『学園リゼロ! 2時間目!』


 

――わりと盛大なモノローグ的なものが入って、これがゲームかなんかだったんだとしたらオープニングが挿入された頃合いだったんじゃなかろーか。

 

ともあれ、現実的に見れば俺がどんな衝撃を受けていようがなんだろうが、粛々と時間は流れていくわけで、転校生の微笑みに見惚れて時間が止まった、なんて錯覚していたのはどうやら俺一人だけだったらしい。

 

「さて、それではエミリアさんに色々質問もあると思いますけれど、それは休み時間に取っておいてもらうといたしまして……ひとまず、席についてもらうといたしましょう。エミリアさん」

 

「あ、はい」

 

「窓際の席の一番後ろ、その空席が貴女の席になりますわ。とりあえず、そこに座っていただいてよろしいですか?」

 

フレデリカ先生が転校生――エミリアにそう話しかけ、教室の窓際最後尾のベストプレイスを指差す。もともと、転校生が座るとしたらそこだろうと目されていた場所だけに、確かに既定路線ではあるだろうが、

 

「わかりました。じゃあ、そこに……」

 

「――異議あり!!」

 

「え!?」

 

フレデリカ先生の言葉に従って、動き出そうとしたエミリアを止める一言。

鋭く、手を突き上げてそう叫んだのは、クラス一のKY――つまり、俺だ。

 

俺は唖然とした顔の転校生を睨みつけ、ちょっと耳が熱くなったので顔を逸らし、呆れた顔のフレデリカ先生に指を「ちっちっち」と振ってみせた。

 

「デリカ先生にしちゃ、ちょっといただけない意見だと思うぜ。転校生相手に最初から甘やかすような姿勢、まったくもってよくねぇや!」

 

「甘やかす、とは聞き捨てなりませんわね、菜月くん。私の何がいったい、そんな評価に繋がりましたの?」

 

「決まってんだろ?それはその、えーと、アレだよ!窓際の最後列!その座席を簡単に転校生に差し出そうなんて、デリカ先生はその転校生に賄賂でも贈られたってのか!?袖の下に屈するなんてらしくねぇぜ」

 

「またバルスが馬鹿なこと言い出したわ」

 

右斜め前の幼馴染みが何やら毒を吐いているが、今の俺には関係ナッシング。

ちょっと調子が出てきたので、このままの勢いで押し切る所存。

 

俺は呆れ顔のフレデリカ先生と、目を白黒させてるエミリアの二人に指を突き付け、それからクラス全員を見回しながら、

 

「窓際の最後尾は、学生ならば誰もが欲するポジショニングだ!それを簡単に明け渡されちゃぁ、ここまで真面目にフレデリカ先生の生徒やってきた俺たちが浮かばれねぇ!そうだろ?」

 

「そうか……?」

 

いかん、俺の呼びかけに思ったよりも賛同意見が少ない。準備不足がここで響いてくるのか、首を傾げる生徒がわりと大半の勢いだ。

マズい、このまま俺がただの痛い奴で終わるのは色んな意味で傷だらけになるだけだぞ。

 

「――ふむ、そこな口やかましい愚物の言うことにも一理ある」

 

「おおう?」

 

「さして価値のないことではあるが、それでも単なる凡俗が妾よりも優遇されるとなればそれは相応を示してもらわねばお話にならぬ。そうでなくばそれこそ、袖の下などという戯言にも現実感が生まれる」

 

「いや、袖の下なんて現実感ねぇだろ、何言ってんだ……」

 

意外な援護射撃が入って、その内容に助力を得たはずの俺がドン引きする。その俺の言葉にじろりと、クラス最大の戦闘力を持つプリシラが睨んできた。ちなみに戦闘力は運動力とかそういうの抜きに、こう、見た目――有体に言えば、女性的特徴の戦闘力って意味だ。追及するなよ!

ちなみに地味にクラス二位の戦闘力はクルシュだと見込まれてるぜ!

 

「菜月・スバルとプリシラ・バーリエルの意見がもっとも、とまでは言わないが、反対意見が出るのであれば民意を反映した判断とは言えないのかもしれんな」

 

「やだ、クルシュ様ってば考え込む横顔も素敵……でもでも、あの二人にはそんな深遠な考えにゃんて絶対にゃいと思います」

 

「いや、言い出したからには何か決定的な要因があるのだろう。すんなりと流れに烏合してしまった私とは違う、何かしらの理由が」

 

そして当のクルシュさんから異様に期待の眼差しが飛んできているが、ぶっちゃけた話、ほぼほぼノリです!プリシラの奴が不必要な援護をくれたせいで余計にそんな感じになってきた感が否めねぇけど!

 

「それでええと……スバルくんだっけ?あなたはどうしたいの?」

 

「――――」

 

ただ、追い詰められた感のあった俺に手を差し伸べたのは、なんと意外や意外、状況に置いてけぼりにされていたはずの転校生だった。

初対面の女子に、いきなり下の名前で呼ばれたことにちょっと新鮮に驚く俺を見据えて、エミリアは紫紺の瞳の色を強めると、

 

「あの席が欲しいなら、私とあなたの席を交換する?でも、それだとそっちのプリシラさんのお話を蔑ろにしちゃうし……」

 

「そ、そうなるな。事はそう簡単に収まる問題じゃないのさ。そして、俺の言葉は当然、俺自身にも降りかかる。あの席を手にする栄光は譲られるべきじゃねぇし、手軽に手に入るべきでもねぇのさ」

 

「じゃあ……?」

 

「決まってるだろ?」

 

問い返す言葉に、俺は喋りながら一生懸命まとめた結論にどうにか誘導した。

そして、息を呑む美少女に指を突き付け、断言する。

 

「チキチキ、一心不乱の『大席替え大会』開催だ――!!」

 

「――ッ!?」

 

俺が拳を突き上げて宣言すると、それを聞いた全員が息を呑んだ。

生まれる数秒の沈黙、だがそれはすぐに硬直が解かれて――、

 

「うおおおお――!席替えだ――!!」

 

という、謎の熱気に呑み込まれて掻き消える。

そう、席替えだ。学校生活における、行事予定とは全く趣の異なる、突発的ともいえる中規模イベント!

 

体育祭や学園祭と違い、あらかじめ行事予定に組み込まれた大イベントと違って、この中規模イベントの発生率は担任教師の気紛れに大きく左右される。

場合によってはその後の学校生活を左右しかねない要因を孕むくせに、教師の気紛れで発生させられるという『街作り型シミュレーションゲーム』の天災みたいな扱いのイベントだ。

 

だが、それは天国と地獄を生み出すギャンブルであり、毎日の代わり映えしない生活にうんざりしている学生たちの起爆剤にはもってこいでもある。

そして生来のお祭り好きとイベンターの揃ったこのクラスにおいても、それはいかんなく発揮される――!

 

「転校生も交えて、誰が最後尾の天国を!最前列の地獄を見るか全て賭け!引き直しも交換も一切許されない戦い、それこそが『席替え』の本質!」

 

「うおおおおお!席替え!席替え!席替え!」

 

「体育祭や学園祭では一致団結して外敵に立ち向かうクラスメイトが、今この瞬間から互いの居場所を奪い合う敵にすり替わるデスゲーム的展開!」

 

「窓際!窓際!窓際!」

 

クラスの熱狂は冷めやらない。まったく、こいつらにはいつも救われるぜ。

これがこのクラスでなければ総スカン喰らって登校拒否になってた世界線があっても何らおかしくねぇしな!

 

そんでもって、そんなクラスの悪ノリと熱狂を目の当たりにして、さぞ転校生には動揺もあるだろうと思いきや。

 

「席替え……すごーく楽しそう」

 

両手を胸の前に合わせて、目をキラキラさせていらっしゃった。

意外にもマイナス評価は喰らっていないようで、逆に俺が驚いたくらいです、はい。

 

そんでもって、もう完全にクラスが席替えムードに支配されたのを見ながら、担任であって一時間目の英語の担当でもあるフレデリカ先生が一言。

 

「こうやって一時間目を席替えに潰されるの、もう何度目ですかしらね」

 

――すいません。このクラスになって、もう通算で三回目です。

 

△▼△▼△▼△

 

つまるところ、あんだけ大騒ぎして俺が何をしたかったのかというと、単純に転校生と会話する機会を作って、もうちょっと親しくなりたいなーなんて下心だったわけですよ。

正直、美少女だらけのクラスの中にいて、さらに追加された美少女にどんだけ心が震わされるのかって話になると、それは俺もコメントがしづらい。

 

いや、揺らされるもんは揺らされるんであってしょうがねぇのである。

もちろん、これが一発でノックアウトの一目惚れって話になるのかというと、それもちょっと話が違ってくる。何度も言うようですが、俺は美少女については見慣れてるわけですよ。

 

それこそ、幼馴染みの双子は美人姉妹だし、毎朝起こしにきてくれる妹は将来が超楽しみな美少女候補の美幼女だし、その美幼女の友達の美幼女も知ってるし、近所の美少女六人姉妹とも懇意ですし、クラスメイトも美少女揃いだし?

なんだこれ、美少女氾濫しすぎて死ぬのか俺。とにかく、眼福至福幸福の感覚に関してはもう、一貫してるわけで。

 

あの子が特別、響いたのかどうかはちょっとよくわからん。

わからないけど、わからないものをわかるために行動した結果が、まぁさっきの席替え宣言に繋がるあたり、俺の頭の回路もだいぶわからんのだが。

 

ともあれ、そんだけ色々と複雑なあれこれの挙句、発生させた席替えの結果がどうなったのかといえば――。

 

「これで最前列とか引き当てる俺の運命力が底値ですげぇな!!」

 

もう頭抱えてそう叫ぶしかねぇな、この結果。

見事に最前列、それもど真ん中の教卓前というポジショニングを獲得してやったぜ、とんでもねぇな!策士策に溺れるって言葉があるけど、今回は奇策士策に溺れるって感じでフォローの言葉もねぇよ。

 

「せっかく前回の席替えで、廊下側とはいえ後ろ側の席を確保したってのに、まさかこんなことになるとは……」

 

「それ以前に、巻き添え喰らった感じで最前列になってる僕らに言うことあるんじゃありませんかねえ!?」

 

俺がたそがれてると、左隣の最前列を確保したオットーが怒鳴ってきている。

なんだ、こいつ。どんだけ運がないんだ。そしてそれを人のせいにするなんて、どんだけ人間ができてないんだ。

 

「受け入れろよ。これがお前の行動の結果なんだよ。神は日頃のお前の行いを見ておいでで、その結果がこれなんだよ。悔い改めろ」

 

「その言葉、ブーメランすぎて首が吹っ飛ぶレベル!大体、やったばっかりなのに菜月さんが席替えとか言い出すからこんなことに……他の人らも悪ノリしてこの様ですよ。やだ、このクラス!」

 

この世の終わりみたいな顔をオットーがしてるが、それ以外に最前列を引き当てた名誉ある戦死者は、トンチンカンと実に日頃の行いがわかりやすい面子だ。

そんでもって六列の最前列の内、五列が男子によって埋められたわけだが、残った最後の一ヶ所、俺の右隣の席だが――、

 

「では、またしばらくよろしくお願いしますね、スバルくん」

 

「レムの運命力がすごすぎて言葉が出ねぇよ。これで三連続で俺の右隣なんだけど、何をどうしたらそういう結果を引き寄せられんの?」

 

「スバルくんの言葉を借りるなら、神が日頃の行いを見ているから……つまり、神様もレムを応援してくれているということではないでしょうか。これはますます、気合いを入れなくてはいけませんね」

 

胸の前で拳を握り、ふんすっと気合いを入れているレムが可愛い。いや、可愛いけど、その執念がすげぇな。くじ引きで俺の隣の紙を引いた瞬間、滅多に見せないレムのガッツポーズが唸りを上げたのを録画しときたいぐらいだったわ。

 

「レムさんにとっては最前列であっても、菜月さんの隣って特典には揺るがないんでしょうけどね……僕はもうがっくりですよ」

 

「オットーくんもスバルくんの左隣で嬉しそうで何よりです。本当ならレムが代わりたいぐらいですよ」

 

「菜月さんを挟んで左右入れ替わる席替えに何の意味が?」

 

「普段からスバルくんの右半身は見つめ慣れているので、たまには左側から見つめているのも新鮮なんじゃないかと思いまして」

 

「この人の考え方もだいぶガチだ!」

 

いつものレム節にオットーが追い詰められてるが、聞き慣れた俺からするとむしろレムにしては手加減してるぐらいだ。普段のレムの力押しはこんなもんじゃないからな。もっとぐいぐいとくるぜ。何がそうさせるのかわからんぐらい。

 

ともあれ、左右を見知った顔に固められたのはわりと俺得な並びだ。トンチンカンにはご愁傷様だが、俺は別に授業中居眠りしないから一番前でも苦労とかしないしな。むしろ、俺に絡まれる各教科の先生が可哀想だ。

 

「そんでもって、席替えした本来の目的は……」

 

背もたれを軋ませて振り返り、俺は背後の席――つっても、二つほど飛ばしてクラスのど真ん中、そこに座っている銀髪の少女を見る。

これまたくじ運がいいのか悪いのか、クラスのど真ん中を引き当てたのが件の転校生エミリアだ。ポジション的には良し悪し微妙といったところだが、周囲に知り合いの一人もいない状態で真ん中放置は居心地が悪い。

 

今さらだが、それも考慮して最後尾端っこだったのかとフレデリカ先生の配慮が見えた気がして冷や汗もんだが、それでもあの子は運がいい。

なんせ、周りの面子が面子だからだ。

 

「ね、転校生の……エミリアちゃん、だっけ?」

 

「わひゃっ!」

 

背後からの声に、エミリアが儚げな美少女らしからぬ声を上げる。

席替えに乗り気だったことも考えると、ひょっとすると意外にアクティブな性格をしてるのかもしれない。

 

驚いたエミリアが振り返ると、そこにいるのは猫耳カチューシャのあざとすぎる笑顔だ。クラス一、あるいは学年一の女子力で知られるフェリスは、エミリアの銀髪を後ろからすくい取ると、その触り心地を細い指で堪能する。

 

「そんなに緊張しなくても、取って食べたりしにゃいから安心してよネ。私はフェリス、気軽にフェリちゃんって呼んでネ」

 

「あ、ありがとう。うん、よろしくね、フェリちゃん」

 

「わぉ、すんなりと受け入れてもらえるのって新鮮。楽しくなりそう……ですよね、クルシュ様」

 

「ああ、そうだな」

 

フェリスの言葉に、今度はエミリアの右隣のクルシュさんが頷く。

腕を組んだ麗人はもう、貫録さえ感じさせる態度でエミリアを横目にすると、ふっと唇を緩めて男前に微笑む。

 

「クルシュだ。この学園の生徒会長を任されている。フェリス同様、何かあれば遠慮なく頼るといい」

 

「生徒会長さん!すごーく驚いちゃった。共学なのに、この学校の生徒会長は女の人なんだ……」

 

「ふ、見た目で判断していては足下をすくわれるかもしれんぞ。世の中には色々な不思議があるからな。私もこう見えて実は、などとあるかもしれん」

 

「……そうかしら」

 

珍しくからかい口調なクルシュさんだが、組んだ腕の上に隠れ巨乳が乗っかっているので説得力が皆無だった。

たぶん、本人的にはフェリスの性別のことを意味深に匂わせた頭のいい会話のつもりだったんだろうが、当人が自分の魅力を客観視できてないせいで完全に滑った感が出ている。わりと完璧なのにそこだけホントダメな人だ。

 

「そこがクルシュ様の一番可愛いとこでしょうがっ」

 

「声に出してねぇのに心読むなよ!?」

 

俺の内心がどこまで見えたやら、フェリスが噛みついてきて本気でビビる。

ただ、エミリアの周りに生徒会のツートップがいるとなれば問題ゼロだろう。お人好しな連中だし、あの子が孤立することもないはずだ。

 

「まぁ、それだけは良かったってとこだな」

 

「ずいぶんと上から目線だわ、バルス。――今回の席替えで、心に傷を負った被害者がこれだけ出ているというのに」

 

俺の呟きを聞きつけて目尻を吊り上げたのは、地味にレムの後ろの位置を確保しているラムだった。その言い分も間違っちゃいないが、トンチンカン以外にひどい目に遭った奴らなんて別に……。

 

「あれを見なさい」

 

「あれはわかってたことだろ」

 

ラムが視線で示したのは、通路側の席の最後尾だ。そこにフェルトが机に突っ伏す形で撃沈している。

くじ引きのトップバッターで、最後尾というなかなかの好スタートを切ったフェルトだったが、喜んでられたのもつかの間の出来事だった。何故か。

 

「やあ、フェルト。また君の隣で嬉しいよ」

 

「神はアタシの前で死んだ」

 

下駄箱での懸念通り、ラインハルトが見事にフェルトの隣を引いたからだ。

レムもそうだが、わりと席替えのくじ引きは執念に結果が左右されるケースが多い気がする。俺はフェルト側ともラインハルト側とも言えない立場なので、まぁあの二人の追いかけっこは微笑ましく傍観したい所存だ。

 

ちなみに、本当にちなみにの話。

今回の席替えの発端となった窓際最後尾の席だが、取るべき人間が取る結果に収まったというか、なんというかそんな感じだ。

 

「この世界はやはり、妾の都合の良いようにできておる」

 

と、最後尾の席でご満悦にふんぞり返るのはご存知プリシラお嬢様である。

さすがの引きというか、ほとんど終盤まで残っていた席を見事に引き当てるあたり、その妄言も誇張じゃないといった様子だが、

 

「したら、ウチと席がすぐ隣なんも都合のいい出来事なん?」

 

そのプリシラの隣で、揚げ足を盛大に取るような発言をするアナスタシアがいる。犬猿の仲で知られる二人だが、席替え以前は前後だった席が今度は隣同士になってしまい、ますます火花の散りようが過熱しそうだ。

 

「ふむ……女狐が口やかましいな。そうまでして妾の気分を害したいとは、よもやそこまでの執念とは思わなんだ」

 

「ウチが狙ってこの座席を取ったみたいに言うんやめてもらってええ?そもそも、ウチがこの席を引いたあとでそっちがそこを引いたんやないの。ウチが嫌なら自業自得や」

 

「口の減らぬことよ、馬鹿馬鹿しい」

 

言葉少なにアナスタシアを押し返すプリシラだが、さすがに今回ばかりは勝敗五分五分といったところだろうか。

そんな不毛な口論の歯止め役であるところのユリウスが、生憎と二人から離れたためにアレを止める方法がない。二人の理性に期待しよう。

 

「ってなところで、席替え無事に終了。ちょいと狙いと違った形だけど、相変わらず見事な御裁きだったぜ、デリカ先生」

 

「今回の席替えが私主導だったみたいな言い方はおやめなさいな。それより、また授業時間の終わりまで食い込んでしまいましたわね」

 

「安心してくれよ。たとえ授業が遅れようと、うちのクラスには自主学習で上位に食い込む資質の持ち主が揃ってるからな。あと、デリカ先生の補習ってわかりやすいし!」

 

「補習しないのが一番、という考えにはいかないのが困りものですわね」

 

困った顔でフレデリカ先生が眉間を揉む。まだまだ若いお年頃なのに、あんまりそういう仕草が堂に入っていくようだと心配だ。

 

「その辺、レムもそう思うだろ?」

 

「はい、そうですね。これで授業中にスバルくんが居眠りをしていても、涎を拭いてあげられる位置は完璧です」

 

「それ間違いなく会話噛み合ってませんよねえ!?」

 

なんというかまぁ、そんな感じに〆るのがいつもの習わしだ。

ちょっとオットーが便利すぎてアレだけどな。

 

△▼△▼△▼△

 

そんなこんなで授業時間が終わると、休み時間は恒例の質問タイムだ。

転校生といえば、休み時間に質問攻めにされるのが様式美。そして転校生が美少女ともなれば、彼氏の有無やら男性遍歴やらを根掘り葉掘りされるのはもはやお約束といっても過言ではないのではなかろうか!

 

「ほう、エミリアはあのプリステラ女学院からの転校か」

 

「うん、そうなの。家庭の事情でこっちの方に引っ越すことになって……まだ制服ができてないから、この服も向こうの学校の制服で。悪目立ちしそうだからすごーく心配だったんだけど」

 

「んーん、心配しにゃくて大丈夫。よく似合ってるし、可愛い可愛い。でも、こういう制服もいいにゃぁ……クルシュ様に似合いそう」

 

「クルシュさんもだけど、フェリちゃんにも似合うんじゃない?」

 

「え、ホント?じゃ、あとでちょっと取り換えっこしてみる?」

 

と、質問攻めに駆けつけたかったのだが、そこは難攻不落の生徒会コンビ。他のクラスメイトの質問したい雰囲気を拾いながら、見事に滞りなく質疑応答を進めている。あんまりスムーズすぎて、フェリスとエミリアの制服を取り換えっこするという話題への突っ込みすら忘れたぜ。

 

もちろん、フェリスに下心がないのは承知の上だ。フェリスがその見た目を悪用して、女子に不埒な目を向けることはありえない。フェリスの視線は常に傍らのクルシュさんに夢中で、でもその内心がどーなってこーなって関係を維持してるのかはよくわからん。もう本当によくわからん。

 

「だけど、女学院からの転校生ということは……共学の学校は初めてかな?勝手が違って戸惑っていないかい?」

 

「ちょっと、それはあるかも。ええと……?」

 

「ラインハルト・ヴァン・アストレア。ラインハルトでいいよ」

 

と、そんなところに何の躊躇もなしに飛び込むのが我らがラインハルトさん。

そよ風の方がビビッて避ける爽やかさで、ラインハルトは女子会――フェリスがいるから本質的には女子会じゃないんだが、その女子会にあっさり溶け込む。

 

「わかったわ、ラインハルト。でも、よく共学初めてってわかったわね」

 

「プリステラ女学院は小中高と一貫教育の学び舎だからね。事によると、これまで一度も男子と教室を共にしたことがないかもしれない。そう思ったんだ」

 

「そうなんだけど、ずいぶん詳しいのね」

 

「同じ県内の学校ですし、たまにそこの女生徒にも声をかけられますから」

 

男に免疫のないはずの女学院の娘さんに逆ナンされるって、ラインハルトさんってばやっぱりすげぇわ。

エミリアも驚いているので、女学生の思わぬ積極性はやっぱりそうそう発揮されるもんでもないらしい。うーむ、イケメン恐るべし。

 

「気持ちはわかるが、あまり質問攻めにするものでもない。むしろエミリアの方から不安があれば聞くが、何かあるか?」

 

「えっと、それじゃ、部活動について聞きたいかも。私、前の学校では手芸部みたいなところに通ってて、この学校でも続けたいなと思ってたんだけど」

 

「――手芸部、か」

 

ふと、クルシュさんがエミリアの質問に目を細めた。

その反応にエミリアが「え」と不安げにすると、それに気付いたクルシュさんは「すまない」と口にしながら首を横に振って、

 

「ここで手芸部の名前が出るのがなんとも数奇なものに思えてな。ただ、家庭科部と言われるよりは幾分マシだったのかもしれないが」

 

「あ、家庭科部でもいいの。そういうのに関わっていたくて……」

 

「おおっと、待ちな、お嬢さん。――手芸部と家庭科部、それを一緒くたにされちゃぁ困っちまうぜ」

 

両手を叩いて大きな音を立てて、注意を引きながら颯爽と割り込む。

誰が?俺が。

 

エミリアが肩を跳ねさせ、クルシュさんとフェリスが顔を見合わせる。そんな中でいつもの調子のラインハルトが手を挙げ、

 

「確かに、その二つの部活動の問題ならスバルに話してもらうのが適任だ」

 

「ああ、なんせその二つの部活動の確執の歴史には、俺という存在は決して欠かせないファクターだからな……」

 

「欠かせないふぁくたー……」

 

初めて聞いた横文字みたいな怪しげなエミリアの発音だが、俺はとりあえずそれに構わずに会話に入り込んだ。ここで手芸部の話題が出るとは、天は俺に味方したらしい。

なんせ、俺、手芸部員ですんで!!

 

「この学校の手芸部なんだけど、担当してるのはうちの担任のデリカ先生。つまりさっきの怖い顔と優しい目をした先生のことね」

 

「その言い方は失礼なんじゃ……でも、それなら言いやすいし、助かるかも」

 

「ただし!そんなフレデリカ先生率いる手芸部と圧倒的な対立関係にあるのが、家庭科部を率いる数学のクリンド先生だ!犬猿の仲と知られる二人の因縁は長く深く、それは学内の文化部の勢力図を塗り替えるほど熾烈に続いている!」

 

「そ、そうなんだ……でも、なんでそれが問題なの?部活動同士で仲が悪いのはちょっと問題だけど、ちゃんとどっちに入るか選べば……」

 

「そりゃ、選ぶ方によっては露骨な私情が待遇に関わってくるからだよ」

 

「私情で判断しちゃうの!?」

 

まさかの大人げない裁定に、エミリアが目を剥いて驚く。

そうなのだ。フレデリカ先生とクリンド先生は通常時は思いやりに溢れ、人柄もいい当たりの先生なのだが、事お互いが関わるとなるとそれが豹変する。

相手に肩入れするものが現れようものなら、持てる権力の限りを使って叩き潰しにくるのだ。

 

「それって問題にならないの?」

 

「もちろん大問題。だけど、それを補って余りある教員力が二人にはあるんだ。だから黙認されてる……とまでは言わないけど、ちゃんと回避策もあってね」

 

「何を隠そう、その菜月・スバルもそれを実行している一人だ」

 

金虎『フレデリカ』と夜鷹『クリンド』の『虎鷹問題』は、ルグニカ学園に通う上では回避できない問題だ。なので、対処療法も確立されている。

その方法は簡単だ。なんせ、俺は家庭科部員でもあるんで!

 

「ええっと、つまりどういうことなの?」

 

「どっちかに肩入れすると機嫌を損ねるから、両方に所属してお茶を濁す」

 

「……それで大丈夫なの?」

 

「ちゃんと活動に身が入ってれば問題なし。もちろん、手芸部の展示品作りのときとかに注力することまでは文句言ってこないし、手芸一辺倒より衣食住まんべんなく技術のある子の方が就職しやすい」

 

「衣食住ってどういう評価にゃの」

 

繕い・料理・掃除ってとこじゃないでしょうか。

ともあれ、そんな感じでのらりくらりとかわすのが賢いやり方だ。これを欠くと悲惨な目に遭うので、新入生には特に注意が必要な部分。

 

「まぁ、入部届けに関しては二枚確保しとくのがベストだな。手芸部員兼家庭科部員として、俺も新入部員は歓迎しよう」

 

「あ、スバルくんも両方に入ってるんだ。それは……えっと、意外ね?」

 

「言葉を選んでくれた感がひしひしとあるネ。スバルきゅん、落ち込まないように」

 

「るっせぇよ」

 

にやにやとフェリスが肩を小突いてくるので、その額を押し返してやる。

顔に似合わない趣味なのは自覚があるから、もう今さら突かれてもなんてことない、いやマジで。それより、転校生の美少女ちゃんが同じ部活動に入ってくれそうってあたりの方が俺の中では大きい。

 

「このクラスだと、同じ部活やってくれてるのレムだけだからなぁ」

 

「レムさんの場合、わざわざ学校で部活動に入部する必要はないぐらい色々と修めているみたいだけどね」

 

「それはお前……察してるから言うなよ」

 

いらんことを言うラインハルトに忠告すると、洋画みたいに肩をすくめられる。それがまたやけに様になってるもんだからどうしようもない。

その後ろではフェリスとクルシュさんが顔を近付けて、

 

「どうしようもにゃい奴ですよ。いっぺん、痛い思いすればいいのに」

 

「そう言うな、フェリス。生徒の日々の生活の安寧を守る生徒会がそれでは、我々としての本質を損なう。ラムあたりが勝手に代弁してくれよう」

 

「なるほど、さすがクルシュ様、策士……!」

 

うるせぇやい、チクショウめ。

仲良し丸出しの生徒会ペアと、苦い顔の俺。すると、微妙にクラスのお約束に置いてけぼりのエミリアが困った顔だ。

転入生に優しくない態度だったと反省しつつ、俺はふと思いついた。

 

「そうだ、部活のこともそうだけど……もしあれだったら、学校の中の案内とかしようか?しようかっていうか、しちゃう?」

 

転校生に学校案内!そう、これもいわゆるお約束ってやつだ!

休み時間に質問攻めにされる転校生と、放課後に学校の案内をされる転校生。学校案内なんて別にそんないらねぇよ、マンモス校じゃあるまいし!みたいな感覚もないではないが、そういうのは全部うっちゃっていいのだ。

 

「学校案内、してくれるの?」

 

「ああ、全然するよ!むしろさせてほしい!俺の方からお願いしたいくらいだ!君の学校案内、したい!そのために今日、ここにきた!」

 

「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない」

 

乗り気っぽく見えたので強気でいったらいけるかと思ったんだが流された。

いやでも、俺は諦めないぜ。どうにかしてこう、うまい具合に。

 

「待ちなよ、スバル。こういうのは無理に言っても仕方ない」

 

「お、邪魔すんのかよ、ラインハルト。まさかお前が代わるとか言い出すんじゃないだろうな。それを言われると、正直、反論のしようがなくてお手上げだぞ」

 

「エスコートは吝かじゃないけどね。生憎、今日の放課後は用事があるんだ。そこで、ここはもっと気軽に女子同士の方がいいんじゃないかな」

 

「まぁ、それも一理あるけど……」

 

ラインハルトの提案に、俺はすごすごと引き下がる姿勢。基本、ラインハルトは善意でしか行動しない上に、正論でぐいぐいくるので反論し難い。

女子が案内、という流れにも文句の言いようがなかった。

俺が引っ込むのを見て、ラインハルトは「だろう?」とウィンクしてから、

 

「それじゃ、フェルト。君にお願いしたいんだけど、どうかな?」

 

「知るか――!!」

 

ここまでまったく会話に入ってきていない上に、机に突っ伏して次の時間まで寝過ごそうとしていたフェルトを呼びやがった。

寝入ってたみたいに見えたけど、どうも嫌な予感がしてたんだかで寝付かれなかったらしい。フェルトは不機嫌そうな顔でラインハルトを睨んだ。

 

「アタシが知るか!何の関係があるんだよ!嫌な予感がしたと思ったらこれだ!お前、ホントに碌なことしねーな!」

 

「何の関係もない、だなんて薄情なことは言わないでほしいな。これから同じクラスで学ぶ友人になる子じゃないか。それにフェルト、君は自分がこのクラスの学級長だってことを忘れているんじゃないか?」

 

「それも、アタシがロム爺の手伝いで休みの日に勝手に決まったんだろーが!」

 

理路整然と並べるラインハルトに、フェルトの怒りもなかなかやまない。

ちなみに、フェルトがこのクラスのクラス長なのはマジの話だ。生徒会長のクルシュさんがいるんで、実務的にはほとんどクルシュさんが代行してるようなもんだが、肩書きとしてはフェルトが名実ともにクラスのトップである。

 

「しかもその役目、頑なにアタシに押し付けたのテメーって聞いてんぞ!どうなってやがんだ、コラァ!」

 

「良かれと思ってのことだよ。確かに君は色々と面倒くさがることが多いが、相応の立場を与えれば化ける……僕はそう信じてる」

 

「余計なお世話すぎる!アタシの親か、テメーは!」

 

「叶うなら、親以上の絆を深め合うのもいとわないとも」

 

「死ね!」

 

学内どころか県内随一のイケメンに、これだけ強く求められてこれだ。フェルトの鋼の精神力にも驚きだが、あんだけ言われてめげないラインハルトもだいぶなんていうかアレだ。

 

「残念だが、フェルトには断られてしまった。ただ、彼女のことを誤解しないでほしい。本当は思いやりに溢れた子なんだよ。今日は少し機嫌が悪いみたいだ」

 

「そ、そういうことだったのかしら……うん、わかりました。ありがとう」

 

少なくとも、フェルトからラインハルトへの温かな思いやりを感じるイベントを見かけた覚えがないが、エミリアもそれを突くのはやめた顔だ。

そのままエミリアは困った顔で、クルシュさんたちの方に振り返り、

 

「そんな感じなんだけど、二人は放課後はどうかしら?用事がある?」

 

「付き合いたいのは山々だが、生徒会の業務が立て込んでいるな。少し待たせてもいいなら可能だが、帰りが遅くなってしまうかもしれない」

 

「それで暗い帰り道、女三人でっていうのも怖いかもですしネ」

 

女三人、といけしゃあしゃあなフェリスだが、流れは完全に俺の方向だ。エミリアは「それじゃ仕方ないか」と残念そうに肩を落とすと、

 

「じゃ、今日の学校案内は諦めて……」

 

「待て待て待て待て!俺!俺がいるよ!俺がやるってば!」

 

なんで候補から外れたの!?

思わぬスルー沙汰に俺が驚きつつも立候補すると、エミリアの方まできょとんとした顔をするから驚きだ。

 

「え、スバルくん、案内してくれるの?」

 

「めちゃめちゃ言ってたじゃん!え、俺キャラ薄い?今のやり取りの最中に忘れ去られる程度のインパクトしかなかった?」

 

その評価、結構ショックだ。自分でいうのもなんだけど、俺ってわりとこう、結構な頻度で人の心に嫌な感じで残るタイプだと思ってたんだけど!

 

「ううん、そうじゃないんだけど……」

 

慌てふためく俺を見て、エミリアの方が思わしげに眉を寄せた。

さすが、美少女はちょっと悩ましげでも絵になるなーなんて思うが、俺も美少女慣れしてるのでそのぐらいじゃ狼狽えない。たまにレムはもっと無防備でもっとすごいときがあるからな。

 

「――うん。それじゃ、スバルくんにお願いします。放課後、学校を案内してください」

 

ぺこり、なんてSEが似合いそうな感じで、エミリアが畏まった様子で俺に頭を下げた。もちろん、俺は喜んで受け入れるわけだが。

 

「――――」

 

なんか妙にエミリアの目つきが悲壮な感じなのは、なんでなんですかね?

 

△▼△▼△▼△

 

「放課後は姉様との約束があるので、どうしても……どうしてもレムは一緒にいられませんが、エミリアさんに失礼がないようにしなくちゃダメですよ、スバルくん。いつものノリで接しても、レムやオットーくんは一緒にいられません。だからどうか、どうか……!」

 

「そんなリード外した犬みたいに心配しなくても大丈夫だよ!」

 

放課後、エミリアの学校案内があると話した途端、レムが泡を食った様子でそう訴えかけてきたので苦笑いしか出ない。

なんでも、レムは放課後はラムの手伝いで、小説家のロズワールさん宅のお掃除などを手伝うって話だ。ちなみにぽろっと話題にも出たが、レムの家事技能は料理・裁縫・掃除洗濯のいずれの分野も、すでに十分に主婦の生活に耐えうるだけの実力を保持している。

 

家庭科部で、厳しいクリンド先生の免許皆伝を全分野で得たのは今のところはレムだけだろう。一点特化型には分野で負けるが、オールラウンダーとしてのレムの実力は学校中の知るところだ。

そんなわけなので、妹の力を借りることを何とも思わない姉であるところのラムが、意中の相手にいいところを見せるために協力を要請するのは至極当然の流れであったわけだ。

 

「今さらバルスの発情期をどうしようとは思わないけど、レムを悲しませるようなことだけは絶対に許さないわよ」

 

「お前は俺を理性という楔の外れた犬扱いするのをやめろ!」

 

「バルスのくせに、うるさい」

 

「ぐあっ!」

 

すげぇ強烈なローキックを貰って、悶絶する俺を置いてラムがレムを連れ去る。

最後の最後までレムは俺を気にしていたが、俺が脂汗を浮かせながら手を振って見送ると、後ろ髪引かれながらもどうにか立ち去っていった。

 

「うおお、ラムのローやべぇ……!的確に膝の裏を打ち抜いていきやがる。下半身の作り方が違うのか……!?」

 

わりと健康的な嗜好のラムは、あれで意外と体を動かすのが得意だ。女子力的なバロメーターでレムにまるで及ばないので、違う分野で伸ばそうとした結果がその方向性だったんだろう。

あれで女子の中では県内有数の運動力を誇り、数々の部活の助っ人として活躍している女アスリートであるのだ。それだけに、鍛え上げられた下半身から放たれる蹴りの威力も尋常じゃない。

 

「真面目に、殴り合ったら負ける予感するもんな。……まぁ、女子と殴り合いになる時点で男として負けてる気もするけど」

 

「誰と誰が殴り合い?」

 

「いや、女子と男子が真っ向からって、うわぉう!?」

 

ぶつくさと独り言モードに入ってた俺を、後ろから美少女が驚かせる。慌てて振り返ると、俺の反応にびっくりしているエミリアの姿があった。

彼女は大きい目を丸くして、胸に手を当てながら、

 

「やだ、もう。びっくり仰天しちゃったじゃない」

 

「びっくり仰天ってきょうび聞かねぇな……」

 

なんかちょいちょい、そういう死語を合間に挟んでくるよね、この子。

俺の視線の生温かさに気付いているのかいないのか、エミリアは自分の腰に手を当てると、頬を可愛らしく膨らませて、

 

「話しかけただけなのに驚かせないでよ」

 

「いやぁ、たまたま物思いに耽ってたとこだったんでごめんよ」

 

「物思いって……なんか物騒なこと考えてたの?」

 

「全然!物騒なんかじゃないよ。ちょっとラムの下半身のことをね」

 

「……そう」

 

なんか、言葉を選び間違えた気がする。

予感の源泉は一歩下がったエミリアと、温度の下がった彼女の視線だ。

 

余談だが、席替えの流れでクラス全員の自己紹介みたいなものまで済ませてあるので、エミリアの記憶力次第ではあるが、クラス全員の顔と名前は彼女にばっちり把握されているので、ラムの名前が女子ネームなのもモロバレだ。

 

「ただし、それが今後どういった意味をもたらすのか、まだ出会ったばかりの二人は知る由もないのであった……」

 

「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない」

 

そこまできて、ふいにエミリアが呆れたみたいなため息をつく。

なんだろう、俺と話してる人がよくやるやつだ。

 

「スバルくんって、いつもそんな感じなの?」

 

「どうかな。今日には今日の、昨日には昨日の、そして明日には明日の俺の良さがあると思うんだ。毎日、違う俺をお届けすることで、常に新鮮な印象をみんなに与え続けたい」

 

「それで、せっかくだから手芸部の部室から案内してもらっていい?」

 

「全スルーされるこの感覚、意外と悪くないな」

 

全部に律儀に反応してくれるレムとか、全部に過剰に反応するオットーとかのリアクションも美しいが、これはこれでという感じだ。

ともあれ、求められたからにはそれに答えるとしましょう。

 

「んじゃ、さっそく、手芸部の部室……活動場所の、被服室から向かうか」

 

――などと、俺の案内によるエミリアの学校探索が始まる。

といっても、何かしらの事件が頻発したりであったりとか、ちょうどよくフレデリカ先生とクリンド先生が激突し、『虎鷹戦争』が始まったりとかはない。

 

基本に忠実に、特別教室の数々や学食、体育館に図書室や旧校舎なんかを案内して、滞りなくミッションを遂行する。

 

「で、こっから先が旧校舎ね。新校舎の方は石造りだけど、旧校舎はまだ一部木造の部分が残ってたりでちょっぴり昭和感があるのが納涼におススメ」

 

「納涼って、怖い話とかのこと?」

 

「実際、ルグニカ学園七不思議ってのもお約束だけどあるんだぜ。旧校舎は古いのと木造で軋むのとあるから、夏合宿とかで運動部が泊まり込むと、わりと頻繁に心霊体験の話が聞けて面白かったりする」

 

「ふーん、そうなんだ。お化け、かぁ」

 

「意外、怖がるかと思ったのに」

 

ここまで、まぁ小一時間もかからないエスコートだが、その間に話してみた感じ、エミリアはちょっぴり子供っぽいところがある。

見た目は結構、清楚系というかお姉さんっぽいところがあるのに、中身が子供っぽいせいか変に背徳的な魅力がある感じだ。ぐっじょぶ。

 

で、そのエミリアだけに、お化けの話を怖がらない流れが意外だった。聞きたくないと耳を塞いで新校舎に逃げ帰る、までは言わんが。

 

「……怖がらないと、困る?」

 

「怖がらなきゃ困るってこたぁないけど。ここがお化け屋敷で、俺がお化け役のバイトで君がお客さんってんなら怖がってほしいけどね」

 

というか、心霊体験なんて言ってはみたものの、知り合いの女性陣はこの手のものに対する抵抗力が強すぎてあまりお話にならない。

素直にお化け話で怖がってくれるのなんて、身近なのはベア子ぐらいか。

 

「あと、実はラム」

 

「え?」

 

「いや、こっちの話。これは話したなんて知れたらたぶん怒られっから」

 

意外や意外、心霊体験が全然ダメなのは、そういうものに心を揺らしそうにないラムの方なのだ。逆にレムはお化け関係なんかは全然大丈夫で、スプラッタ映画だろうがなんだろうがハンバーガーを食べながら見られる。

ラブロマンスを謳った映画を姉妹と観にいって、間にいた俺にしがみついて二時間過ごしたのはラムにとって屈辱的な記憶だろう。

 

「なんせ、忘れろってしこたま殴られたからな……」

 

忘れたことにしてあるが、覚えていると知られたら命を狙われかねない。

ラムの弱点を他人に言い触らすのは、幼馴染みとしても悪いしな。

 

「ま、旧校舎には滅多なことじゃいかないと思う。それに放課後になると、入口がたぶん閉められてるはずだから」

 

「あ、ホントだ。もう鍵がかかってる」

 

新校舎から旧校舎には、渡り廊下で一本の道のりだ。

春も終わりの風を浴びながら、引き戸を開けようとしたエミリアの銀髪が揺れるのをぼんやりと眺める。

 

「は!いけないっ」

 

「――?」

 

ぼんやり眺めてたら、急にエミリアが振り返って俺がびっくり。

エミリアは扉を背にすると、少しだけ俺を警戒するような目を向けてきた。けど、俺の方が何やらな感じなので首を傾げるしかない。

 

「どうかした?」

 

「……な、なんでもない。なんでもないのよね?」

 

「いや、俺が聞きたいんだけど。――と」

 

どうにも引っかかる反応を感じながら、俺はふっと顔を上げた。

耳に滑り込むみたいに聞こえてきたのは、新校舎の上の方の階から落ちてくる音の連鎖――まぁ、洒落た言い方をしないならメロディだ。

 

「わ、誰の演奏?」

 

俺と同じようにメロディに気付いて、エミリアが無防備に頭上を見上げる。風に揺れる髪を押さえながら、音楽に耳を傾ける姿は実に絵になる。

俺はこっそりとそれを盗み見ながら、

 

「聞こえてきてんのは、うちの音楽教師のリリアナちゃんの演奏だよ。放課後になると、受け持ちの軽音楽部と吹奏楽部を荒らして回るから」

 

「へえ、音楽の先生……リリアナちゃん?」

 

「見た目と普段の態度があんまり威厳ないんで、生徒全員から愛玩動物のように微笑ましく見守られてるんだ」

 

人呼んで、『この世に音楽がなければ、ただのバカで終わった天才』だ。

言動に行動に態度に生活と、全てにおいて人並み外れた軽々しさを見せ、突出した音楽の才能がなければ間違いなく野垂れ死にしただろう大人だ。

 

「生徒に飯はたかる。授業に遅刻する。校長の鯉を釣る。五日、同じジャージで登校する……そういう人だ」

 

「で、でも、この演奏はすごーく上手よ?」

 

「そうだよ。だから、存在が許されてる」

 

「存在とまで言っちゃうの!?」

 

まだ直接見ていないエミリアには、あの存在の脅威がわからないかもしれない。

いやもうホントにマジで、顔と歌と演奏がいいだけの小動物だから。その才能がなかったら、畑を荒らす害獣扱いされていたかもしれない人だ。

 

「このままじゃ引き取り手がないんじゃないかなんて言われてたんだけど、最近じゃどっかの音楽祭を荒らしたときにどっかの御曹司を引っかけたらしくて……才能一個で食っていく天才ってこんな感じかってみんな思ってる」

 

「す、素敵な話じゃないの?ほら、えっと、自分の好きなことをやり続けて幸せを掴んだ!のよね?」

 

「のかね?」

 

正直、そのあたりもよくわからない。リリアナちゃんにその件を追及しようとすると逃げるし、下手を打つとこっちが歌にされるからな。

それがまたべらぼうにいい歌になるもんだから、自分の名前が使われた曲が町中で歌われるなんてことになったら恥辱で悶え死ぬ。

 

「不毛なリリアナちゃんの話はともかく……とりま、めぼしいところは見て回ったって感じかね」

 

「……そう」

 

まだ聞こえてくる演奏に耳を傾けながら、エミリアが妙に寂しげに呟く。

その声の調子に、俺はますます困惑した。

 

だって、さっきはなんかちょっと俺を警戒してたりした感じなのに、そろそろ案内が終わりますよーってなり始めたら途端に寂しげって。

女心は秋の空なんて話じゃないだろ、難しすぎる。

 

おかしい、俺はわりと対美少女経験がそこそこ多いはずだったんだが、回数が多いだけでデータ量が少なかった。

 

『にーちゃ、いい加減に子ども扱いはやめるのよ!』

『さすが、レムは感服しました。スバルくんは素敵です』

『バルス、三分待ってやるわ』

 

俺の脳内で対美少女木人拳が行われたが、結果は何とも微妙な感じだ。

エミリアのアンニュイな表情の原因はわからないまま、俺はどうしたもんかと頭をひねり、そうだと思い至った。

 

「まだ、案内してないところがあったな」

 

そう、それはこの学校で、ある種の『聖域』とされる場所だ。

その場所は――。

 

△▼△▼△▼△

 

「ここがルグニカ学園裏名物の一つ、『鬼の花園』だ」

 

「わ、ぁ」

 

その場所を見せつけた瞬間、エミリアの表情がパーッと明るくなった。

それまではアンニュイな感じを引きずり、どこかしら儚げに伏せられていた瞳の輝きが一変、眼前の光景に目を奪われる。

 

夕闇の迫る校舎裏、そこに広がるのはなかなか規模の大きな花壇だ。

正直、花壇というより花畑の表現の方が近いんじゃないかと思うほどの規模。ビニールハウスなんかがある本格的なやつとはまた違うが、これだけの敷地を花壇として確保するのはなかなか贅沢な話。

 

そして、その花壇には今一面、色鮮やかな花々が咲き乱れている。

ここ数日は春の陽気も落ち着いていて、ぽかぽかしてるのが功を奏した。開花を迎えた花々は、風に優しげに揺れながら俺たちを歓迎してくれている。

 

「夕焼けの朱色も差し込んで、ちょっとロマンティックにお届けしました」

 

言葉をなくしているエミリアの横で、俺はキザったらしく一礼してみせる。

ちなみに今の仕草は、俺の知っているもっともキザな男の仕草を真似たもんだ。自分でいうのもなんだが、なかなかうまくトレースできた気がする。

 

「――――」

 

無言のまま、エミリアがゆっくりと俺の方を振り返った。

一礼の仕草で頭を下げ、片目を開けて彼女の様子を窺う。というか、できれば突っ込み的な反応がないと、俺のキザ回路が臨界を迎えて焼き切れそうだ。

羞恥心と俺との熾烈な争いが繰り広げられ、そしていよいよ爆発――、

 

「――ありがとう、スバルくん」

 

「お」

 

微笑んで、エミリアは俺にそう言った。

夕焼けに彼女の銀髪が煌めいて、きらきらと輝くのに目を奪われる。

 

微笑みと、夕焼けの花畑に美少女。

それは俺の胸を、不可思議な衝動で弾ませるのに十分な効果があって。

そして、

 

「それじゃ、そろそろ始めましょう」

 

「へ?」

 

硬直する俺の前で、エミリアが急に真剣な顔つきになった。

それから彼女はゆっくりと、後ろ手に組んでいた両手を持ち上げ、誰の目にもわかるファイティングポーズをとる。

そうして呆気に取られる俺に向かって、やけに悲壮な顔で。

 

「さ、さあ、かかってきなさい!私、負けないんだからっ!」

 

と、何故かリアルファイトを申し込んできた。

 

「――――」

 

その反応が意外というか、意外ってレベルでもねぇよ。予想外とかそういう話じゃなくて、どこにそういう伏線があったんだよ。

この子、グラップラーなの?

 

「いや、何がどうしてどうなって、この流れを誰がどうしたいんだよ!?」

 

何か誤解があるんだと思うが、それの原因がさっぱりわからなくて、俺はただひたすらに見えない何かに怒りをぶつけ、その場で地団太を踏むしかなかった。

 

遠い空、まだリリアナちゃんの演奏がこっそり聞こえている――。

 

△▼△▼△▼△

 

戦闘態勢を解かないエミリアの話を聞くと、どうやらこういうことだった。

 

「あの、HRの時間があったでしょ?最初に席替えなんて言って、私が席に着くのを邪魔したり、そのあとも部活動のことで怖がらせようとしたりしてたから……てっきり、スバルくんは私のことが気に入らないのかと思って」

 

「それでこんな迂遠な方法でヤキ入れてやるために呼び出したと!?俺の善意、そんな風に思われてたの!?」

 

「ちょ、ちょっとはおかしいなぁって思ってたのよ?スバルくん、怒ってるわりにはちゃんと案内してくれたし、話もちょっと面白かったし、それなのに最後にケンカ別れが決まってるなんてやだなって……」

 

「あの悲壮感はそういうことか!なんかもう、今のやり取りの中に驚くべきポイントがいっぱいあって胸がいっぱいだよ!」

 

女学院出身で、純粋培養のお嬢様だったから仕方ない、って話でまとまるか?

むしろ女学院出身の子が、男と戦う覚悟を決めて裏庭に呼び出されてきた方がずっと発想的に黒いよ!何がどうしてそうなるの。

 

「ラムって子と殴り合った、みたいな独り言も言ってたし……」

 

「そうね!言ってたね!それは俺が悪いね!こいつめ!こいつめ!」

 

ラムに蹴られた腿あたりを叩いて、俺は自分の不用意な発言を反省する。

なるほど、振り返っていると色々と勘違いを助長させるような部分があったのかもしれない。あったのかなぁ。

 

「ひょっとして、ルグニカ学園七不思議のときのあれもそう?」

 

「……怖がらせて、主導権を握ろうとしてるのかなって」

 

「俺の中の女学院の法則が乱れる。なに、そんな常在戦場の心構えでいないと生き残れないような環境にお嬢様っているん?」

 

だとしたら、今後のベアトリスの進学先には細心の注意を払いたい。俺はベアトリスにはのびのび健やかに育ってほしいんだ。そんな侍魂を抱く幼女になられても、家の中の関係がギクシャクしてしまう。

 

「とにかく!俺の方にはそういう意思はなかったの。マジ、ただの案内」

 

「……でも、どうしてあんなに食い下がってまで案内してくれようとしたの?」

 

「む、それはアレだ。いわゆる、アンダーマインド」

 

「――?」

 

無理に和訳して『下心』というわけだが、それもどこまで本音なのかは自分でもイマイチ難しいところだ。もちろん、可愛い女の子とお近づきになりたいって気持ちに嘘はないんだが。

もっと端的に、初めてエミリアを見たときの心の動き、あの正体を確かめてみたかっただけのこと。

そして、それが今回のエスコートで確かめられたのかについては、ちょっと難しいところではあるが。

 

「まとめると、俺は君と仲良くなりたかったんだよ。仲良くなって、どんな子か知りたかったし、そんな子に俺のことを知ってほしかった。それだけ」

 

「――――」

 

「あんまりうまくまとまってない?」

 

エミリアの返事がなかったので、不安になって聞いてみる。もともと、俺は短くまとめるのが苦手なんだ。なんでもぺらぺらと喋りながら、喋りながらで話をまとめる癖がある。なんで、まとまってるか微妙だが。

 

「……うん、わかりました」

 

「そう、わかってくれたか」

 

「私がすごーくバカだったことと、スバルくんがだいぶおバカなことも」

 

「俺の馬鹿なポイントについて話すと反省点が多いからなぁ」

 

何が最大の減点ポイントか、それを話し合うだけで諸説入り乱れそうだ。

俺がそんな風に頭を掻くと、エミリアが堪え切れずに笑い出した。その笑みは自然なもので、ここまで微妙に張り詰めていた彼女のどの表情とも違う。

 

まぁ、最後には殴り合いするかもしれない覚悟でいたわけだから、自然な笑顔なんてどれだけ出てくるもんかはわからないが。

 

「まぁ、色々とあったけど、御満足いただけたんであれば何よりです」

 

「はい、とっても満足しました。色々、本当にありがとう。スバルくん」

 

「気にすんねい。……それより、用が済んだら早めにここを離れよう」

 

「え?」

 

エミリアの笑顔ももらえたし、これで満足と俺は退散を提案。と、その言葉にエミリアが驚いた顔をする。彼女は微妙に後ろ髪引かれる様子で、横手の花壇を見つめると、

 

「あの、もうちょっと見てたいんだけど、ダメ?」

 

「そのおねだりには今すぐに屈しそうになるんだけど、そうは問屋が卸さないぜベイベーって俺の中で警鐘が鳴る。もちろん、意地悪じゃないぜ?ちゃんとした理由があるんだ。ここが、『裏名物』だからって理由が」

 

「あ、表名物じゃなくて、裏名物」

 

そう、物事には裏と表があるわけだが、表に比べて裏に付きまとうイメージは色々と後ろ暗いものが多いはずだ。

んでもって、この『ルグニカ学園裏名物』に関してもそれは同じだ。

 

「まさか、この花畑にもちょっと怖いお話が……?」

 

「んにゃ、ルグニカ学園七不思議とは全くの別口。いや、ある意味では恐ろしいかもしれないな。でも、それを話す前にまずはここを……」

 

離れよう、と俺がエミリアを連れ出そうとする直前だった。

その声は俺たち二人の背後から、唐突にやってくる。

 

「――おや、放課後のこんな時間に生徒がいるとは珍しい」

 

「――――」

 

その低く、渋みを伴った声音に俺の背中を冷や汗が伝った。

背後、そちらから届いた声に動けなくなる。俺の背後ということは、つまり俺と向き合うエミリアの正面だ。

彼女には声をかけてきた相手の顔が見えている。エミリアはすでに相手に捕捉された状態だ。そして彼女はあろうことか、その相手に笑みを向け、

 

「あ、校長先生。校長先生も花壇を見にきたんですか?」

 

そう声をかけた。

この学校の校長である、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア校長に!

 

「そういうあなたは……そう、転校生のエミリアさんでしたか。今日が転入初日だったはず、学校はいかがでしたか?」

 

「はい、とっても興味深いものがたくさんありました。それに、そこにいるスバルくんに学校の案内もしてもらえて」

 

「ほほう、それはそれは」

 

友好的に話しかけるエミリアの口から、俺の名前が漏らされた。

そのまま動けない俺の肩を、背後から固く分厚い掌が優しげに叩く。そしてすぐ横に、見知った老齢の男性――否、校長の顔が見えた。

 

「婦女子に親切にされるのはよいことです。それでこそ、男児といえましょう」

 

「は、はは、そんな大したことじゃないッスよ。いや、ホント。それじゃ、そろそろもういい時間なんで俺たちはこの辺で……」

 

「校長先生はこの花壇、誰が手入れしてるのか知っていますか?私、すごーく感動したのでどうしても知りたくて」

 

「エミリアさん!?」

 

思わずさん付けするほど、その選択肢は最悪のチョイスだ。

俺の悲鳴にエミリアが驚くが、校長は「いやいや」と照れ臭そうに笑い、

 

「そんな大それたものではありませんよ。私が素人知識で、手慰みに始めた程度の花壇に過ぎません。そう言っていただけるのは光栄ですが」

 

「校長先生が手入れしてるんですか!わ、すごい!」

 

感動した顔のエミリアに、校長はますます照れた様子だ。その様子だけは微笑ましい。そう、確かに微笑ましい光景ではあるのだ。

だが、問題はここから、だ。

 

「そもそも、土いじりは私の趣味というより、妻の趣味でしてな」

 

「奥さん、お花が好きなんですか?」

 

「ええ、無類の花好きでして。一方で私は趣味らしい趣味もありませんでしてな。そんな私を見かねて、妻に言われたのですよ。学校で花でも育ててみたらどうか、と。その結果がこれです」

 

「素敵なお話……」

 

エミリアがうっとりと、校長の語る『裏庭の花壇、誕生秘話』に聞き入っている。

事ここに至れば、俺はもはや覚悟を決めていた。

絡め取られた、と。

 

「最初は簡単なものかと思いましたが、これが意外と土いじりは奥が深い。花の機嫌も種類どころか一輪ごとに違う次第。妻にはそれこそ、自分の機嫌を取るように慎重にやれと言われるぐらいで」

 

「素敵な奥さんなんですね」

 

「ええ、私にはもったいないほどよくできた妻です。そんな妻を休みの日に連れてくると、若い頃に戻ったようにはしゃぐのが見物でしてな……」

 

エミリアが聞き上手なのもあるのか、校長の会話の熱が止まらない。

熱が止まらないっていうか、もうぶっちゃけ奥さんへの情熱が止まらない。

 

「そうそう、思い返せば――」

「あのときの妻は……」

「まだ私も若かったものですから……」

「ですがそういったところも魅力的で……」

 

△▼△▼△▼△

 

「すっかり、日が暮れちゃったね……」

 

「そうだね。……そうなると思ったんだよね」

 

完全に日が暮れた学校帰りの夜道を、俺とエミリアは並んで歩いている。

裏庭の花壇、そこでの校長との遭遇から、三時間ぐらい経っただろうか。疲れ切った顔の俺を横目に、エミリアが申し訳なさそうな顔だ。

 

「あの、ごめんね?私がいっぱい、校長先生に話を聞いちゃったから」

 

「いや、いいんだ。あそこで校長とエンカウントした時点で、もうあの運命は避けられなかったんだよ。あの校長の惚気話が、あれだけ立派な花壇が『裏名物』

として一般公開できない最大の理由だ」

 

終わりなく延々と続き、際限なく湧き続ける惚気話の種。

人はそれを『ゴールデンタイムラバー・レクイエム』と呼ぶ。俺とか。

 

要するに、超愛妻家であるところのヴィルヘルム校長が、丹精込めて奥さんのために作り上げた花壇があの花畑だ。

部活動なんかで土日に学校に顔を出すと、たまに奥さん連れてあそこで幸せそうに過ごしている校長と出くわすこともできる。

 

「ただし、奥さんの方が強敵だから気をつけな。校長の倍……いや、三倍は奥さんの方が惚気力が強い」

 

「そして、二人掛かりなのよね……」

 

「ああ、そういうことなんだ」

 

エミリアがいい加減、その脅威がわかった顔で真剣に頷いている。

ヴィルヘルム校長も奥さんも、悪い人ではまったくないんだが、もうお互いがお互いのことしか見えてない感があるので、胸焼けが半端ないのだ。

 

結局、部活動の連中が帰るより遅くまで拘束されて、こうして二人で夜道を歩いて帰る羽目になってるわけだし。

 

「婦女子をちゃんと送り届けるのが男児の役目、とは言ってくれるもんだ」

 

「ちゃんと送り届けてくれる?」

 

「俺に家を知られるというリスクを許容できるならね」

 

「それは大丈夫。だって、スバルくんは私のことを殴ろうとかしないでしょ?」

 

「突っ込みぐらいのことはあるかもしれないから確約はできない。放課後の何時間かだけで、そのぐらいの天然度は把握したから」

 

フレデリカクラスに編入されるだけあって、個性はなかなかと言っておこう。あとはあの濃さに揉まれ、なおも薄れなければ立派なルグニカ学園生だ。

 

「でも……ふふっ、あー、楽しかった」

 

と、俺が師範的な感じで頷いてると、隣のエミリアが華やかに笑って言った。

彼女は鞄を振り上げ、空にちらほらと点在する星を見上げると、

 

「こんな夜まで出歩いてることもなかったし、知らないことばっかりだったし、なんだかたくさんのことがすごーく新鮮で」

 

「斬新と新鮮は違うもんだから、そこ見間違えるとアレなんだけどね」

 

「同じような意味じゃないの?」

 

「新鮮さはフレッシュだけど、斬新さはプレスになるときがあるでしょ」

 

斬新さに圧迫されて、それで脱落しないとも限らない。エミリアがそうならないのであれば、せっかく仲良くなったのだから俺も嬉しい。

 

「なんにせよ、明日からもよろしくって笑顔で言ってくれるならそれでいいかな。プラスして、俺だけちょっと特別仲良くなってくれてもいいぜ」

 

「特別に仲良しって?」

 

「そうだな……こう、一挙に関係を深める手本は呼び方とかかね」

 

人間関係は不思議なもんで、関係性が変わると呼び方も変わったりする。

より親しくなれば、いわゆる礼儀のようなものがちょっとずつ薄れる。無礼とはまた違う形だが、礼を無用とする関係になっていくのが関係の進行だ。

 

「――――」

 

俺の言葉の意味に、エミリアは少しだけ考え込んだ。

それからすぐ、何が言いたいのかを理解したんだろう。

 

「じゃ、じゃあ」

 

彼女はちょっとだけ躊躇って、道向こうで立ち止まって俺を見つめる。

俺もゆっくりと足を止めて、エミリアの方に振り返った。

そしてエミリアは意を決したように、

 

「――これからもよろしくね、菜月」

 

「アレ!?名字呼び捨てってちょっと関係遠ざかってね!?」

 

「え?」

 

いい感じの雰囲気になる流れだったのに、それが吹っ飛んで俺は驚愕。

途端、エミリアの方もびっくりした顔をした。

 

お互いに顔を見合わせ、「え?」と首をひねり合う。

 

「だ、だって、仲良くなった証に呼び方を変えるって……言ったでしょ?」

 

「だから、すでに名前にくん付けのスタンスは踏んでたわけで、俺としてはそのまま名前の呼び捨てになるかなーって思ってたわけですよ」

 

「だから名前の呼び捨てに。――!」

 

互いの意思をすり合わせながら、ふいにエミリアが喉を詰まらせた。

彼女は目を見開いて、俺の方を指差しながら、

 

「ひょっとして、『菜月・スバル』って、スバルの方が名前なの!?」

 

「そうだよ!?言ってなかったっけ!?」

 

「だ、だって、私みたいに名字のない人だっているし!他の人の名前も大体の場合は名前が先にくるものだから、私はてっきり……!」

 

動転するエミリアの発言に、ようやく俺は事情を理解する。

なるほどつまり、エミリアは俺の名前は『ナツキ』だと思っていたわけだ。んでもって、思い切って下の名前で呼び捨てにしようとして、しくじると。

 

「じゃあ、エミリア的には菜月くん呼ばわりのつもりだったのか。それはそれでなんか今日の気分がちょっと変わるな」

 

「わ、私の方だって……っ」

 

初対面の女子にいきなり下の名前で呼ばれていた、という謎の優越感が勘違いだったとわかり、ちょっとだけ俺はしょんぼりする。

が、しょんぼりする俺にエミリアがお冠だ。エミリアは顔を赤くして、ちょっぴり潤んだ瞳で俺を見ながら、

 

「い、いきなり初対面の男の子を下の名前で呼んでたなんて……は、恥ずかしい」

 

「――――」

 

「や、やだっ!ちょっとこっち見ないで。今、顔真っ赤だから……!」

 

自分の頬に両手を当てて、その赤くなったらしい顔を隠そうとするエミリア。

そんな彼女の態度に、俺は目を離せずにいた。

 

さっきまでのしょんぼりした気分なんてどこへやら、それは新しい驚きと感動に上書きされて、すっかり見えなくなったのだ。

だって――、

 

「可愛いな、エミリアたん」

 

「そんなの……え!?なに!?たんってどこからきたの!?」

 

「呼び方の変化だよ。ほら、愛称がつくと可愛くなるでしょ?」

 

「それ、可愛い愛称なの!?嘘つき、どうせからかってるんでしょ!」

 

顔を赤くしたまま、エミリアが俺の体をぽかぽかと叩いてくる。

軽い、軽すぎる。ラムに比べたら全く痛くない。もちろん、痛い目に遭わせようなんて思っていないからだろうけど、なんか可笑しくなった。

 

「うはははは――!」

 

「もうもう、スバルのバカ!知らないっ!」

 

学校帰りの夜道を、俺とエミリアは馬鹿笑いと拗ねた声を上げながら帰る。

いつの間にか呼び方も変わっていたけど、それを指摘はしない。

 

ただ、明日からの学校生活が、また違ったものに思えそうだと。

この隣を歩く女の子に感じたものの正体がなんなのかわからないまま、俺はただただ笑いの衝動に身を任せて、今日という日の締め括りに満足していた。

 

≪学園リゼロ!3時間目に続く!≫