『学園リゼロ! 1時間目!』


――始まりはいつだって、日常の延長線上に顔を出す。

 

目覚めはいつも唐突で、衝撃と共にやってくるものだった。

 

「ほーら!もう朝だから起きるのよー!」

 

「ぐえっ!?」

 

腹の上に衝撃があって、眠りから一気に引っ張り出される。

いや、この場合は引っ張り出されるというより、むりくりに突き出されたという方が正しいかもしれない。

 

肺の中身を絞り出されて、苦しげに呻きながら目を開ける。

と、目の前には見慣れた可愛い顔があった。

 

「……おはよう、不肖の妹よ」

 

「おはようかしら、不肖の兄なのよ。もういい時間だから、さっさと起きないと遅刻しちゃうかしら。そしたら、パパとママにもどやされるのよ」

 

不機嫌な俺の声に気付いているのかいないのか、腹の上の少女が転がりながら言う。

 

淡いクリーム色の髪を縦ロールにして、人形めいた顔立ちをした小娘だ。

もっぱら、喋らず置物にしておけば実に愛らしいと俺の中で評判だが、愛嬌をふりまきながら動いて喋っているとますます愛らしいというのも俺の評価である。

 

「何を隠そう、ご近所様でも全く似ていないと評判な、我が妹菜月・ベアトリスである」

 

「誰に向かって説明してるのかしら。にーちゃ……スバルはよくよく変なのよ」

 

「そこまで言ったんなら言い切ってくれればいいのに。最近、にーちゃって呼んでくれなくなってお兄ちゃんは寂しいぞ」

 

「ば、バカなこと言ってる暇があったら起きるかしら!早くしないと、またあの姉妹に迷惑をかけちゃうのよ!」

 

「そりゃマズイ。じゃ、着替えるか。ベア子、脱がせてくれ」

 

「自分でやるかしら!」

 

枕をぶつけられて、顔をしかめている間にベアトリスが部屋を出ていく。

心温まる兄とのやり取りにもあの反応、ひょっとすると反抗期なのかもしれない。最近は一緒にお風呂にも入らなくなったし、何より呼び方が変わった。

 

あんまり兄を呼び捨てにするような環境は良くない気がするんだが、うちの両親は揃って放任主義……というか、適当なのでそのあたりは寛大さを発揮している。

やっぱりここは一つ、兄である俺がビシッと言ってやらにゃならんのではないか。

 

「などと言いつつ、俺はてきぱきと着替えを終えてリビングへ向かうのだった」

 

制服に着替えて、何も入っていない鞄を担ぐと階下へ向かう。

ほんのりと焼けたトーストの匂いが漂ってきて、食卓にはすでに朝食の準備が整っているのがわかった。

 

「おっはー!」

 

「あいあい、おっはおっは」

 

ドアを開けて食卓に入ると、満面の笑顔で中年に挨拶される。

すげなく相手をしてやると、これまた中年は不満そうな顔で唇を尖らせた。

 

「おいおい、ずいぶんとセメント対応するじゃねぇか、我が息子。少しは我が娘の素直と優しさを見習ったらどうよ」

 

「なに、ベア子は親父のおっはーに付き合ってあげたの?優しすぎるだろ」

 

「だ、だって、やってあげないとパパったらすごい悲しそうな顔するのよ。ベティーのせいで家庭内不和なんてことになったら、目も当てられないかしら」

 

小学生のくせに、うちの妹はずいぶんと難しい問題に直面しているものだ。

まぁ、ベア子の同級生のペトラちゃんなんかもわりとおませな言葉を知っていたりするので、最近の小学生はそういう感じがスタンダードなのかもしれない。

マジ、日本の加速が止まらない。

 

「で、今朝のメニューは?」

 

「決まってるでしょ?マヨネーズトーストとマヨネーズスープと、マヨネーズで食べるサラダとマヨネーズ煮魚だよ」

 

首の骨を鳴らしながら椅子に座ると、ちょうど母さんがトーストを運んでやってくる。決まってるでしょ、という発言でわかる通り、我が家のメニューは大体固定だ。

和洋で分かれることはあっても、メイン部分は大体共通――つまり、マヨネーズ。

 

「マイマヨネーズは自分で冷蔵庫から出してね。あと、マヨネーズが足りなかったら自分で足して」

 

「あーい。しかし、改めて考えるとかなり狂気的な会話だよな。マイマヨネーズとか当たり前のように飛び出す家庭、少数派だろうし」

 

「……ベティーはこれが普通だと思っていたから、前にペトラにものすごい笑われてめちゃめちゃトラウマになっているのよ」

 

暗い目をする妹に同情しながら、俺は家族分のマヨネーズを冷蔵庫から出してくる。

我が家は揃ってマヨネーズ好きのマヨネーズ狂いのため、全員が自分のマイマヨネーズを所持している。こんなこと言っちゃいるが、俺もマヨネーズは好きだ。ベア子も、マヨネーズに関しては一家言持ちである。

 

こんな感じのいつものやり取りをしながら、菜月家の朝は始まる。

父・母に俺と妹の四人家族。ちょいと歳の離れた妹の反抗期に悩まされつつも、そこそこに平穏で幸せな毎日こそが日常といえるだろう。

 

「――ん」

 

マヨネーズを塗ったトーストを焼いただけのマヨネーズトースト。それに舌鼓を打っていると、家のインターフォンが鳴らされた。

ちらっと時計に目を向けると、ちょうどいつも家を出る時間になっている。

 

「ありゃ、思ったより今日はゆっくりしちまったか」

 

さっさと残りのトーストを口に放り込んで、マヨネーズスープで流し込む。

鞄を担いで立ち上がると、食べ終わったベア子も同時にランドセルを背負った。

 

「……何をジッと見てるかしら?」

 

「いや、お前はいつ見てもランドセルが似合うな。ベスト・ランドセラーだ」

 

「そ、そんな褒めてもなんにも出ないのよ!」

 

顔を赤くするベア子の頭を撫でて、俺は一緒に玄関へ向かう。

背後では父ちゃんと母ちゃんがなんかイチャイチャしていたので、いってきますは小声で伝えてそそくさ出発だ。

 

そうして靴に履き替えて外に出ると、

 

「――おはようございます、スバルくん」

 

出迎えてくれたのは、首丈の青い髪を揺らす少女――幼馴染みのレムだ。

レムは今日も花のような笑顔と、弾んだ声で俺を出迎えてくれる。紺色のブレザーと短いスカートが鮮やかで、出くわすたびに新鮮だ。

 

実際、幼馴染みとはいえ、こうして毎朝、迎えにきてもらうような生活をしているのはいつか誰かに刺されやしないか不安ですらある。

まぁ、それが不安でやめるかって言ったら別にやめないけど。

 

「レムの顔をジッと見て、どうかしましたか?」

 

「んや、なんでもない。おはよう」

 

「はい、おはようございます」

 

ぼんやり見惚れていたともいえず、適当に誤魔化すとレムは気にしない。

昔から、ややこしいことは深く追及しない幼馴染みだ。それは非常に助かる。

 

「ベアトリスちゃんも、おはようございます」

 

「おはようなのよ。……毎日毎日、スバルのためにご苦労なことかしら。本当に姉妹の妹は物好きなのよ」

 

「それなら、ベアトリスちゃんも物好きってことになりませんか?」

 

「なんでベティーが物好きになるかしら!」

 

俺を余所に、ベア子がレムに存分にいじくられている。

俺と幼馴染みのレムは、当然だがベアトリスにとっても付き合いの長いご近所のお姉さん的ポジションだ。レムはほとんど妹代わりみたいな感覚で可愛がっているが、ベア子の方は年頃なのかなかなかそれを素直に認めたがらない。

まったく、厄介なお年頃だぜ。

 

「姉やら妹やらで思い出したけど、今日は姉様は一緒じゃねぇのか?」

 

「姉様でしたら、今朝はロズワールさんのところですよ。お昼から取材旅行で家を空けてしまうらしいので、その間の家のお掃除を引き受けるらしいです」

 

「相変わらず甲斐甲斐しくしてんなぁ……ラムを知ってる身としては複雑だ」

 

話題に出たラムというのは、ここにいるレムの双子の姉だ。

優しくて思いやりに溢れたレムと違って、ラムは厳しくて思いやりの範囲が狭い。見た目は瓜二つだが、性格では柔と剛の違いがあるといっていい。

 

そんなラムはここのところ、たまたま出会った著名な小説家とやらにお熱らしいのだ。ぐいぐいとアプローチしていて、今の話じゃ合いカギまで持たされているっぽい。

同級生の、しかもよく知る女子の生々しい話題はなんか辛い。

レムなんかは気にしていないのかわかってないのか、しらっとした顔で首を傾げているので、俺もそこに突っ込んだ話はしないようにするが。

 

「ほら、いつまで家の前でうだうだ話してるのよ。早く学校へ行くかしら」

 

「お、了解了解。んじゃ、出発しますか」

 

「はい、進行ですね」

 

鞄を肩に担いで、三人で並んで歩き出す。

ベアトリスが真ん中で、道路側を俺が歩く形の三人並びだ。ラムがいない日の登校は大体、この形になることが自然体。

 

「そういえば、朝の占いで今日はスバルくんが一番ラッキーでしたよ」

 

「マジで?そっか、なんかいいことあんのか。うちだと朝はテレビ見ないからな」

 

「とてもいい出会いがあるそうです。今日、最初に会った女の子が運命の相手ですよ」

 

「スバルが今日、最初に会ったのはベティーのはずなのよ」

 

「間違いました。今日、三番目に会った女の子が運命の相手でした」

 

「そんな具体的な占いの内容だったの!?」

 

三番目、となると誰になるだろうか。母ちゃんをはたして『女の子』のカテゴリーに入れていいものか。入れていいならレムが三番目ということになるが、そもそも出会いって響きなのに旧知の間柄が入ってくるのは合ってるのか?

そもそも、妹と母ちゃんが『女の子』のカテゴリーに入るのが微妙な気がする。

 

「おや、これはちょうどいいところで会ったね」

 

「ありゃ、おはようございます、エキドナさん」

 

首をひねって歩いていたら、俺たちを呼び止めたのは顔見知りの女の人だ。

色白に白い髪、喪服みたいな黒い格好をした美人。通学路の途中にある豪邸で、姉妹だけで暮らす訳有りっぽい家族。そこの長女……じゃなく、三女だったか。

大学生のエキドナさんだ。

 

「ちょうどいいところって、なんかあったんスか?」

 

「あった、というよりはむしろいなくなったという方が正しいかな。君たちも知っている通りの、ボクの自堕落な姉の姿が見えなくなってね。散歩に出かけたままどこかでのたれていやしないかと、見回っているところなんだよ。途中で見かけなかったかな?」

 

「セクメトさんですよね?レムは見ていません。スバルくんもそうですよね」

 

「今日は見てないな。前はゴミ出しにいって、そのままゴミ捨て場で寝てたんでしたっけ。収集車のアンちゃんが眼福だったって言ってたな……」

 

エキドナさんのところの長女であるセクメトさんは、美人だがちょっとした怠け者なところで有名な人だ。ほとんど下着同然みたいな格好でうろつく習性があるので、年頃の男子としてはありがたい存在でもあるのだが、色っぽいお姉さんというよりもなんとかしないといけない残念美人の気配が強くて、もったいない人でもある。

 

「まぁ、それはそれとして……」

 

「ん、なんだい?ボクをジッと見て、どこか変かな?」

 

顎に手を当てて、エキドナさんをじーっと見る。美人だ。

ちなみに母ちゃんをカウントしない方式をとると、このエキドナさんが俺にとって今日三番目に見た女の子ということになるんだが、これが運命の出会いか?

 

「あんまり男の子に見つめられると照れるよ。ボクはこれでも女だし……それに、あまり今日はおめかししてないんだ。姉を探すのに出てきただけだから」

 

「そうです、駄目ですよ、スバルくん。エキドナさんが困ってしまいます。もっと落ち着いて、誰が三番目だったのかを考えるべきだとレムは思います。レムです」

 

「願望が駄々漏れしてるかしら。でも、この女の人はやめた方がいいのよ、スバル」

 

「お前らのその強硬な態度は何がいったいどうしたんだよ」

 

エキドナさんの方だって冗談だろうに、両腕を引っ張る幼馴染みと妹が真剣すぎてちょっと怖い。

占いの結果なんてさして信憑性はないだろうに、女子は本当にそういうのが好きだよな。

 

「エキドナ!やっぱり姉さん、ゴミ捨て場にはいなかったわ!」

 

と、そこに新しい参入者が現れる。

ものすごい勢いで駆け寄ってくるのは、暴力的に胸が揺れるロリ巨乳だ。

金髪碧眼の美人は、エキドナさんと同じ姉妹で次女の――、

 

「ミネルヴァさん、ちーっす」

 

「む!あ、レムとベアトリスと菜月じゃない。どうしたの、こんなところで」

 

地面を抉る勢いで足を止めて、ミネルヴァさんがパッと明るい顔をする。

これまた美人。俺は思わず、そのミネルヴァさんの手を取って、

 

「母ちゃんと妹を抜くと、ミネルヴァさんが三番目……つまり、俺の運命の出会いの相手はミネルヴァさん、あなただ!」

 

「ふえ!?」

 

柔らかくて細い手をギュッと握ると、ミネルヴァさんが俺の顔と握られた手を交互に見る。交互に見ながら、その顔が急速に赤くなる。真っ赤になった。

口があわあわと震え出し、

 

「で、でもアタシ、家事手伝いだし!」

 

「大丈夫、養います」

 

「そ、それにアタシ、不器用だし!」

 

「大丈夫、そんな生き方でも愛せます」

 

「だ、だけどアタシ、世界平和のために戦わなきゃいけないし!」

 

「大丈夫、あなたが俺の世界です」

 

「~~~っ!」

 

茹でダコみたいに顔を赤くして、ミネルヴァさんが地団太を踏み始めた。

ヤバい、本当に可愛いなこの人。ちょっとからかいすぎたかもしれない。

このまま押し切ったら嫁にできてしまいそうなところが怖いが、こんな可愛いのにこの歳まで誰もちゃんと口説いたことがないんだろうか。

 

「姉さん、落ち着いて。菜月くんのいつもの悪ふざけだよ」

 

「……へ、そうなの?」

 

「そうだよと肯定するのはあまりにも男としてクソすぎるので、本当ですと……痛い、痛い、痛い、レムさん、ちょっと踵が爪先にめり込んでるめり込んでる」

 

レムが笑顔で足を踏み躙ってきて、俺は仕方なく白旗を掲げる。

それを見ていたミネルヴァさんが、その自分の大きい胸に手を当てて深いため息。

 

「そ、そうよね。あー、ビックリした!ちょっと驚きすぎて、なんかアタシの胸が縮んだような気がするぐらいよ」

 

「人類の損失だ!」

 

「うるさいわね!このバカ!」

 

驚愕に震える俺をミネルヴァさんが小突くが、かなりの勢いで殴られたはずなのに何故か気持ちいい。不思議。

 

「とにかく、見てないものは見てないかしら。これで話はおしまいなのよ」

 

「おや、嫌われたものだね。お兄さんを取られるのがよほどご立腹と見える」

 

「そんなじゃないかしら!もう、だから嫌なのよ!」

 

貴重な朝の時間が減るのが嫌なのか、ベア子は頬を膨らませてご立腹だ。

とはいえ、ベア子の言う通り、俺たちがエキドナさんたちに協力できることは特になさそうだ。始業の時間もあるので、そろそろお暇すべきだろう。

 

「どうも力にはなれませんで、すいません」

 

「いや、若人は学業を優先するといい。もとよりボクたち家族の問題だからね」

 

「なんだか年寄りみたいな意見かしら」

 

「大学生という、時間に大いに余裕のある身份である上から目線の発言だよ」

 

「アタシも家事手伝いだから、いくらでも時間はあるわねっ!」

 

「姉さんはあんまり家事も手伝わないけどね」

 

「じゃあ、レムの姉様と同じですね」

 

「同じ次元の話かなぁ?」

 

イマイチ腑に落ちない感じだったが、道中でセクメトさんを見かけたら二人が探していたことを伝える、という約束だけして二人とは別れる。

走り去るミネルヴァさんと、ゆっくり歩くエキドナさんを見ていると、まったく性格の似ていない姉妹だと感じる。まぁ、どっちも美人だが。

 

「スバルくん、スバルくん」

 

「はいはい、どうしました、レムさんや」

 

「朝の占いですけど、やっぱり本当は『レ』で始まって『ム』で終わる、二文字の名前の子が運命の相手だったと思います」

 

「そんな限定的な占いだったの!?」

 

△▼△▼△▼△

 

「あ、ベアトリスちゃーん!」

 

「ペトラかしら」

 

エキドナさんらと別れて、のんびりと歩いていると通学路の分かれ道に差し掛かる。

ここで、小学校へ向かうベア子とはお別れだ。分かれ道で待っていたのは、赤みがかった栗毛に、丸い瞳が可愛らしい女の子。

ベア子の友達で、同じクラスのペトラちゃんだ。

 

「スバルお兄さん、レムお姉さん、おはようございます」

 

ペコっと俺にもレムにも頭を下げるあたり、礼儀正しい女の子である。

可愛さではうちのベア子も負けていないんだが、愛嬌という意味ではペトラちゃんに軍配が上がる。まぁ、ベア子も親しくなると素が見えて可愛いんだが。

 

「む、何か言いたいことでもあるのかしら、言ってみるといいのよ」

 

「お前のいいところ、兄ちゃんだけはちゃんとわかってるからな」

 

「だけってなんなのかしら!別に隠れてないのよ!溢れんばかりかしら!」

 

縦ロールをぶるんぶるん揺らして訴えかけてくるので、その頭を撫でながら「わかってるわかってる」と慰めてやる。が、なんだかますます怒ってしまったので、年頃の女の子は本当に難しい。

 

「大丈夫ですよ、スバルお兄さん。わたしも、ベアトリスちゃんのいいところはいっぱい知ってますから」

 

「そっか、ペトラちゃんは頼れるな。学校でも、ベア子をよろしく頼むぞ」

 

「はい、お任せください!……あの、お兄さんはその、わたしのいいところはどうでしょうか。わかってくれていますか?」

 

「そりゃもちろん。ペトラちゃんは気遣いができるし、礼儀正しいし、思いやりがあるし、ベア子の友達でいてくれてるし、なんといっても将来が楽しみな美少女だからな」

 

「え、えへへー」

 

自然と頭を差し出してくるペトラちゃんを、つられて俺も自然と撫でてしまう。

人様の家の子を撫でるのは昨今の世の中、あまりよろしい話ではないらしいが、ペトラちゃんには自然とそうさせられてしまうパゥワーがあった。

なんか、会うたんびに頭を撫でさせられている気がする。これが計算だったらすごいな。まぁ、そんなわけないか。

 

「むー」

「ぶーかしら」

 

「で、なんで二人はむくれてるんですかよ」

 

「別になんでもありません」

「気にすることないのよ」

 

ぷいっと二人に顔を背けられて、俺の方はお手上げだ。

女の子がなんでもないとか気にするな、とか言った場合は間違いなく何かあるし気にしなくてはならないと思うのだが、今回は心当たりがない。

 

「ペトラちゃん、わかる?」

 

「子どもだからわからないです」

 

そりゃそうか。

と、俺が納得したところで、ペトラちゃんが俺の掌から逃れる。そのままペトラちゃんはむくれたベア子の手を取ると、俺とレムにペコっと頭を下げた。

 

「じゃあ、そろそろいってきます。テュフォンちゃんが日直だから、早くいってあげないと教室がめちゃくちゃになっちゃうから」

 

「日直が教室をめちゃくちゃにするってどういう状況!?」

 

「それがテュフォンの持ち味かしら。――もう、いってくるのよ!」

 

ペトラちゃんに手を引かれて、ベアトリスが仕方なさそうにそう言う。

そのまま駆けていく小学生二人を、俺とレムは手を振って見送った。

 

「んじゃ、俺らも学校いくとしましょうか」

 

「スバルくんはちゃんと、レムのいいところはわかってくれていますか?」

 

「可愛い」

 

「……それでいつも誤魔化されると思ったら、大間違いなんですからね」

 

でも、声からは不機嫌さが消えているのでどうやら許されたらしい。

本当はもっと真剣に悩まなくちゃいけないと思うんだが、昔からこの方法で許されてきてしまっているので、それに甘えているのも事実だ。

 

「まァた、大将はレムのこと甘やッかしてやがんのかよォ」

 

「ああん、ガフガフったらぁ。このまま見守ってようって言ったのにぃ」

 

そんな声が聞こえてきたのは、俯いたレムを引いて歩き出す直前だ。

振り返ると、分かれ道の真ん中にある電柱から、小さい影が二つ乗り出している。一つが学ランの男子で、もう一つがセーラー服の女子だ。

 

どっちも見覚えのある顔、というか馴染み深い顔だ。

 

「ガーフィールとダフネか。中学生コンビが何してやがる」

 

「べッつにどォこで何してようが俺様たちの勝手じゃァねェかよォ。大将こそ、毎度のことながら女泣かせがすぎんぜ。なァ、ダフネ」

 

「ガフガフはぁ、いつものようにここでラムラムを待ち伏せしてただけですよぉ。ダフネはメトメト探しに駆り出されるのも嫌なのでぇ、ガフガフと遊んでましたぁ」

 

「てめ、ダフネ!?」

 

余裕の顔だった男子、ガーフィールが女子のダフネに速攻で売られる。

ニヤニヤしていたガーフィールの顔が焦りに一転し、逆に俺が余裕顔をする番だ。

 

「へー、ほー、ふーん。っていうか、むしろいつものことなのはお前の方だな。そっくりそのまま言い返すけど、お前こそ諦めつかないの?ラム、小説家にぞっこんだよ?」

 

「お、俺様の勝手だろォがよォ!それに、俺様も小説家になりゃァ土俵は一緒だぜ」

 

「惚れた女のために将来を確定する潔さは評価したいが……」

 

意気込むガーフィールだが、残酷な真実を伝えるべきかスバルは悩む。

ガーフィールのおつむで小説が書けるか不安な上に、そもそも別にラムは相手の職業で好きな相手を選ぶタイプでもない。

 

「まぁ、ガフガフの頭で小説は書けない気がしますしぃ、そもそもぉ、ラムラムだって小説家って職業が好きなわけじゃないでしょうしねぇ」

 

「俺の言いにくいことを全部ズバッとありがとう」

 

気遣う算段が丸ごと潰されてスバルも気落ちするが、膝から崩れ落ちたガーフィールに比べればマシな気分だ。が、そこはど根性男のガーフィール。心が折られかけても、不屈の闘争心で彼は立ち上がろうとする。

 

「ガーフィール、大丈夫か?傷は浅いぞ」

 

「へっ、ありがとうよ、大将。けッどなァ、俺様ァ、負けねェよ。……そういや、今日はラムは一緒じゃねェんだな」

 

「姉様でしたら、今朝はロズワールさんのところです。留守の間、家の管理を任されたとかで合いカギをもらいにいきました」

 

「ぐはァ!」

 

「が、ガーフィール――!!」

 

悪気のないレムの言葉が突き刺さって、ガーフィールが倒れ込んでしまう。

友人フィルターのスバルでもキツイのに、想い人フィルターを通したガーフィールが受けた『合いカギ』の響きはダメージが大きすぎる。

もはや慰めの言葉も浮かんでこない。

 

「ダメダメなところも含めてぇ、これがガフガフですからぁ。あ、すばるんたちはいっていいですよぉ。あとのことはぁ、ダフネが引き受けますからぁ」

 

中学生にしてはやけに艶っぽく微笑んで、ダフネが倒れるガーフィールの両足を掴む。そのまま引きずるように歩き出すので、さすがに止めようと手を伸ばすが、

 

「ご心配なぁく。ガフガフは性根が甘ったれなのでぇ、優しくするとますます弱くなりますからぁ。それにそれにぃ、学校にいったらミーミんとか放っておかない子がいっぱいいますからぁ、ちょっとぐらい凹んでもいいんですよぉ」

 

「そ、そういうもんか?」

 

「はい、ご心配なさらずぅ。ではではぁ、またぁ」

 

小首を傾げて微笑んで、ダフネがガーフィールを引きずっていく。

もはやここまできたら止めるのも無粋。中学生たちには中学生たちの物語があって、そこに俺たちが割って入るのはちょっと違うということなんだろう。

 

「そういうこととして納得しておかないと、闇が深すぎるな」

 

「あんなにいたいけな中学生を虜にしてしまうなんて……姉様はさすがです!」

 

「それは素直に同意しかねるな!」

 

あ、ちなみにダフネはセクメトさんを長女として姉妹の五女です。あしからず。

しかし、今日は朝からやたらとイベントが多い一日だな。

 

△▼△▼△▼△

 

中学生コンビと別れてからは問題なく、俺とレムはルグニカ学園に到着する。

ルグニカ学園は古臭い伝統の残る学校だが、昨今の時代の変化も取り入れようと努力した結果、なんか色んな部分がとっちらかった印象がある学校だ。

 

単純に自宅から近い、という理由で進学した俺にとっては、まぁそれなりに自由にやらせてくれる校風という部分で過ごしやすくはある。

 

「あ、スバルくん。今朝は校門で持ち物検査をしているみたいですよ」

 

「ってことは生徒会か。抜き打ちで朝からご苦労なこった」

 

視力のいいレムが、通学する生徒でごった返す学園正門を見て言った。

近付いていくと、俺にもその様子が見えてくる。ルグニカ学園で持ち物検査やら挨拶週間やら、そんな朝のイベントが行われることは結構稀にある。

それというのも、生徒会が今のビシッとしたまとまりになってからの話だ。そしてそのビシッとした生徒会の中核にいるのが、持ち物検査を率先して取り行っている女傑。

 

「菜月・スバルとレムか。いい朝だな」

 

「ういっす、生徒会長」

 

「おはようございます、クルシュさん」

 

紺色のブレザーを折り目正しく着こなし、背筋を正しているのが生徒会長のクルシュ・カルステンだ。

長い緑の髪と凛々しい顔立ちが特徴的で、女子の格好をしているにも関わらず佇まいからは男らしさがにじみ出ている。それでも出ている部分はしっかり出ているあたりが女子だったりするので、男らしさというよりは武士っぽさという方が正しい。

 

「見ての通り、今朝は持ち物検査を行っている。二人にも協力してもらいたい」

 

「ああ、いくらでも見てもらっていいぜ。鞄の中は空だからな」

 

「それを誇らしげに発言するのは正しくないが、なるほど、一本取られたというわけだ。面白い」

 

「いや、対抗心は燃やされても困るんだけどね?」

 

ぺったんこの鞄を受け取って、さっさと中身を確認したクルシュが首を振る。かすかに口の端をゆるめた笑みすら男前で、マジ宝塚。

 

「はいはーい!じゃあ、レムちゃんの鞄はフェリちゃんが確認しまーす。女の子の鞄はデリケートに扱ってあげなきゃだもんネ」

 

と、そこへ横から急にぴょこっと生えてくるのがクルシュの相方のフェリスだ。

フェリスはもはやお馴染みの猫耳カチューシャと、ギリギリまで短くしたスカートの裾を揺らしながらレムの持ち物をチェックする。

女子には女子が担当、という概念を実はぶっ壊している存在である。

なぜならこいつは――、

 

「いくら女子の制服がそこらの女子より似合ってるとはいえ、男子が女子の持ち物をチェックするのって不満が上がったりしねぇの?」

 

「問題ない。フェリスの女子力が並みの女子よりも高いのは周知の事実だ。私に持ち物を差し出す男子と、フェリスに持ち物を差し出す女子の数はほとんど差がないぞ」

 

「女子の方はともかく、男子の方はそういう性癖なんじゃ……俺は違うけど、俺までその同類みたいで嫌だな!」

 

ナチュラルにクルシュに鞄を渡した経緯があるだけに、周囲から俺がどんな風に見られていたのか不安になる。

その横で、フェリスが逐一、レムの荷物をチェック中だ。

 

「ありゃりゃ?この男物っぽい筆箱は?」

 

「スバルくんが筆記用具を忘れたときのための予備です」

 

「じゃ、この可愛げが全然にゃいタイプのノートは?」

 

「これはスバルくんの課題をレムが筆跡を真似してやっておいたものです」

 

「むむー、それならこのお弁当は?」

 

「それはお昼に、スバルくんが購買で何も買えなくて絶望したときのためにこっそり用意しておきました」

 

「よし、スバルきゅんに罰当番やらせよう」

 

「わけがわからないよ!」

 

いや、わかるけど。気持ちはわかるけど!

 

俺は無情な決断をするフェリスより、レムの方に詰め寄って肩を揺する。

 

「レム、いつも言ってるよな?そんな俺のこと気遣わなくていいんだぞ?」

 

「ごめんなさい。レムも気をつけようとは思ってるんです。思ってるんですけど、スバルくんが何かに失敗して泣いてしまうんじゃないかと思うと、もういてもたってもいられなくなって全部フォローする態勢を整えてしまうんです」

 

「気持ちは嬉しいけど、シャーペン忘れたり宿題やらなかったり昼飯食べ損ねたぐらいじゃ俺泣かないよ!?」

 

そんな子どもみたいな理由で泣き喚いたことなんてないはずだが、レムの中では俺はいまだにどんだけお子チャマ状態なのか。

一時期、クラスでレムが俺の世話係みたいな噂が流行っていたが、それが否定できないレベルで寄りかかっている疑惑が俺の中で持ち上がる。

 

「いやー、青春ですにゃー、クルシュ様」

 

「そうだな。私とフェリスも、互いの弁当は互いで作っている。そう恥ずべきことでもないと思うが、世話になりっ放しが嫌ならばたまには礼をすべきだろうな」

 

「今日のお弁当にはクルシュ様の大好きなタマゴ焼きを入れました。甘いの」

 

「私も今日はお前の好きなタマゴ焼きを入れた。しょっぱいものを」

 

いちゃつく生徒会長と副会長を余所に、スバルはレムの持ち物から弁当だけ回収。青い包みのそれは、レムの自分用のお弁当よりワンサイズ大きく、ずっしり重たい。

 

「ったく、そもそも俺が食べなきゃどうするんだよ、これ」

 

「今晩、姉様と二人で分けて食べればちょうどいいかなって思ってました」

 

「そんな寂しい食卓イメージさせるようなことするなよ、素直に言えって。……これはありがたく、ちゃんとお昼に食べます。宿題もあとで見せて」

 

「はい、お昼を楽しみにしてますね」

 

返された鞄に弁当箱を押し込んで、チェックをクリアしたレムと一緒に校舎に向かおうとする。が、そうする前に横手がやけに騒がしくなった。

そっちでも、生徒会による持ち物検査が行われているんだが――、

 

「だーかーらー!なんでそうなん?何度も何度も、おんなじこと言わせるんやめてもらえる?ウチ、そんなに難しいこと言うてるつもりないんやけど?」

 

「妾とて、わかる言葉で話しておるつもりじゃぞ。その大意を蔑ろにし、身勝手に騒ぎ立てておるのはむしろ貴様の方じゃろうが。凡愚、ここに極まれりじゃな」

 

「偉そうな言葉使えば偉くなったと勘違いしてるん?そういうの、高校生にもなって恥ずかしいと思わんの?痛々しいて見てられんよ?」

 

「喋り方云々を、下品な口調の貴様に指摘されるのは腹立たしい限りじゃな。妾の寛大さでも、そう許せることではないぞ」

 

言い合う女子二人の剣幕に、正門前を不穏な空気が蔓延する。

互いに敵意をぶつけ合っているのは、それぞれ目立つ風貌の女子だ。

 

一人は中学生と見間違うぐらい幼い風貌で、やわらかい紫髪の美少女。

もう一人は逆に大人顔負けのスタイルに、高校生では醸し出せないレベルの色香を漂わせる橙色の髪をしたこちらも美少女。

 

関西弁が生徒会のアナスタシアで、遊女口調が問題児のプリシラだ。

生徒会会計と、理事長の孫という立場にあり、何かといがみ合う二人でもある。

 

「またあのお二人ですね」

 

騒ぎを見ていたレムまで、そう言ってため息をこぼすぐらいに見慣れたやり取り。

校内でもあの二人の水の合わなさは有名で、誰に対しても何事に対しても我を貫こうとするプリシラに、気の強いアナスタシアがぶつかっていく形が散見される。

 

今日もどうせ、改造制服姿のプリシラが校則を意のままに破ったに違いない。

まぁ、服装検査から何まで全部、守る気がないというのがプリシラの主張だ。改造してあるのに目をつむれば、制服を着用して登校してくるだけでもマシなぐらいだろう。

 

「しかし、銭ゲバ会計をこんだけ怒らせるのもあいつぐらいのもんだよな」

 

「アナの名誉に関わるような呼び名は控えてもらえるとありがたいね」

 

「げ」

 

遠巻きに騒ぎを見ていた後ろから、気障な声が聞こえて鳥肌が立った。振り返ると、俺を真後ろから見下ろす野郎が見える。

整った顔立ちをした、優男オブ優男の風貌。こいつも無論、生徒会の関係者。

 

「ユリウス先輩、ちーっす」

 

「同学年の君に、先輩と呼ばれる謂れはないはずだがね。それとさっきのアナへの中傷は取り消してもらいたい。アナは少し、金銭への執着が強くて一生懸命なだけだ」

 

「それは盲目な意見だと俺は思いますけどね」

 

前髪をかき上げるユリウスは、生徒会書記だかを担当している奴だ。聞いての通りのアナスタシアシンパで、よく一緒に行動しているところを見かける。

 

「お前の仕事は終わったん?サボりならクルシュに言いつけっけど」

 

「生憎、ちゃんと終わっているよ。私のところに回る女生徒が多くて、少し手間取ってしまったが……みんな協力的だったからね」

 

「さいですか。ああ、さいですか」

 

白い歯が光りそうな微笑みを向けられて、俺は思いっきり顔をしかめてやる。

胡散臭い感じが、女からは見えないのだろうか。いや、男たちもユリウスを悪く言う奴は少ないので、きっと奴の本性に気付いているのは俺だけに違いない。

ちっ、真実に気付いた人間はいつだって孤独だぜ。

 

「今日はどうして、あの二人は言い合いになっているんでしょうか?」

 

「服装のことでも言い合いがあったようですが、最大の問題は持ち物ですね。中身ではなく、鞄を付き人のアルさんに持たせてクラスへ向かおうとしたようで」

 

「アルさんって、あの覆面の人か」

 

言い合うアナスタシアとプリシラの傍らで、おろおろとしている男の人がいる。

さほど背は高くないが、体つきはガッチリした人だ。年代はうちの親父とどっこいってなところらしいが、顔が見えないのではっきりとはわからない。

なんで顔が見えないかというと、アルさんは顔を覆面で隠しているのだ。

噂では火傷を負っているとか、縫い目が残ってるとか憶測が飛び交っているが、俺はプリシラが気分で被せているという案を支持したい。

 

だって日替わりで違う覆面だし、そういう悲壮感と無縁の性格っぽいし。

ちなみにアルさんは左腕が義手というかなりヘビーな経歴があるのだが、プリシラの実家の力がどうとかでかなり高性能なものらしい。前に一度、モモの缶詰めをカン切り機能で開けてもらったことあるし。十徳ナイフみたいな義手だな。

 

「部外者は中に入れられんって何度言うたらわかるん?いい歳した大人の人、学内で見つけて説教するたんびにウチの心はささくれていくんやよ?」

 

「それこそ貴様の勝手じゃろう。それが嫌ならアルを見つけても無視せよ。どうせ、妾の使い以外の理由で校内に踏み入ることなぞない。それにこ奴がいなければ妾は自分で荷物を持たなくてはならんではないか。箸より重いものなど、到底持てぬな」

 

「どうせ中身空っぽなんやから、箸持つのと大差ないやんか!」

 

口の減らないプリシラの返事に、アナスタシアがどんどん苛立つのがわかる。

このままだと掴み合いのキャッツファイトが勃発しかねないが、それが勃発すると痛い目を見るのはアナスタシアの方だ。

 

あれでやたらと運動神経の達者なプリシラなので、それを狙って挑発している可能性すらある。ないか。ないな。ありゃただの素だろう。

 

「これ以上はアナの分が悪いか。仕方ない、そろそろ止めるとしよう」

 

「そうしろそうしろ。このままキャッツファイトになって、保険医のエルザ先生が出てきたらすげぇ面倒なことになりかねねぇ」

 

見た目が色っぽくて言動がエロいと評判のエルザ先生は、この手の騒ぎになると昔の血が騒ぐとかで鎮圧に乗り出してくることが多い。

鎮圧されて保健室に連れ込まれた生徒は、どんなに騒がしい生徒でも人が変わったように大人しくなって出てくることが確認されている。何があったのかという質問には頑として答えないので、『恐怖と絶望の腸実習』とだけ陰で噂されている状況だ。

 

「どの道、そろそろ始業の時間だ。菜月・スバルとレムは先に教室にいっていろ。あとのことは私たちでどうにかしておく」

 

「やーん、貧乏くじですにゃぁ」

 

「学内の貧乏くじを進んで自ら引く、それが我々の仕事だよ」

 

やかましい現場に生徒会三人が向かうのを見送る。

あの三人が形勢に加われば、まぁ、さすがにプリシラも事情悪しと諦めるだろう。

 

「長居したな。もうドッと疲れたからとっとと教室いこうぜ」

 

「朝から今日は色々ありますね」

 

「本当だよ。もうさすがに打ち止めだと思うけどさ」

 

そんな発言がフラグになったんだろうか。

わりと本気で願いを込めて言ったんだが、神様はよっぽど筋書き通りが嫌いらしい。

下駄箱で靴を履き替えて、さあ、そのまま教室にってところだ。

 

「――おい、スバル!レシーブ!」

 

「は?」

 

廊下の向こうからやかましい足音と、そんな指示が聞こえて思わず反応。俺はその場に腰をグッと落として、バレーのレシーブを待つ姿勢で両手を前に構える。

すると、その俺の構えた両手の上に小さな足が乗っかってきて、

 

「青い山脈レシーブ!」

 

「ふんがっ!」

 

必殺技の掛け声とともに、乗っかる重量を真上に跳ね上げる。

軽い体がバレーボールほどとは言わないが上に飛んで、すぐ背後にあった靴箱に飛び乗った。そのまま何事かと振り返ると、

 

「しー!」

 

口に指を当てて、黙っていろというジェスチャーが飛んでくる。

いったい、何がどうなってるのかと、レムと二人で目を白黒させていたら、

 

「――ちょうどよかった。スバル、レムさん」

 

同じく廊下の向こうから、爽やかな笑顔を浮かべたイケメンが走ってきた。

燃えるような赤毛と、空を映したような青い瞳が特徴的な、というか全身がこれ特徴的なパーツで組まれた完璧存在、ラインハルトだった。

 

下級生からも上級生からも、学外の女子からも商店街のおばちゃんからも絶大な支持を受けているラインハルトが、困った顔をしながら俺たちの方へやってくる。

 

「うっす、どうしたよ」

 

「大したことじゃないんだ。けど、フェルトを見かけなかったかい?」

 

「フェルトちゃんですか?ええと……」

 

レムが困ったような視線をスバルへ向けてきて、スバルは大体の事情を察する。どうしたものか、と一瞬だけ考え込み、仕方ないと息を吐いた。

 

「や、今朝はまだ見てねぇな。なんか用事があったのか?」

 

「用事というほどじゃないよ。ただ、見かけたから挨拶をして、そのままお昼でも一緒にどうかなって誘おうと思ったんだけど……目が合っただけで逃げられてしまって」

 

「フェルトは相変わらずだし、お前も懲りないよな」

 

同じ男として、ラインハルトのマメさは見習いたい部分があるが、それはそれとしてどうしてフェルトなのか、という疑問が芽吹かないでもない。

それこそラインハルトぐらいのイケメンなら、選びたい放題は言い過ぎにしても相手には困らないはずなんだが。

 

「聞かれてどうなる、という理由でもない気がするね。そういうものじゃないかな。スバルはそう思わないかい?レムさんは?」

 

「俺はどうかなぁ……」

 

「レムは思います!ですから、応援しています!」

 

「ありがとう、レムさん」

 

俺の考えとは裏腹に、レムはやけにラインハルトに親身だ。

ラインハルトはそれを嬉しそうに受け取ると、制服の襟を正した。

 

「さて、それじゃもう少し探してみようかな」

 

「どうせ教室に戻ってくるんだから待ち伏せたらどうだ?もうすぐ予鈴も鳴るし」

 

「探し始めたのに、先に音を上げるというのはどうも性に合わなくて。せめて、挨拶ぐらいはすんなりさせてもらいたいところなんだけどね」

 

それじゃ、と手を上げてラインハルトが爽やかに去っていく。

歩いているようにしか見えないのに、なんでか歩くよりも速く廊下から消えたように見えるのがこの世の不思議だ。

 

さて、そうしてラインハルトが見えなくなったのを確かめて、俺はため息と同時に後ろの靴箱を叩いてやる。

 

「ほら、いなくなったぞ。下りてこいよ」

 

「あいよ、助かったー」

 

後ろで軽やかに床に着地する音と、はすっぱな女の声がする。

金髪に小さな背丈、赤い瞳に八重歯がチャームポイントの女子、フェルトだ。ラインハルトの尋ね人で、全校一のラッキーガール……本人的には不本意な、とつくが。

 

「あんまり冷たくしてやるなよ、可哀想じゃねぇか」

 

「あのな、可哀想なのはむしろアタシの方だろ?なんで好き好んでアイツに追いかけ回されなきゃなんねーんだよ。アタシは被害者だ」

 

「ラインハルトさんは情熱的なのに、フェルトちゃんは嫌なんですか?」

 

「嫌に決まってんだろ。それに勘違いに振り回されるのも面白くねーよ。ちょっと物珍しい相手を見かけて、変な気分になってやがるだけだ。秘境の珍獣を発見したのとおんなじ気分なんだろーよ。冗談じゃねーっての」

 

全校女子の憧れ、ラインハルトに対してバッサリなセメント意見である。

少女マンガ顔負けのシンデレラストーリーを驀進しているフェルトだが、周囲と違って当事者の視点はどこまでもクールなもんだ。

 

ラインハルトの友人としては、あまりの言われように同情するが――。

 

「フェルトの態度がある意味で正当だし、難しいとこだな、こりゃ」

 

これまではアピールされるばかりで、アピールしたことのないラインハルトのアプローチは不器用そのものだ。それがあるから、フェルトも疑ってかかっている部分があるんだろうが、この認識のすれ違いが実に見ていてもどかしい。

 

「まぁ、自分のことは意外と見えてないもんだからな」

 

「はい、そうですね。本当にそうです。実にそうだと思います。まったくそうです」

 

「レムさん?なんでそんなぐいぐいくんの?なんか俺変なこと言った?」

 

「いいえ、なんでもありません。でも、レムは機嫌を損ねました」

 

「ええー」

 

俺の不平は聞かない態度で、レムがぷいっと顔を背けてしまう。

新たに生じた不和に俺が頭を悩ませていると、スカートの埃を払っていたフェルトがその場で「んー!」と背伸びした。

 

「そんじゃ、アタシはまたギリギリまで逃げ回るわ。始業のチャイムが鳴ってから教室に戻れば、アイツも変に手出しできねーだろ」

 

「それも次の席替えまでじゃねぇかな。俺、ラインハルトなら執念でお前の席の前後左右のどれかを引く気がするんだよ」

 

「やめろよ。アタシの平穏な学校生活を乱すなよ……」

 

青い顔をしたフェルトが、ラインハルトの去ったのとは逆方向へ逃げていく。

二分後に見つかって、校内で再び凄まじいデットヒートが繰り広げられることになるのだが、それはまぁ、別の話だ。

 

「今度こそもうなんにもないだろ。いい加減、一日のエネルギーを使いきるぞ」

 

「そうですね。もうきっと、本当に何も起こりませんよ」

 

俺の願いにレムの同意がブレンドされて、神の身許に希望が提出される。

そうして、やっとこ平穏な一日が――。

 

「聞きましたか、菜月さん。なんでも、転校生がくるらしいですよ」

 

「空気読めよ、馬鹿野郎!!」

 

「なんで出会いがしらにいきなり僕が怒鳴られてるんですかねえ!?」

 

教室に到着するなり、空気の読めない発言が飛び出て俺が怒鳴る。

怒鳴られた相手は、俺の後ろの席に座っているクラスメイトのオットーだ。今日も相変わらず幸薄そうな顔をしているが、いきなり俺の逆鱗に触れるあたり幸薄い。

 

俺は机に鞄をかけて、ぐったりと席に座ってオットーに管を巻く。

 

「あのさぁ、いいよもう、転校生とかそういうイベント。俺、今日はなんかもうすでに色々あって疲れたんだよ。そういうの、わかるだろ?だから今日はなしで」

 

「今日はなしでって菜月さんの疲労理由に転校生は帰せないでしょうに。っていうか、朝からそんなぐったりってすごい意味深なんですが、何があったんですか」

 

「登場人物が多すぎて処理できねぇよ。もう、俺の妹の名前とか覚えてる奴いないだろ」

 

「そんなこと言ってたらベアトリスちゃん泣きますよ!?」

 

残念だが、ベア子はこんなことで泣くほど可愛げのある性格では……いや、泣くかもしれないな。あれで意外と打たれ弱いところがあるからな。

ダメだダメだ、ベア子が泣く。泣く子どもと泣くベア子には勝てない。

 

「仕方ない。ベア子に免じて、お前の狼藉は許してやるとするか」

 

「はい、ありがとうございま……おかしい」

 

「それで、おかしいオットーくんはどんなお話を持ってきたんですか?」

 

「いえ、おかしいのは僕じゃなくて……いや、もういいや」

 

スバルの右隣の席にいるレムが会話に入ってきて、オットーがついに反論を諦める。そのままオットーは頭を掻いて、そっと声をひそめながら、

 

「だから、転校生です。ちょっと用事で職員室に寄ったときに小耳に挟みまして、どうやらうちのクラスにくるみたいですよ」

 

「今さらだけど、お前のギャルゲーの親友ポジションムーブがすごいな。ついでにクラスの女子の俺の好感度を教えてくれないか?」

 

「レムさんが飛び抜けてて、あとは大体目つきが悪いと思われてます」

 

「ねえ、それマジで?ねえ、マジで?ジョーク?どっち?ねえ、マジで?」

 

幼馴染み補正のかかっているレムでトップなら、クラスの中に俺に想いを寄せているけどなかなか打ち明けられない内気な女子がいる可能性は消えたらしい。

 

「転校生ですか、珍しいですね。男の人と女の人、どっちだったんですか?」

 

「残念ながらそこまで細かいことはわからなかったんですよ」

 

「……はぁ。そうですか」

 

「今のため息、露骨に悪口言われるより傷付くんですけどねえ!?」

 

クラスの弄られキャラとしての立ち位置を確立しているオットーだ。今日も切れ味のいい悲鳴が上がり、レムも満足そうに頷いている。

と、そうしている間に予鈴が鳴って、次々とクラスに生徒が戻り始める。

 

正門で持ち物検査をしていた生徒会、クルシュ・フェリス・ユリウス・アナスタシアたちが席に着いて、それから堂々とプリシラがやってくる。プリシラの後ろには荷物持ちのアルさんがいて、プリシラの席に鞄などを置くとさっさと退散していった。

そっちから視線を戻すと、レムの前の席にいつの間にか登校してきていたラムが座る。声をかけるレムにVサインをするあたり、ロズワールさんとやらとの打ち合わせはうまくいったみたいだ。

 

それから予鈴が鳴り終わる直前にラインハルトが戻ってきて、予鈴が鳴り終わったあたりでフェルトが大急ぎで戻ってくる。

着席したラインハルトの微笑みに、フェルトが舌を出しているのが見えた。

 

それでクラスは全員が揃った。空いている席は、最後尾の一番端っこ。これまでは誰もいなかったはずの位置に、空っぽの机がいつの間にか運び込まれている。

つまりはそこが、オットーが掴んだ転校生のポジション。

 

「もったいぶってたけど、アレ見たら想像がつく話だったな」

 

「菜月さんは僕に恨みでもあるんで……」

 

「あ、フレデリカ先生がきましたよ」

 

持ちネタを潰されたオットーが不満そうにしている気配があるが、それは爽やかに無視して教室が静かになる。

音を立てて扉を開け、教室に入ってきたのは背筋を伸ばした長身の女教師だ。

 

長い金色の髪に翠の瞳。女性的なフォルムをピシッとしたスーツに包んだ、若々しい覇気に満ちた女性。少しばかり口元が凶暴に見えるのが玉に瑕だが、それがかえって完璧に整っているよりも親しみの湧くフレデリカ先生の味だ。

ちなみに、通学路の途中でノックアウトしたガーフィールの実の姉であるらしい。

 

「――起立」

 

透き通った声で、最前列にいるクルシュが号令をかける。

全員が音を立てて席から立ち上がるのは壮観だ。あの勝手気ままなプリシラすらこのしきたりには従うのだから、もはや遺伝子レベルの刷り込みだろう。

 

「礼」

 

「――おはようございます!」

 

大きいものと小さいものと、疎らな声が重なって挨拶になる。

俺はそこそこ真面目に、レムはやたらと生真面目に、そんな感じの塩梅だ。

 

「着席」

 

ガタガタと立つときより乱雑な音がして、全員が着席する。

しばらくして椅子の位置を直すギシギシした音が収まれば、ようやっとフレデリカ先生が話し出す準備が整ったところだ。

 

「さて、皆さんおはようございます。週明けで気が重い人もいるかと思いますけれど、それは私たち教師も同じですから我慢してくださいましね」

 

かしこまった口調ながら、意外と砕けたジョークを飛ばすフレデリカ先生。

なんとなく漂っていた月曜日の雰囲気が今ので緩和されると、フレデリカ先生はぐるりと教室を見回して、空っぽの席の方を指差した。

 

「大体の方はその席と、聞き耳を立てていたオットーくんから聞いてわかっていると思いますけれど、今日はこのクラスに転校生がきますわ」

 

「聞き耳立ててたのバレバレじゃねぇか」

 

「あれ?おかしいですね。かなり細心の注意を払ったはずなんですが……」

 

「ヴィルヘルム校長には見え見えだったようですわよ」

 

オットーがしきりに首を傾げていたものの、校長の名前が出て納得する。

 

ルグニカ学園のヴィルヘルム校長は、その温和な人柄と好々爺の雰囲気では隠しきれないほど只者じゃないオーラが漂う人で、事実そんな感じだ。

よくよく校内に出没しては、問題解決や家庭の惚気話など積極的に行っている。

ヴィルヘルム校長の目は誤魔化せまい、というのが共通認識だった。

 

「オットー・スーウェンが迂闊だった話はいいとして、転校生とは珍しいですね」

 

「確かに、新年度でも新学期でもない時期にゃんて珍しいですよネ。というか、高校生になって転校生ってかなり珍しい気がします。漫画とかにゃらお約束だけどー」

 

「では、転校生のお約束ですけれど……女の子ですわよ」

 

クルシュとフェリスの発言にフレデリカ先生が乗っかると、女の子と聞いた男子の一部が騒ぎ出す。特にうるさいのがトンチンカンだが、クラスにこれ以上綺麗どころが増えても持て余すことに奴らは気付いていないのだろうか。

気付いていないんだろうな。まぁ、一番騒いだのは俺だが。

 

「スバルくんも、転校生が女の子だと嬉しいんですね」

 

「形式的に喜んでおくのがベストかなって。男子でも普通に仲良くはするぜ?同じクラスにラインハルトとユリウスがいる以上の悲劇なんて、そう起こらないだろうし」

 

学内の男子ツートップが同じクラスにいれば、もう女子人気なんて期待は持つだけ無意味で男子一同の心は一つになるもんだ。

仮に男子の転入生がいたとしても、俺たちのコミュニティは新しい被害者を快く受け入れる準備が十分にできている。

 

「まぁ、男子も女子も美形率が高すぎてキャパシティがいっぱいいっぱいだけどな。クルシュにアナスタシア、フェルトとプリシラ、ラムとレム。フェリスも入れていいか」

 

「スバルくんもいますよ」

 

「一部の三白眼好きのコミュニティからの支持が熱い!」

 

レムが慰めてくれているのはわかるが、その狭い趣味人の票をあてにするには人生という荒波に揉まれすぎちまったよ。

なので男子であっても女子であっても、等しく仲間として迎えようじゃないか。

 

「ってなわけで、フレデリカ先生いつでもいいぜ」

 

「では、何故か主導権を握っている菜月くんからもOKが出ましたので、ご紹介したいと思いますわね。――入ってきてよろしいですわよ」

 

俺が親指を立ててサムズアップすると、フレデリカ先生が苦笑しながら呼びかける。

すると、わずかな躊躇いがあって、ゆっくりと教室の扉が開かれた。

 

靴音、そして風が教室の中に吹き込んでくる。

ぼんやりと転入生の登場を待って、その姿を目にした俺は息を飲んだ。

 

風にたなびく長い銀髪に、前を見据える紫紺の瞳。

色白の肌に映える、黒の制服は以前の学校のものなのだろうか。儚げな印象と華やかな印象のどちらをも際立てていて、彼女にはよく似合っている。

 

そこに立っていたのは、美少女を見慣れている俺からしても驚くほどの美少女。

彼女の後ろで、フレデリカ先生が黒板に白いチョークで名前を書いた。その名前をちらっと確認して、ゆっくりと彼女は腰を折る。

そして、

 

「――エミリアといいます。すごーく変な時期の転入で、驚かせてしまったかもしれません。でも、仲良くしてくれると嬉しいです」

 

そう言って、少しだけ緊張した顔でクラスを見渡し、

 

「おっちょこちょいだけど、末長くよろしくお願いします」

 

「おっちょこちょいってきょうび聞かねぇな」

 

「――――」

 

思わず、そんな言葉が口から出た。

意識していなかった俺は慌てて口を塞いだが、彼女はばっちりと俺を見る。そして、目を丸くする俺に向かって、華やかに微笑んだ。

 

その微笑みに見惚れて、思わず胸が高鳴る。

新年度でもない。新学期でもない。単なる、週明けの月曜日。

 

いつも通りのはずの一日が、やたらと忙しく始まったと思った一日が、これからもっと騒がしくなる日々の始まりを告げているように感じて。

 

彼女の――エミリアの転校してきた日から、俺の日常は大きく動き始める。

 

≪学園リゼロ!2時間目!に続く≫