『学園リゼロ! 4時間目!』
「――ほーら、朝がきたかしら!起きるのよー!」
「ほんじゅらすっ!」
ズシン、という衝撃を受けて、俺の朝が今日もやってくる。
ゲホゲホと咳き込みながら目を開ければ、目の前にあるのは今日も今日とて、そのプリティーさに歯止めの利かない我が妹、ベアトリスのご尊顔だった。
「いや、この可愛らしさを表現するにはご尊顔なんて言葉じゃ足りない……可愛い、ラブリー、ソーキュート……超尊顔と呼ぼう」
「ふふん、そんな超尊顔なベティーが朝をお知らせかしら。さ、今日は大事な大事な一日になるのよ。さくっと起きて、朝を迎えにいくかしら」
と、なかなか将来が楽しみな詩人ぶりを発揮するベアトリス。
我が家のベアトリスは見た目が可愛いだけでなく、ありとあらゆる方向にマルチな才能を発揮するため、将来の選択肢が多すぎて兄心がフラフラだ。
「く……ベア子が遠い存在になっちまう。これからも、ベア子には寝起きの悪い俺の朝寝坊を阻止する役目をしててほしいのに……」
「ベティーも、いつまでもにーちゃ……スバルの朝の快適な目覚めに貢献してあげたいけど、そうもいかないのよ。何故なら、ベティーは日々、成長期だからかしら」
「うおおん、いつまでも俺の鞄の中に入る可愛いベア子でいてくれえ」
「もういい加減、手提げに入るような年頃じゃないのよ!」
ベッドの上、益体のない会話を続けたがる俺に、ベアトリスが枕をぶつけてくる。
仕方ない。今しばらく、こうして妹と毎朝の愛情表現を交換し合いたかったのだが、実際に今日は大事な一日であるので、大人しく従っておくことにする。
なにせ今日は――、
「毎年恒例の、桜祭りの当日!」
「かしら!」
そんな、はしゃぎたがりの兄妹には外せないイベント当日なのだから。
△▼△▼△▼△
「あらあ、お兄さんったら寝癖がすごいのねえ」
「と、メィリィちゃんか」
パタパタと、元気なベアトリスと部屋ではしゃぎ終わったあと、着替えて下に降りた俺を出迎えてくれたのは、食卓でトーストを齧っている女の子だった。
濃い青の髪を三つ編みにしたこの子は、ベア子と同じ小学校に通っているメィリィちゃん、ベア子と仲良くしてくれている一人である。
当然、俺とも面識があるので、俺は遠慮なく小学生女児の頭を撫でた。
「なんだなんだ、朝からうちのトースト食べて。ひょっとして、ようやく俺の妹になる覚悟を決めてくれたのか?」
「馬鹿なこと言わないでよねえ。ただ、今朝は家の食パンを切らしちゃってて、ご飯を食べられなかったのよお。ほら、わたしって朝はトースト派でしょお?」
「知らねぇけども覚えとく。朝はトースト……イチゴジャム?ピーナッツ?」
「好きなのはハムトーストねえ」
「肉食系だ。じゃあ、ちゃんと頭のメモに書き留めておくわ」
ベア子と仲良くしてくれてる子だし、また朝飯を食べにくることがあるかもしれない。大体はお母さんが対応してくれるはずだが、俺も覚えておくとしよう。
ちなみに、どことなくけだるい雰囲気の喋り方が子どもらしくないメィリィちゃんだが、この子の態度には家族の影響が大きいと知るとなかなか微笑ましく思えてくる。
その家族というのが、これまた世間は狭いもんで――、
「それにしてもお、わたしを妹にしたいなんて大胆ねえ。お兄さん、エルザと結婚してくれるってことお?」
「おっと、そうきたか。確かにエルザ先生は美人でスタイル抜群のイケ女だが、迂闊には触れられない怖さがあるからな。その方法でいくか、現行法に頼らない方向でお前を俺の妹にするか、今は試行錯誤のときだと思ってる」
「ふうん、ベアトリスちゃんを怒らせない程度に頑張ってねえ」
「おいおい、妹が増えたとしても、俺の妹に向ける愛情が減ったりしねぇよ。むしろ、妹の数だけ愛情は乗算されていく……シスコン力学第二法則だ。中学で習うぞ」
トーストを齧る間、頭を撫でられるがままだったメィリィちゃんがげんなりする。
ベア子とはまた違った反応が愛いいんだが、あんまり調子に乗っているとベア子に手を噛まれるので、このあたりでいったんはシスコンを置いておく。
「そんなの習わないですよ。スバルお兄さん、変なこと言わないでください」
「あ、ペトラちゃんもいたのか」
「はい、ペトラちゃんもいました。ベアトリスちゃんのお部屋にいて」
そうして、メィリィちゃんと遊んでいた俺の顔を見上げていたのは、頭に大きなリボンが可愛らしいペトラちゃんだった。
ベア子、メィリィちゃん、そしてペトラちゃんの三人組がお馴染みの面子だが、ベアトリスへの家族のひいき目を抜きにしても、顔面偏差値の高い三人だと思う。
この三人が同じクラスなのだから、小学校の同級生たちは大変だろう。
「いったい、どの子が一番人気なのか……うちのベア子が一番と言いたいところだが、ちょっぴり人見知りで口が悪いところがあるからな」
「あ、お兄さんったら鋭いんだあ。学校でも、ベアトリスちゃんって男子にずけずけ言っちゃうとこあるもんねえ。やっぱり、一番モテるのはペトラちゃんよお」
「め、メィリィちゃん、そんなこと言わないの」
腕組みしながら分析する俺を、二枚目のトーストに突入するメィリィちゃんが補足。その説明にペトラちゃんが頬を赤らめるが、納得のいく意見だった。
「APPは三人とも甲乙丙がつけ難しってところだが、癖のない人当たりの良さの部分でペトラちゃんに軍配が上がったか」
「スバルお兄さんまで……でも、男の子から人気があっても、あんまり意味ないですよ。同級生の子って、子どもっぽいから」
「おお、女の子の方が先に大人になっている理論だ!初めて直接聞いたから、何気にテンションが上がるな。いいぞ、ペトラちゃんはその調子で同級生たちを翻弄し続けるといい」
「うーん、今のお話で大事なのはそこじゃないんだけどなぁ……」
「――?」
なかなか小悪魔的な成長目覚ましいペトラちゃんを称賛したつもりだったんだが、頬を膨らませたところをみると、俺の回答はお気に召さなかったらしい。
「ホント、ダメダメねえ……」
なんて、メィリィちゃんが後ろで呆れているぐらいだ。
うーむ、最近の小学生女児の心は難しい。
「その点、ベア子はわかりやすくて、兄としても重宝してるぜ」
「スバルお兄さんは、もっと女の子の心に詳しくなってください。ベアトリスちゃんのお部屋にある、少女漫画とか読むのはどうですか?」
「おいおい、常に新鮮な物語に飢えてる俺は、当然ながらベア子の本棚の漫画も全部読破済みだよ。『君だけに届け』とか『花婿男子』とか定番なのも読んでるぜ」
「じゃあ、身になってないですねっ」
「辛辣だな!?」
そもそも、漫画というものは楽しむために読むものであって、お勉強のために読むものではないというのが俺の持論だ。
もちろん、楽しんだ結果、しかも身になるならそれに越したことはないが。
「ええい、それはともかくだ。俺に不利な状況だから話を変えようぜ。――ペトラちゃんとメィリィちゃんは、今日の桜祭りはどうするんだ?」
「わたしは、あんまり興味ないんだけどお……」
「わたしたちもいきますよ。ベアトリスちゃんも一緒です。あの、スバルお兄さんもよかったら……」
「お?もしかして誘ってくれてる?」
おずおずと切り出してくれたペトラちゃん、その優しさが胸に染みる。
たぶん、ペトラちゃんはこんな調子で小学生女子の心もわからない俺が、学校でふわふわと浮かび上がっているのを心配してくれているんだろう。
高校で友達がいないから、小学生と遊ぶというのもちょっぴり切ない絵面に見えるが、その気遣いの気持ちは本当に嬉しい。
「けど、心配ご無用だ。ひょっとしたら別の世界線じゃそういう寂しい俺もいたかもしれねぇが、このワクワクドキドキの世界線で俺はぼっちじゃねぇのさ」
「レムお姉さんもいますから、一人ぼっちなんて思ってないです。でも、レムお姉さんよりもわたしたちと一緒の方が楽しいかも……り、両手と背中に花ですよ」
「あれ?気遣いの方向性違ったな!?」
「しかも、お花の一輪にわたしが入れられてるわあ。怖いからやめてよねえ」
ともあれ、ペトラちゃんのお誘いは非常に嬉しいのだが、俺にも先約がある。
何故なら今日の桜祭りは、すでに激マブ美少女とのデートの約束があるのだ。
「そんなわけで、俺がペトラちゃんたちと付き合えるのは、祭りが始まった最初の一時間ぐらいが限度なんだ。すまねぇ」
「それでも、一時間は作ってくれるのねえ……」
「そりゃ、ベア子とも一緒に祭りではしゃぎたいし、ペトラちゃんとメィリィちゃんが祭りではしゃいでるのも見たいし、大事だろ?」
これが夏祭りなら浴衣姿を写真に収めたいところだが、今日のところはお預けだ。
単純に祭りを楽しむベア子と、そんなベア子と一緒の仲良しな二人を見られるのも、俺としては外し難いイベントなのである。
「そんなわけで、学校終わったら即行で合流するから、それで勘弁してくれないか」
「むー、わかりました。それで我慢してあげます。でも、絶対きてくださいね」
「ああ、絶対いくいく。ベア子を質に入れてでもいく」
「入れるんじゃないのよ!法外な金額で買い戻せなくなるかしら!」
ペトラちゃんが小指を出してくるもんだから、俺も小指を搦めて指切りげんまん。
約束が交わされたところで、登校の準備を終えたベア子が合流してくる。そうして、今日もランドセルが世界一似合っているベア子と、ランドセル評価一位タイの二人を送り出し、ナツキ・スバルの桜日和の一日が始まっていくのである。
△▼△▼△▼△
「何度も言わせないでください。スバルくんの朝は、レムのものです」
「そっちこそ、何べんも何べんもおんなじこと言わせるんじゃないッス。お師様の朝は今後はあーしがいただくッス。これまで、お勤めご苦労だったッス。しっしっ」
「しっしじゃありません!」
朝、小学生三人組を送り出したあと、制服に着替えた俺が玄関を出た途端、とんでもない熾烈なキャットファイトが繰り広げられていた。
珍しく、レムが朝のインターフォンを鳴らさなかったものだから、何かあったのかと心配してたところだったんだが――、
「まさか、こんなことになってやがるとはな。隅に置けないじゃねえか、息子」
「うぐ、父ちゃんか……」
「あらあら、レムちゃんだけじゃなくて、あの子は……あれ、もしかして」
「え?お母さん、知ってんの?」
玄関の立ち尽くす俺の後ろ、並んで現れた両親。が、父ちゃんのいつものコメントは無視して、今のお母さんの発言に俺は食らいつく。
今、玄関で言い争っているのは、俺の幼馴染みであるレムと、この間、転校してきたばっかりのシャウラの二人だ。
朝のHR、転校初日の挨拶で俺の度肝を抜いてくれたシャウラだったが、その後もことあるごとに馴れ馴れしく接してきて、レムのボルテージがMAXなのである。
ただ、シャウラの馴れ馴れしい態度の裏側には、俺の知らない俺との思い出が積み重なっている疑惑が発言の端々から感じられていた。
「その謎がついに明かされるときがきたのか。お母さん、シャウラと知り合い?」
「ええとねえ、スバルがまだ小さい頃、お母さんのお父さんのところにいったでしょう?そのとき、お祖父ちゃんの家の近くで遊んだ子がいて……そうそう、そういえばスバルのおでこの傷、そこで転んだときにできたのよ」
「俺の古傷の話はどうでもいいし、同じ文章の中にお母さんのお父さんとお祖父ちゃんの呼び方が混在しててわかりづらいけど……そこで遊んだ子が?」
だとしたら、まさしくギャルゲーのお約束みたいな設定の相手だ。
まさか、本当に幼い頃になんか面倒な約束事を交わした相手なのではないか。そんな疑問が沸々と俺の中に湧いてくる。
「だとしたら、俺はシャウラに……」
「いや、でもおかしくないか?そのとき、祖父さんの家でスバルと遊んでたのって、トランクに隠れてついてきてたレムちゃんだった気がする」
「あれ?そうだったかしら?」
「待って待って待って、わかんなくなってきた!結局、どれが正解!?」
「ごめんねえ、お母さんの勘違いだったみたい」
思わせぶりな態度はいつものことだが、今回のお母さんの勘違いには俺も力が抜けた。
結局、シャウラの謎は解けないまま、お話は後半へ続くことになるらしい。
「後半どころの話じゃねぇよ。まだ家も出てねぇんだぞ。桜祭りの日だってのに」
「そうだな。お前はお前のやることやってこい、我が息子。ちなみに、俺とお母さんは二人で桜祭りを楽しんでくるから、親を気遣う必要はないかんな!」
「うるせぇな!夫婦円満で何よりだよ!」
と、言葉と物理的に背中を押され、俺は玄関で言い争う二人の下へ向かう。
すると、二人はすぐに俺に気付いて、パッと表情を変えた。
「スバルくん、おはようございます。さあ、レムと一緒に学校にいきましょう!」
「お師様、おっはーッス!今朝はぽかぽか陽気でいい感じなんで、学校とかやめてあーしと嬉し恥ずかしの思い出作りに旅立つッス!」
「うーん、レムに軍配」
「なんでッスか!?」
「やりました!」
明暗分かれる形になったレムとシャウラ。
別に、シャウラが嫌いだとかそういう理由ではないのだが、
「俺は今どき珍しいぐらい、学校が好きなタイプの学生なんだ。だから、学校をサボっちゃおうぜ的な誘いには乗れねぇ。悪いけどな」
「はい。レムはスバルくんのそういったところをしっかりと理解しています。その分、シャウラさんとは差が出たと言えるでしょう。幼馴染み歴の違いですよ」
「そう、とも、言える、かぁ?」
微妙に遠い気がするが、幼馴染みであるレムに対して、遠距離幼馴染みという属性を先にぶつけてきたのはシャウラだったので、そこは二人にしかわからない勝敗があるんだろう。
ともあれ――、
「まぁ、そうへこたれるなよ。第一、お前との約束だっけ?それも覚えてないし、そもそもお前と前にどこで会ったのかも覚えてないんだぜ?そんなひどい奴のことなんて忘れちまった方が、きっとお前のためだと思うけど」
「お師様……」
う……崩れ落ちたシャウラが、その場に膝をつきながら俺を潤んだ目で見てくる。
正直、そういう目には弱い。弱いけれども、ここは心を鬼にすべきだろう。実際、シャウラに伝えたことは俺の本心だ。
シャウラは美人だし、幸せになれる素質で溢れているはずだ。
妙な石ころに躓いたことなんて、すぐに忘れて切り替えた方がいい。
「そういうわけだから、今後はいいお友達として……」
「つまり、お師様は過去の俺じゃなく、今の俺を見ろってあーしに言うッスね!?」
「そういう捉え方になる!?」
やだ、シャウラの中の俺の男らしさがとどまることを知らない。
もしも本気でそう言ってたならめちゃくちゃカッコいいんだが、約束を忘れたことを正当化しているようでもあり、最悪なところは否めないのではあるまいか。
「おい、レムからも言ってやってくれ。お前の口からなら……レム?」
「そ、その手がありましたか……これはレムの盲点でした。レムも、自分が幼馴染みであることにかまけて、スバルくんとの思い出ばかりを武器に……」
「レムさん?おーい、レムさんってば」
わなわなと震えながら、レムが愕然と自分の手を見下ろしている。
このやり取りを振り返っても、どこにレムがショックを受ける余地があったのか全くわからないが、レムは何かを開眼したみたいに手を握りしめた。
「レムも、過去のスバルくんばかりではなく、今や未来のスバルくんを見なければ。シャウラさん、レムはその考えに感服しました!」
「むむっ、ひょっとしてお前……話せる娘ッスか!お師様の輝きを、未来永劫、自分の眼に留めておきたいと思うッスか!」
「思います!」
はしっと、レムとシャウラがお互いの手を取り合った。
完全に置いてけぼりだが、何やら二人はわかり合ったらしい。俺も、毎朝のように諍いが起きないならそれはそれでいいので、二人が仲良くなったことに文句はない。
文句はないんだが――、
「ええと、お二人さん?そろそろ、学校にいこうと思うんですが……」
「はっ、そうですね。では、シャウラさん、今日はレムが右側で」
「あーしは左側ッスか。ま、明日は反対にしてくれるなら、ひとまず我慢ッス!」
そう言いながら、レムとシャウラが俺を挟み込むようなフォーメーションを取った。さっきまで言い争っていたにも拘らず、美しいぐらいの連係だった。
俺はほっぺたを掻きながら、嫌な予感を覚えてちらっと後ろを見た。
玄関で父ちゃんとお母さんが、何やら生温かいものを見る目をこちらに向けていたので、俺はこそばゆくなってその場から走り出した。
△▼△▼△▼△
「わ、スバルったらすごーく汗だくね。大丈夫?」
「だ、大丈夫大丈夫……ちょっと朝から張り切りすぎちゃった」
「そう……ハンカチ使う?ちゃんと綺麗にしてあるから」
そう言って、校門の前に立っていたエミリアが白いハンカチを差し出してくれる。
綺麗にしてある発言の通り、差し出されたハンカチはきっちり畳まれ、アイロンがけまでされたものだ。俺の汗を拭かせるのは、あまりにも酷だと思われた。
「いやいや、平気だって。ちゃんと自分のタオルがあるから。ええと、ここに……」
「どうぞ、スバルくん。レムがちゃんと洗っておきましたから」
「おお、助かる。悪いな、レム」
レムが俺のタオルを渡してくれたので、遠慮なくそれで汗を拭う。
なお、自宅から学校まで休まずずっと走り続けたのだが、こうして汗だくで疲労困憊の俺とは違い、レムとシャウラの二人はついてこられた上にピンシャンしている。
「レムさんもシャウラさんもすごい体力ね。スバルはこんなにへとへとなのに」
「レムは毎朝、姉様と一緒にジョギングをしていますから。スバルくんに何かあったとき、いつでも走って病院に駆け付けられます」
「タクシー使ってくれ」
「あーしも!あーしも、運動神経にはちょっち自信あるッス。こう見えて、向こうじゃかなり名の知れたスポーツウーマンだったッスよ」
ようやく息が整ってくると、勢いのあるシャウラの言葉に引っかかる。
転校生のシャウラが海外暮らしをしていたという話は聞いたが、向こうで何をしていたなんて話に関してはまだ聞けていないところだった。
しかし――、
「スポーツウーマンってのも、息も切らしてないとこ見るとマジっぽいな」
「マジのマジ、大マジッスよ。お前なら金メダルも狙えるって、部活のコーチには言われてたッス。でも、そうはならなかったッスよ」
「それって、日本に帰ってきたから?」
「む」
エミリアの何気ない質問に、俺はちょっと嫌な予感がした。
自惚れるわけじゃないんだが、シャウラが日本に戻ってきた理由の一部が俺にありそうなことは否定できない。となると、まさかシャウラが金メダル有望の立場を蹴って、日本に戻ってきたのは……。
「俺のためじゃないよな?」
「もち、お師様のためッス。お師様のことを思うと夜も眠れなくて、ホント、先生とかコーチの言うこと全然頭に入らなくってめちゃめちゃ成績落として追い出されたッスよ」
「それ、俺のためじゃなくて俺のせいだし、俺のせいでもないよな!?」
ものすごい自業自得の流れだったので、心配して損をした。いや、ある意味で自惚れは間違ってなかったんだけど、さすがに自己責任の範疇だよな?
「ああもう、朝からすげぇ体力と精神力使った……今日は桜祭りではしゃぐって決めてるってのに、こんな日常の一コマで俺の余力を削るんじゃないよ」
「あ、桜祭り!そうそう、お祭りのことがあったんだった。忘れちゃうところだった」
そう言って、エミリアがちろっと赤い舌を出して何かを反省する。
超絶美少女がやると消し飛びそうな威力のある仕草だったが、俺は日頃から可愛い幼馴染みや、将来有望な妹とその友人で耐性があるので耐えられた。
「それがなかったら、今頃は廃人になるところだったぜ。気を付けてくれよ、エミリアたん。君の笑顔は世界を平和にもできるし、滅ぼすこともできる核兵器なんだぜ?」
「ごめん、ちょっと何言ってるのかわかんない」
「さいですか。……って、ケータイ?」
すげない返答にズバッと切られ、心の血を流しながら俺はエミリアが取り出したケータイを見る。古い。いや、古いわけじゃなく、すごく大人しいデザインだ。
スマホじゃなくて、らくらくホンみたいな感じだった。
「ええと?落とし物でも拾ったの?」
「え?ううん、ちゃんと私の携帯電話よ?そういえば、スバルの連絡先を教えてもらってなかったら、教えてもらいたくて待ってたの。今日はお祭りに一緒にいく約束をしてたから、知らないと困っちゃうかなって」
「ああ、そっかそっか。古風ってより、独自の方向性だねって感想はともかく、確かに連絡先は交換しとかないとだ」
「ええ。連絡網で、おうちの番号は登録しておいたんだけど」
「お願いだから、そこにかけるのだけはやめてくれ」
「え?う、うん、わかったけど」
エミリアが連絡網を見ながらポチポチと番号を登録してくれたのはありがたいが、それで電話されてうちの両親が出ると、根掘り葉掘り関係を聞かれて俺が大打撃を受ける可能性があった。ので、その選択肢は事前に削除しておく。
「けど、それだったら俺だけじゃなく、レムとシャウラとも交換しておきなよ。レムとは一緒に桜祭りにいくんだし……シャウラ、お前は?」
「へ?あーしッスか?」
「ああ、祭りがあるんだよ、今日。俺たちは祭りにいく予定だから、お前もいくだろ?」
「告られたッス」
「告ってませんが!?エミリアたんとレムも一緒って言ってんだろ!?」
急展開甚だしいシャウラの態度に呆れつつ、俺は自分のケータイを出し、勝手の違うエミリアのケータイを操作しつつ、何とか番号を登録する。
「って、勝手にやってごめん。自分のケータイなんて人に触られたくないよな」
「ううん、大丈夫。私もよく使い方がわからなくて、家族に連絡するときも、えいって勘で電話することが多いから」
「それで繋がるんならいいけど、基本の使い方をマスターするためにも、ゲームの初回はチュートリアル画面を飛ばさないようにした方がいいと思うよ」
最近のゲームはとかく新設設計が多いので、大体の場合、ゲームの序盤で操作方法のチュートリアルがあるのが多い。
ゲームに慣れている人間は煩わしいと思うことが多いかもしれないが、プレイヤーのゲーム歴は選べないので、開発者側の苦悩が窺い知れる。
ともあれ、閑話休題。
「よし、レムの番号はそらで覚えてるから打ち込んどいた。シャウラ、お前のは?」
「お師様に入れてほしいッス!080の――」
「待て待て待て、プライバシーの防止のためにもっと工夫しろ!お前、美人なんだから変な奴に付きまとわれるぞ」
「告られたッス!」
「告ってねぇって言ってんだろ!」
すったもんだありつつ、エミリアのケータイに三人の番号を登録するのに成功する。
シャウラがうるさいので、覚えてしまったシャウラの番号を俺も自分のケータイに登録。ひとまず、祭りを巡るパーティーにシャウラも加わりそうだ。
「この分だと、もう何人増えても同じだな……レム、姉様の予定は?」
「ロズワールさんのお宅に寄っていらっしゃるそうです。桜祭りについては、お仕事の進み具合次第だそうですが……」
「うーん、恋路は邪魔したくないけど、桜祭りにラムがいないと俺が寂しい」
「レムも同感です。おねだりしてみますね」
きゅっと胸の前で手を握りしめるレム、そのおねだり発言が出たということは、ラムの参加はこれでほぼほぼ確実になったと言える。
レムを溺愛しているラムが、妹のおねだりを断ったことはない。少なくとも、俺の知る限りは一度もないのだ。
「つまり、これまでの人生で一回もないってことだ」
「わ、すごい自信。スバルとレムさんが仲良しなのは聞いてるけど、ラムさんもなの?」
「はい。スバルくんと姉様は、同じ産湯に浸かった頃からの仲です」
「だから、その産湯に浸かったのは俺じゃなくてレムだから」
「間違えました。同じ産着にくるまった仲です」
「それにくるまってたのもレムだから」
このネタ、この間もやったばっかりな気がする。一年ぐらい前の気もするけど。
とはいえ、校門前でいつまでもダラダラやってるのもなんだ。俺が一人で美少女三人に囲まれているせいで悪目立ちしてるし、そろそろ中に入ろう。
「そうだ。せっかくだし、他の奴らにも声かけてみるか。ついでにエミリアたんの電話帳の名前を増やすのも手伝ったらいいし」
「あー、転校生差別ッス!あーしも、そっちの娘と同じで転校生ッス!お師様、あーしにも同じように愛情かけてほしいッス!むしろ、あーしには大きくて強いやつがいいッス!」
「大きくて強い愛情ってなに?でかいテディベアみたいな話?」
なお、大きくて強い愛情表現の表れとして、大きなテディベアならベア子の部屋にどんと鎮座している。俺と父ちゃんの贈り物が被ったせいで二体いるのだが、あれらに挟まれて寝ているベア子を見ると、ガーディアンと守護対象みたいでちょっと燃える。
「――――」
「あれ、どうしたの、エミリアたん、そんな難しい顔して。……もしかして、あんまり祭りのメンバー増やしたくない?俺と二人きりがいいとか?」
「ううん、それは全然そんなことないけど」
言ってみただけだが、バッサリと叩き切られるとそれはそれで悲しい。
そんな俺の内心を余所に、エミリアがおそるおそる俺に切り出した。
そして――、
「あのね、スバル。気持ちは嬉しいんだけど、私、電話帳は持ってないの。持ってるのは日記と単語帳くらいで……」
「ケータイのね!」
お約束のボケに、お約束の突っ込みを高らかに返した。
△▼△▼△▼△
「へー、祭りか。いいじゃねーか、一緒にいこーぜ」
俺の隣で、ポチポチとケータイの画面とにらめっこしているエミリアを余所に、彼女に番号を教えたフェルトが威勢のいい笑みでそう言った。
校門で話し合った通り、祭りのメンバーを増やす方向で調整する目論見だ。
なので、珍しく教室に早くきていたフェルトを捕まえて、さっそく祭りの話と、エミリアとの番号交換を持ち掛けたところだった。
「ノリがいいな。正直、意外だったわ」
「ああ?意外?なんでだよ。アタシが誘いを断るノリの悪い奴だって話か?」
「じゃなくて、面子の話だよ。だって俺、ラインハルトのことも誘うぜ?お前、それは表面上は嫌がるだろ?」
「表面上ってなんだ!ちゃんと中身も嫌がってんだよ!」
椅子の背もたれを軋ませながら、フェルトが上履きの靴裏で俺を蹴ろうとしてくる。それをひょいひょいとよけるが、スカートで躊躇いのないやっちゃな。
まぁ、フェルトはラインハルトから逃げるためなら、ひらりと靴箱の上に飛び乗ることも厭わない女子なので、このぐらいの乱雑さはいつものことだが。
「最近、逃げ回るのとか疲れたんだよ。どんだけ走り回っても、あいつはアタシを見つけてきやがるし、クラスの奴らも味方じゃねーし……」
「それで、諦めて教室にも大人しくいるのか。じゃあ、陥落?」
「してねーっつの。アタシが鋼の意思で、あいつが仕掛けてくるもんを全部受け流してりゃいいって話だ。結局、アタシの心一つなんだからな」
腕を組み、足も組んだフェルトの態度は勇ましく男らしい。
確かにその通りで、男女のことは両方の意思が通じ合って初めて成立すると言える。とはいえ、二人の歩み寄りを見守ってきたクラスメイトとしては、どうやら絆されつつあることへの自覚が薄いフェルトの様子はもどかしいの一言だった。
「ラインハルトは、フェルトちゃんのことが好きなの?」
「ぬが」
と、デリケートな男女の機微の問題に、不意にエミリアが爆弾を投げ込んだ。
手元に一生懸命集中しながらも、俺たちの話は聞いていたらしいエミリア。彼女は「ん、できた」と満足げにケータイを畳むと、フェルトのスマホを返しながら、
「この間、土手で飼い犬の散歩を一緒にしてたでしょ?だから、二人はすごーく仲良しなんだと思ってたんだけど……」
「クソ……だから、あのときも言ったじゃねーか。アタシはロミーのことがあっから、仕方なくあいつと一緒にいただけで……」
「でも、大事なワンちゃんなんでしょ?本当に嫌な人に預けておくのは変な感じがするわ。私、パックのことすごーく大事で、だから手放せないもの」
そう言って、エミリアが窓の外の方を見る。
何かと思いながら視線を辿ったら、窓の外、電柱の上に灰色の猫がいて、俺は心底仰天した。手放せないって、マジの物理的な意味の話なのか?
『――まあまあ、リアの可愛いところだと思って見逃してあげてよ。ボクがついてきたくてついてきてるだけなんだからさ』
「こいつ、いよいよ俺の頭の中にテレパシー送って……!?」
「おい、スバル。ブツブツ言っててやべー目してんぞ。あと、この転校生に説明してくれよ。アタシじゃ、いくらやっても埒が明かねー」
エミリアの飼い猫のパックは、俺にしか聞こえない声で喋る化け猫予備軍だ。
自分でも何を言ってるんだかって気分だが、マジなので何とも言えない。ともあれ、そのパックと話していると、こういう感じで変人扱いされるから要注意。
俺は咳払いして、「あーとだな」とエミリアとフェルトの会話に戻る。
「エミリアたん、俺から言えることは実はあんまりない。ラインハルトがフェルトのことを好きなのはマジだし、フェルトが逃げ回ってるのもホントのことだ」
「わ、やっぱり?そうじゃないかなって思ってたの。ふふ、鋭いでしょ」
「そうだね、HB鉛筆くらい」
すぐ折れそうな自信なので、ひとまず大切に研磨しておくことを大事にしたい。
まぁ、ラインハルトの方の意思は固く、クラスメイトはもっぱら、二人の関係が大きく進むのは時間の問題だと見ている。
もちろん、フェルトにとっては見世物にされてるみたいで不本意だろう。
「けど、シンデレラって読み物じゃん?」
「見世物と読み物は全然ちげーもんだろーが!アタシは見世物になるつもりはねーぞ!」
「じゃあ、みんなが見てなかったら違うの?」
「うぐ……っ」
痛いところを突かれた、みたいな顔でフェルトが押し黙った。
フェルトが赤い瞳を細めてエミリアを睨むが、当のエミリアは不思議顔だ。意図して言ったことではなさそうなので、この場はフェルトの方が分が悪い。
確かにフェルトは猫っぽいところがあるので、二面性があるのかもしれない。人目があるところでは素直に甘えられず、
「二人きりだと子猫みたいに甘える……てぃぐりすっ」
「うるせー!」
真相の一端に指をかけた途端、フェルトの容赦ない前蹴りが俺に突き刺さった。
完全に与太話モードだった俺は躱せず、土手っ腹に蹴りを食らってKOされる。エミリアが慌てて駆け寄り、背中を叩いてくれた。
「スバル、スバル!もう、フェルトちゃんったら、照れ隠しでもやりすぎよ」
「照れてねーし!とにかく!祭りはいく!ラインハルトのヤローを誘うのも止めねーよ。あいつはどうせくるんだ。だったら、返り討ちにしてやるぜ!」
「お、お前はラインハルトがお前に何をすると思ってんだ……」
「知るか!」と、中指を立てたフェルトが鼻息荒く教室を出ていった。
結局、ラインハルト絡みではあるが、直接ではなく間接的な理由で教室を飛び出していってしまった。あれはHRまで戻ってこないだろうな。
「あー、くそ、失敗した。からかいすぎちまったから、あとで謝らねぇと」
「え、からかってたの?」
「エミリアたんに自覚がなかったのは驚くけど、解釈一致ではあるな。……まぁ、俺は少なくとも、ラインハルトの恋路を応援してるからさ」
それは、トトカルチョで二人がくっつくことに賭けているのはもちろんだが、単純に俺とラインハルトが友達であるということが大きい。
イケメン長身、万能の天才とあらゆる点に秀でたラインハルトだが、フェルトへのアタックは初恋らしく、なんというか、やり方が拙くて見てられない。
「でも、指の隙間から見ちゃうみたいな甘酸っぱさがあるんだよ。わかる?」
「わかるような、わからないような……でも、スバルの言いたいことはわかるわ。好きな人同士だから、仲良くなってほしいのよね。私も、父様と母様にはずーっとずーっと仲良くしててもらいたいもの」
「ん?ん~、まぁ、そうだね」
夫婦間の問題と照らし合わせるとまた少し話が違ってくるのだが、それはそれで広義の意味で間違っているわけではないので、スバルも否定しなかった。
とはいえ、それはラインハルトの気持ちを尊重するあまり、フェルトの気持ちを蔑ろにしてもいいという話ではない。そこは反省が必要なところだ。
「フェルトはこの通り、嫌だと思ったら実力行使だからな。本気で嫌ってるわけじゃねぇとは思うんだけど」
なんだかんだ言って、フェルトはラインハルトがしのげる攻撃しかしていない。
それはフェルトの迷いの表れだと思うので、俺は友人の初恋が実るのを応援するばかりだ。
「というわけで、お祭りにはラインハルトも誘いたいと思います」
「はい、私は文句ありません。ラインハルトとも仲良くなりたいもの」
「く~、その気持ちのおっきなところが素敵だぜ、エミリアたん。なぁ、聞いたか、オットー」
「ずっといないものとして扱ってたのにここで!?」
そんな大げさなリアクションで、画面端にいたオットーが話に混ざってくる。
ちなみに、こんな見た目でサッカー部のエースであるオットーは、朝練が終わるとわりと朝のHRまで机で寝ていることが多い。
それでも、必要とされたら律義に反応してくれるので便利な奴だ。
「フェルトのあの感じからすると、ラインハルトはまだ祭りに誘ってなかったみたいだ。珍しいけど、あいつどうしたとか知ってる?」
「いや、知りませんよ。ラインハルトさん、同じ部活ってわけじゃないんですから」
「おいおい、使えねぇ奴だな。お前、ギャルゲーの親友ポジションだったら、主人公が聞いたことにすらすらと答えられる情報通じゃないとダメだろ?」
「自分をギャルゲーの主人公ポジションに置いてるのがおこがましいですし、そのポジションの担当キャラでも、聞かれる準備してるのは女の子のことですよ」
「オットーのくせに正論を……」
「僕は正論を使うのも許されないんですかねえ!」
だが、オットーの言うことは的を射ていた。
ゲームの親友キャラも、攻略対象のヒロインではなく、クラスメイトの男子の情報を求められることは想定していないだろう。
「いや、でもギャルゲーの親友キャラならあるいは……?」
「その、ギャルゲーの親友キャラに対するあくなき信頼はなんなんですか?」
「その『ぎゃるげえ』?っていうのはわからないんだけど……オットーくんも、今日のお祭りにはくるんでしょ?一緒にいかない?」
と、ギャルゲーの親友ポジション論争に終止符を打つように、エミリアがオットーに祭りのことをそう提案した。
それを聞いてオットーは目を丸くし、俺は顔を掌で覆う。
「あら?私、変なこと言っちゃった?」
「そうだよ、エミリアたん。オットーのことはもっと焦らさないと……」
「あんた、さっきフェルトさんへの態度で反省したばっかりでしたよねえ!?その反省を僕への態度にも活かしたらどうですか!?」
「わかったわかった。じゃあ、伝説の桜の木の下で約束な」
「まだギャルゲー引っ張ってる!」
ちょくちょく詳しいところを発揮するのが、ギャルゲーの親友ポジションっぽさが抜けない所以なのだが、悲しいかなそれがオットー・スーウェンなのである。
ともあれ、桜祭りのパーティーにオットーも加え、俺たちの冒険はまだまだ続く。
「そう、俺たちのお祭りはここからだ!」
「ここで終わりそう!」
「わ、息ぴったり」
これがオットー・スーウェンなのである。
△▼△▼△▼△
「――本日、皆さんも知っての通り、桜祭りが開かれますわね。皆さんの中にも遊びにゆかれる方が多いかと思いますが、羽目を外しすぎないよう。学生として、節度のある行動をなさるよう心掛けてくださいまし」
「言われなくてもだって、デリカ先生。俺たちも高校生だぜ?」
「ええ、ですからあなたに言っていますのよ、菜月くん」
「あれ!?」
放課後のHR、その後の桜祭りのことがあるから、どことなくみんながそわそわしている空気の中、我らがフレデリカ先生に名指しで注意される俺。
学生としての節度ある行動、全くもって注意される謂れなどないはずだ。
「デリカ先生、なんで俺?」
「わたくしの耳にも入っておりますわよ。すでに、桜祭りへ向かう大連合が組まれているそうですわね。発案者は菜月くんとエミリアさんだとか」
「大連合って、そんな大げさな」
確かに、エミリアの友達を増やそう計画という名目で、桜祭りのパーティーを集めようとしたのは俺の発案だった。
それが途中、転校生差別と言い出すシャウラのためでもあると名目が増えて、せっかくだからとクラスメイトに声をかけ、そのクラスメイトに「誰でも誘えよ」と気軽に言ったのは俺ではあるのだが――、
「でも、そんなおかしな発言じゃないよな?」
「あれあれあれ~、スバルきゅんったらおっかしいの。自分が誰に何を頼んだか、全然わかってにゃいんだから」
俺が首をひねっていると、口元に手を当ててぷぷーっと笑ったのはフェリスだった。
あざとい仕草のクラスメイトの言葉に、俺は「なんだよ」と聞き返す。
もちろん、フェリスも桜祭りにいこうと声をかけたメンバーの一人だ。それ自体にはフェリスも快諾したし、特に問題はないと思ってる。
「なのに、意味深だな?」
「フェリちゃんはべっつにー?でもでも、フェリちゃんを誘ったんだから、当然、クルシュ様のこともお誘いしたわけでしょ?」
「それは……あー、まさか?」
フェリスが何を言いたのかがようやくわかり、俺はフェリスの頭を飛び越して、その向こう側に座っているクルシュを見る。
凛と制服を着こなしたクルシュは、俺の視線に気付くと深々と顎を引いた。
「案ずるな。人数は多ければ多いほどいいと、卿も言っていたろう?だから、可能な限りに声をかけておいた。それなりの人員が見込めるはずだ」
「人足が欲しかったわけじゃないんだけどね!」
少し外れた回答をするクルシュだが、彼女はこの学校の生徒会長だ。それだけでなく、実家は街でも有数の名士であるので、方々に顔が利く。
クルシュの考え違いぶりからすると、声をかけた相手は学校内に留まらない可能性が高いのではないかと思われてきた。
「そんなわけで、スバルきゅんが思ってる以上の大所帯ににゃるかもネ」
「かもねじゃなく、お前もわかってたんなら止めろよ!」
「え~、フェリちゃんが止める理由ってある?クルシュ様がすごく頑張って準備されてたことにゃんだし、その横顔も麗しくて……」
「ああもう、お前に期待した俺が馬鹿だった」
「スバルきゅんのお馬鹿さん」
「にゃにおう!?」
挑発的なフェリスの言動に、思わず乗せられてしまう俺。
そうして俺とフェリスの小動物同士の頂点を決めるみたいな戦いを、教壇のフレデリカ先生が手を叩いて止める。
「そこまで!二人の諍いはともかく、菜月くん、それだけではありませんわよ」
「え、まだあんの?」
「無論じゃ。貴様、妾にも同じように誘いをかけたのを忘れていまい?」
その声を聞いて、俺はもはや「うげ」としか言葉が出てこなかった。
振り向いてみれば、堂々と自分の席でふんぞり返る改造制服姿のお嬢様――プリシラのどや顔が目に焼き付いた。
プリシラは手にした扇で自分の口元を隠しながら、
「かような街の催しなど、妾にとってはさしたる興味も惹かぬもの。とはいえ、乞われて応じぬのも妾の器が疑われよう。故に、妾も多少は手を回してやった」
「ほ、ほほう、手を回した。高校生があんまり言わない発言ですね?」
「そう心配するでない。女狐を喜ばせるのも癪な話じゃが、堅物の生徒会長が動くともあっては、妾はそれ以上を見せねばなるまい?ただそれだけの話じゃ」
「ふむ。ずいぶんと立派なことだが、つまりは私と競い合うつもりということか?」
愉しげに周りを挑発するプリシラに、クルシュがすんなりと乗せられる。
マズい。このクラスで敵に回すと厄介なことになる三女傑――そのうちの二人が激突しかけるのを見て、俺は大慌てでそこに割り込んだ。
「待て待て待て、二人とも!俺のために争わないで――!」
「たわけ、誰が貴様のためになど争うものか」
「私たちはただ、自らの名を懸けているに過ぎないぞ」
「そこまですることじゃないから!あと、あんまりHRが長引くと……」
言っても聞かないクルシュとプリシラ、二人に俺はおそるおそる事態を伝えようとする。しかし、それよりも早く、最悪の問題が目を覚ました。
それは――、
「――なぁ、お三方。今日はウチにとっても大事な日やってわかってるやんな?」
「――――」
「それやのに、長々だらだらとお話して……ウチ、早く学校切り上げて、お祭りの会場にいきたいところなんよ。わかる?」
はんなりと、いつもの如く柔らかく微笑みながら立ち上がったのは、このクラスの三女傑の最後の一人――アナスタシアだった。
街の商工会に好き放題に出入り、現在の商工会を裏から牛耳っているという噂の立つ商いの才女であるアナスタシアは、今日の桜祭りのために前々から骨を折り、あれこれと奔走していたとの噂を聞いている。
っていうか、本人からも聞いた。だから、当日である今日は一刻も早く、会場へ向かいたいだろうという気持ちもわかっていたのだ。
「お嬢様方の気紛れ、大いに結構。でも、時と場合と弁えてくれんと困るわぁ。そんなんやったら大人になってから苦労するえ?高校生にもなってわからんの?」
「貴様、たかだか街の商工会に出入りしている程度で優位に立ったつもりか?相応のものの力は相応な場にて振るわれるものよ。貴様が安い場で跳ね回らねばならぬのは、貴様自身が自身を安値で売っているのと何も変わらん」
「口が過ぎるぞ。だが、プリシラの言い分にも頷ける。アナスタシア、卿の努力は同じ生徒会に属する私も知るところだ。しかし、学生の本分は学び舎にある。それを蔑ろにするような考えはいささか聞こえが悪いな」
「ぎゃーぎゃー!フレデリカ先生!俺、羽目を外さないよう頑張ります!あと、自分の言動にももっとちゃんと責任を持ちます!だからHR〆ましょう!」
教室の中央、立ち上がった三女傑が睨み合う火花に焼かれながら、俺は必死にフレデリカ先生に場の仲裁を求めた。
それはもはや、戦争を止めるために神に救いを求めるが如き行いだったが、幸い、神と違ってフレデリカ先生は目の前で実体を持っていたので泣き落としが効いた。
「いいですこと!お祭りでは、今の調子で羽目を外すことのないように!わたくし、せっかくの楽しいお祭りの思い出を悪いものにしたくありませんのよ!」
「――――」
「返事はどうしましたの!」
「――はい!!」
と、クラス一同を代表した俺のでかい返事が響き渡り、HRは〆。
ようやく、桜祭りの開始と相成るのであった。
△▼△▼△▼△
そんなこんなで、桜祭りの本番がやってきた。
桜祭りは、桜並木がこれでもかとばかりにグワーッと並んでいる、なかなか有名なスポットに出店がたくさん出るといった催しで、シンプルな春のお祭りと思っていい。
学校が終わり、家に戻って私服に着替えたあと、各自、祭りの入口で合流。
約束の時間に集まれなくても、あとから合流すればいいというゆるいルールの下、俺たちは緩い感じで、しかしデリカ先生を怒らせないよう注意して遊ぶことを決めた。
少なくとも、何か問題が起きた場合、俺がつるし上げられる可能性が高い。
「ったく、なんでこんなことになったんだか……って、お?」
微妙に納得のいかない気持ちを抱えたまま、約束の待ち合わせ場所に向かった俺は、そこですでに待ってくれているエミリアを発見する。
ただし、エミリアは一人ではなかった。
「まさか、ナンパ野郎が出たんじゃ……」
「――いいから離してくれないか。こうしていては、他の先生方に示しがつかない」
「そう?そんなに心配しなくても、別に一緒に回ったらいいと思うの。エキドナ先生も遊んじゃいけないわけじゃないんでしょう?」
「って、エミリアたんがナンパしてんのかい!」
袖をまくり、いざ助けに入ろうとした俺の意気込みが空振りした。
てっきり、美少女のエミリアに絵に描いたようなチンピラがまとわりついているのを想定していたのだが、引き止める側と引っ張られる側が逆だった。
そして、エミリアに引っ張られているのは白髪の美人――、
「エキドナさんじゃんか。……じゃなくて、エキドナ先生」
「ナツキくんか。……君に先生呼ばわりされるのは、何となくむず痒いな」
「そりゃ慣れてもらわないと。俺じゃなく、エキドナさんが自分で選んで教育実習生なんてなったんですから。しかし……」
困り眉かつほんのり頬を赤らめたエキドナさんは、今はうちのルグニカ学園に教育実習生として研修にきている状態だ。
俺にとってはご近所の綺麗なお姉さんの一人であるので、学校での接し方にはやや迷うところがあるのだが、それはおくびにも出さないでおく。
その方がエキドナさんが困っているのが見れて眼福だからだ。
「エミリアたんがエキドナ先生を引き止めてんの?」
「ああ、そうなんだ。ナツキくんからも彼女に言ってくれないか。ボクは立場上は教師であり、祭りには生徒の指導が目的できたんだと」
「それは何度も聞きました。でも、それで離れていっちゃうのは寂しいじゃない。スバルもそう思うでしょ?一緒に回ったらいいのにって」
「あー」
エミリアたんとエキドナさん、二人の顔を見比べながら俺は頬を掻く。
まぁ、どっちの言い分にも一理ある。エキドナさんは仕事だし、教育実習生なんて立場上、生徒とはきっちり距離の線引きをしなきゃいけないんだろう。
一方で、エミリアの目線に立ってみると、いるのがわかっていて、しかも遠目に自分たちを見ているのに一緒に行動しないのは変だ、というのもわかる話。
「うーん、俺にキャスティングボートがあるなら、エミリアたんに一票。俺もエキドナ先生と遊びたいし」
「ほら!スバルもこう言ってるわ」
「ナツキくんまで……君は、ボクが教育実習に失敗して、女教師としての立場を手に入れられなくてもいいというのかい?」
「女教師っていうといかがわしい称号に感じるけど、そこまでは思ってないから。エミリアたんの言い分もわかるし、ぶっちゃけ俺らがうちの学校から祭りに参加するメンバーの中の最大派閥になると思うぜ?」
「む……」
実際、クルシュやプリシラの協力、それにオットーやラインハルト、レムのおねだりを受けて参戦するラムの関係者など、その規模はもはや俺にも把握し切れていない。
さすがに全校生徒レベルとまではいかないにしても、三桁に近い二桁までは十分に考えられるレベルと言えるだろう。
エキドナさんも、それっぽい話はフレデリカ先生から聞いていたらしい。
俺の話にも信憑性があると思ったのか、珍しいぐらい深々とため息をついて、
「君はボクを説得するのがうまいな。エキドナの天才だ」
「わ、すごい。私も欲しい」
「そう?今、喜ぶべきかどうなのかわかんないってコメントしかけたんだけど」
エキドナさんの態度はともかく、エミリアはやけにエキドナさんに懐いている。
不思議に思って聞いてみると、エミリアは「えーと」と唇に指を当てて、
「私もよくわからないんだけど、エキドナ先生とは仲良くしたいと思ったの。ううん、仲良くなれそうだなって」
「なるほどね。ちなみに、エキドナ先生と俺はご近所さんだから、俺と仲良くなると、必然とエキドナ先生と接触する機会が……」
「ボクをだしにして彼女と親交を深めるのはやめてくれないか。少し傷付く」
「う、ごめんなさい。ちょっと勝ちに貪欲になりにいってしまった」
さすがに悪いことをしたと反省。
それから、俺たちの説得が功を奏したらしく、エキドナさんは「フレデリカ先生に連絡してくる」とケータイ片手に少し俺たちから離れた。
それを言い訳に逃げるのではとも思ったが、本当に観念したらしく、見える位置で電話をかけてくれているので大丈夫そうだ。
「あれ?スバル、もしかして先にお祭りで遊んでた?」
「あー、実はちょっとね。抜け駆けしたってわけじゃなくて、うちの妹とその友達と先約があったんだよ。ほら、小学生は学校が終わるの早いから」
「あ、それでHRが終わったらすごい勢いで走って帰っちゃったのね」
「そうそう」
なお、HRが押した分、ベア子たちとの約束に間に合わせるためにかなり無理をした。近道や抜け道を多用し、結果、膝をやりそうになったので最後にはタクシーに乗ったのは内緒だ。ちなみに、金は俺の気持ちを汲んだ父ちゃんが払ってくれた。
「ともかく、その調子で妹たちと待ち合わせて、ちょろっと遊んできたんだよ。うちのベア子はもちろんだけど、メィリィちゃんとペトラちゃんも楽しそうにしてたな。ペトラちゃんなんか、いつもよりオシャレで……あれは男だな」
「あれ?スバルの妹って小学生なのよね?」
「ああ。でも、最近の小学生は進んでるっていうからな。俺が同い年だった頃とは、ゲームのグラフィックとかも段違いだし」
次世代機ともなると、これ以上はないと思ったグラフィックがどんどん進化していくんだから、人間の技術力には果てがないと思わされる。
と、そんな調子で子どもたちの未来に戦慄していると、ふとエミリアが呟いた。
「私も、スバルの妹に会ってみたいな」
「お……」
「あれ?何か変なこと言っちゃった?」
思いがけないことを言われて、目を丸くした俺にエミリアが首を傾げる。けど、俺はすぐに手と首と膝をぶんぶん横に揺すった。
「いやいやいや、変なことないよ、変なことない。そうだな、俺もエミリアたんとベア子と会わせてみたい。きっと仲良くなれると思うんだ」
「ふふっ、楽しみね。それじゃ、私もパックを連れていくわね」
「ああ、いいと思う。何となく、ベア子とパックは相性いい気がするから」
まぁ、うちのベア子の可愛さは全てを呑み込むブラックホールなので、ベア子と合わないモノなんてこの世にはないと存じますが。
「ありがとう、スバル。色々よくしてくれて」
「へ?」
「転校したばっかりで、馴染めるかなって不安に思ってたの。でも、スバルもレムさんもみんなも、すごーくよくしてくれるから……」
そう言って、エミリアが俺の方に振り向く。
その瞬間、少しだけ強い風が吹いて、桜並木の桜の花びらが多めに舞った。それがひらひらと、微笑むエミリアの周りを踊るように横切って――、
「――――」
目を奪われるというのは、こういうことを言うんだろうと思った。
「ありがとう、スバル」
「……どういたしまして。俺も、エミリアたんが喜んでくれてよかったよ」
何とか、平静を保ちながら俺はそう答える。
一瞬、ものすごく自然と見惚れてしまったから、俺の変な態度でエミリアのその自然なところを壊したくなかった。
この、何気ない瞬間がものすごく尊いものに思えたから、特に。
「――スバルくん!ごめんなさい、お待たせしました」
「おーしーさーまっ!!」
と、そうしているところに待ち合わせていたレムとシャウラの声が聞こえる。
二人だけでなく、ぞろぞろと連れ立ってやってくるのは、この桜祭りを目一杯楽しむために馳せ参じた頼り甲斐のあるメンバーたちだ。
「桜祭りも楽しいけどさ」
「え?」
「まだまだ、こっから先も楽しいこといっぱいあるぜ。覚悟してなよ、エミリアたん」
やってくるみんなを眺めながら、俺はエミリアにウインクする。
歯を光らせて、とびっきりのキザなスマイルを作り、気になるあの子を狙い撃ち。
そんな俺の言葉に、エミリアは目を丸くしたあと、また微笑んだ。
微笑んで――、
「ええ、すごーく楽しみにしてるわね!」
そう、満開の桜並木に負けないぐらい、華やかな笑顔を見せてくれたのだった。
――祭りが始まる。
でも、桜祭りに限った話じゃなく、楽しい日々は毎日がお祭りなのだ。
だから、祭りは始まるし、続いていく。
――祭りが続く。祭りは、終わらない。
楽しい日々は、まだまだこれからなのだから。
≪学園リゼロ!5時間目へ続く!≫