、死ぬ、死んじゃう。ア、アタシを、アタシを殺そうとするとか、どんだけ、なのよ、くくくっ」

 

「笑いすぎでしょっ!あたしだって傷付くんだから!」

 

「ちょっ、なりきんのやめて。あ、お腹痛い、お腹痛い……っ!」

 

リゲルが完成して以来、ティアは腹を抱えて大爆笑の状態だ。違和感なく受け入れられてもあれなので、こうして笑い飛ばしてくれるのはありがたくもあるのだが。

 

「……そんなに、おかしく見えるかな?あたし」

 

「完成度は高い、とレムは自負しています。同時に今のリゲルを見ていると、もしかするとレムはとんでもない怪物を生み出してしまったのではないかとも……」

 

鏡に向き直り、軽くポーズを取ってみる。可愛い、と思う。

そんなリゲルの様子に、レムは満足げにしつつも、ほんのりと冷や汗をかいている。

そうした父や母の反応を横目に、リゲルはしめしめと内心で笑った。

 

もちろん、本気でこの女装が気に入ったわけではない。いや、完成度は高いと思うし、自分でも結構可愛くて驚くのだが、それはそれだ。

こうやって、本気で自分たちの行動が息子を危うい方向へ向かわせつつあると気付けば、今後は両親の考えも少しは程度を弁えるようになるだろう。

 

決して、こんな機会は滅多にないからと、女装を楽しみつつ、両親を威嚇して日頃の鬱憤を晴らしているわけではないのだ。

 

「ねー、スピカ。明日はあたし、頑張るからねー」

 

「あーぅ?」

 

コタツの中に潜り、みんなの足の間を行ったり来たりして遊んでいたスピカが、そんなリゲルの言葉に振り返る。

そして、すっかり見違えた兄の姿に可愛らしい目を丸くして、自分の指をくわえた。

それから一言――、

 

「――にーね?」

 

そう言って、リゲルのアイデンティティをクライシスして、轟沈させたのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

――騒がしい夕食会が終わり、バナンの街の夜が更けてくる。

 

明日は節分、決戦前夜とはまさにこのことだ。

普段から、翌日に何か予定があると寝付けなくなるタイプのリゲルにとって、節分の前夜はその緊張の度合いが特に強い。

節分以外では、あとは家族の誕生日ぐらいか。いずれにしても、鼓動が早い。

 

夕食が終わり、少しだけ父と晩酌を交わしたハリベルはすでに自分の長屋に帰ったあとだ。スバルは明日の節分のための最後の打ち合わせと、『カララギ文化振興会』の方へ顔を出しにいき、レムもそれに付き添っていった。

おそらく、「明日は息子をお願いします」と頼みにいったのだろう。律義で、行き届いた母だ。それだけに、リゲルは自分が多くの大人に守られていることを自覚していた。

 

あれだけ節分についてやいのやいのと言ったものの、実際にはリゲルが本当にひどい目に遭わないよう、スバルを始めとした大人たちは配慮してくれている。

祭りの参加要項を徹底させているのもそうだし、明日の『節分お化け』企画においても、リゲルと間違って誰かが的にされないよう、何らかの対処はしてあるはずだ。

最悪、リゲルの背中に「こいつが鬼」という張り紙がされるぐらいの覚悟はしておく。

 

そんなわけで、夜のナツキ家には両親が不在。ここはリゲルが代理の家長となって、可愛い天使であるスピカを守るために気を張るところなのだが。

 

「――眠れないの?」

 

縁側に座って、青い月が浮かぶ空を眺めていたリゲルに声がかけられた。

振り返る、暇もなく相手の方がそのままリゲルの隣にすとんと座り込んでくる。温かな肩が遠慮なしに触れてきて、リゲルは小さく息をついた。

 

「アタシ、あんまりちゃんとわかってないけど、そろそろニンゲンの子どもって寝る時間なんじゃないの?アンタ、明日は忙しいんでしょ?」

 

「そりゃそうなんだけど、いいんだよ。オレの場合、ちょっとぐらい寝不足な方が体が程よく緊張してくれて動くんだ」

 

「でも、目の下に隈でもできたらせっかくの変装が台無しなんじゃない?でしょ、ナツミ・リンメルちゃん」

 

からかうような口調で言われて、リゲルの頬にさっと朱の色が差す。

手玉に取られ、遊ばれている。それを悟られたくなくて、リゲルは顔を背けた。しかし、ティアはくすくすと笑い、そっとリゲルのうなじに鼻を押し付けてくる。

 

「だっ、わっ!」

 

「慌てんじゃないわよ。……ん、緊張してる匂い。それに、恥ずかしがってるし、強がってる。アンタってホント、素直じゃなくて可愛い。殺したくなるぐらい」

 

「……またそれかよ。殺したいなら、殺してみればいいじゃん」

 

どうせできないくせに、というニュアンスを込めて、リゲルはため息をついた。すると、その言葉を受けて、ティアが瞳を大きく見開く。

それから、彼女は一瞬だけ唇を噛んで目を伏せると、

 

「そう、ね。殺したい。けど、アタシはアンタを殺せない」

 

そのまま、ティアはふっと唇を緩めて微笑むと、「だって」と言葉を継いで、

 

「アタシ、アンタを愛してるもの」

 

「――――」

 

それは、ティアに初めて会ったときにも言われた言葉だ。その言葉に、ひどく心を揺さぶられたことを覚えている。

おそらく、家族以外の人に初めて、『愛してる』などと言われたのだ。

それも、これだけ目を剥くような美人に。何も思わない方が、どうかしている。

 

「――――」

 

そんな内心の動揺を悟られたくなくて、リゲルは自分の左手首の腕輪をいじる。白い獣の毛で編まれた腕輪、これもティアに贈られたものだ。

彼女はこれがあれば、いつでもリゲルを助けに駆け付けると言ってくれたが。

 

「それ、使ってくれたことないわよね。アンタはアタシを呼ばない」

 

「……だって、なんか、情けねぇじゃん。助けてほしいって、それだけで呼び出すのとか、そういうのじゃねぇと思うし」

 

「そう?アンタの父親のスーは、すぐ周りに助けを求める方じゃない?」

 

「そうする父ちゃんが、母ちゃんは好きだからそれでいいんだよ。でも、オレの場合はそうじゃねぇし。オレは、母ちゃんの血のおかげで父ちゃんとは違う。会いたい相手のことは呼び出すんじゃなく、会いにいくよ」

 

「ふーん」

 

わりと勇気を出した発言だったのだが、ティアの反応は芳しくない。彼女は素知らぬ顔で鼻を鳴らして、自分の肩にかかる乳白色の髪を指でいじっていた。

 

「寒い夜ねー。レムとスーは、いつになったら帰ってくんのかしら」

 

「どうせ、節分の前の日だからってちょっと飲んでくるだろうから、もうちっとかかるよ」

 

「そうなの?じゃあ、酔っ払いの臭いに巻き込まれたくないし、アタシたちもとっとと寝るかー」

 

ぐっと背伸びして、ティアがその場に立ち上がる。

ナツキ家の夜は、一つの部屋に全員の布団を並べて寝るのがお約束だ。ティアが泊まる日であってもそれは変わらない。

唯一、スピカの隣で添い寝するのが誰になるのか、それだけが毎日の変動制が導入されている部分だが――、

 

「今夜はアタシが、スピカと添い寝すんの。羨ましい?」

 

「ああ、羨ましい。節分とかどうでもよくなるよな」

 

「今、すごい返事が早かったし、本気っぽくて怖いわね、アンタ……」

 

スピカのことで嘘をつくことなどありえないし、嘘をつく理由も浮かばない。

そんな考えで不思議そうに首を傾げるリゲルに、ティアは瞳を細める。

 

「さっき、匂いでわかったけど、緊張してるし、強がってるでしょ」

 

「……まぁ、そうじゃないって言ったら嘘になるかもしれないこと山のごとしだけど」

 

「山でも川でもいいけど、意地張んないの。ほら、きなさい」

 

「――?」

 

先に立ち上がったティアが、リゲルの手を引っ張って立たせる。細い指、すべらかな肌の感触、思った以上に力強く立たされてリゲルは驚く。

そして、そんな驚くリゲルに、ティアは笑顔を近付ける。互いの鼻と鼻がくっつきそうなぐらい、至近距離で微笑まれて、

 

「アンタの勇気が出るように、アタシが手伝ってやるわ。今日、スピカと添い寝する権利はアタシのだから、アンタにアタシと添い寝する権利をあげる」

 

「は、はぁ!?それすると、それすると、なんなんだよ」

 

「アンタはアタシと、スピカと添い寝できんの。アタシ、スピカの隣を譲りたくないし、でもアンタも可哀想だし、可哀想なアンタの顔見てると、うずうずして、殺したくなってたまんなくなっちゃうし……」

 

「わかりました!ご提案に乗らせてください!」

 

陶然とした面持ちで、もじもじと頬を染めるティアの物騒さにリゲルは白旗を上げた。

それを受け、ティアは「よろしい」と頷く。

 

「ほら、そうと決まったらさっさと準備してきなさい。アタシも、たまに調子のいい日ぐらいはうなされずに寝たいのよ。久々に子守歌も歌ってあげるから」

 

「子守歌って……」

 

「そう、『殺せの唄』ね!」

 

「『ティア』な!」

 

母が昔からリゲルに口ずさんでくれた子守歌、それの出所はどうやらティアらしいのだが、どうにも彼女本人は物騒なものだ。

ただ、そんな物騒ながらも、変わらないでいてくれる彼女の存在にリゲルは救われる。

出会った当初、リゲルが淡く心を揺すぶられたときから変わらないでいてくれるなら、いつか、走って追いつけるのではと思えるから。

 

「リゲルー?」

 

「わかってる、すぐいくって!」

 

不思議そうなティアの声を聞きながら、リゲルは夜風に顔を当てて、熱を持った頬や耳を冷ましていく。

どうせ、布団に入る頃にはまた熱くなっているかもしれないけれど、その頃には自分は布団に潜っているのだ。構うものか。

だから――、

 

「――ああ、チクショウ、静かにしてくれよ、オレの心臓」

 

なんて、ぶつくさと言いながら、リゲルは可愛いスピカと、ティアの待つ布団へと向かって歩き出したのだった。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

なお、余談だが、翌日の『節分お化け』を取り入れた節分は大成功に終わった。

 

ナツキ・スバルの提案によって、街中に周知された『節分お化け』。それにより、バナンの街には多数の仮装した人間が入り乱れ、今回は外部から節分を楽しみにやってきた旅行者なども混ざって、豆まきは一大イベントへとなり果てた。

 

結果、突発的に開催された『節分お化け』コンテストなるもので、それぞれの仮装を評価する催しなどが行われたのだが――、

 

――その表彰台をナツキ家が総取りしたことは、『ミーティア』で記録写真として残されている。

 

そこには可愛らしい少女と、どこか妖艶な美女、それに颯爽と凛々しい男装の麗人。

そんな表彰台に並んだ三人と一緒に、大きな狼人と、幼児を抱いた笑顔の美女が一緒に写り込んでいるのだ。